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がんサバイバー初めの一歩

命に関わる病の選別

毎年秋に行われる「ピンクリボン運動」のスマイルウォーク(乳がん早期発見の啓蒙運動)は2020年に続いて2021年も新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になりました。
自治体のがん健診も延期などの影響があったりと、早期発見が大切ながん治療にとって大打撃です。
体に異変や心配事を抱えているのに「 ステイホームで命を守る行動を」などと言われて、命を削るのは御免です。
コロナウイルス感染症を優先する政府や自治体の施策は早急に見直すべきだと思います。

仕事復帰のシミュレーション

さて、私は抗がん剤治療を終えて2000年秋の連休明け9月23日から仕事に復帰しています。抗がん剤を打って3週間は寝たきりという生活を繰り返してきましたが、最後の抗がん剤からおよそ一か月で副作用も抜けてくるだろうと予想して復帰計画をたてました。

抗がん剤の最終投与は8月26日。
その2週間後、まず自宅から30メートルの公園まで歩いてブランコに乗ったりプラプラ散歩。少し自信がついたところで一番近いコンビニまで買い物に行く。
わずか400メートルの道のりがとてつもなく遠い目標でした。道中は杖を突いていても突然、ひざがカックンと抜けて崩れ落ちるように転ぶことが数回ありました。
体をまっすぐ起こして歩くだけで腰や腹筋、首や肩が痛み立っていられず、何度もベンチや植え込みに座って休みました。
体幹、体を支えるインナーマッスルを再起動しなければなりません。
リハビリの仕上げは抗がん剤の最終投与から3週間後。出社予定前の1週間に、駅まで歩いて電車に乗る「通勤の予行練習」です。
自宅から駅までは1点5キロメートル。
いつもは歩いて20分の距離が最初は1時間かかりました。足に力が入らないため次の一歩を着実に地につけてからじゃないと、一瞬だけでも片足の状態になると体を支えられないのです。

バリアフリーと恐怖の正体

一番苦労したのは駅構内の移動でした。
新型コロナウイルスの影響で人が少ないとはいえ、朝の通勤時間は目的地に急ぐ人の波が恐ろしい速さで改札口に押し寄せます。

階段の昇降は特に足に力が入らずに踏んばることができません。手すりにつかまろうと壁際へ歩くのですが、何度も人の波にのまれては放り出されてぶつかり、前に進む気力がすり減って行きます。
頭から真っ逆さまに転落しそうな恐怖を感じて足がすくみました。
予行練習の重要課題は経路の危険な箇所や、エスカレーターとエレベーターの乗り継ぎを確認することです。

自宅の最寄り駅は3つの路線が乗り入れていて連絡通路が複雑です。
特に私が利用するホームは他の路線と離れているため、空港ターミナルのように動く歩道があります。そこは深い地下通路で急な傾斜があり足腰が弱い人にはこれまたちょっとした恐怖感があります。うしろから急ぎ足で追い抜きざまにぶつかられると傾斜で転びそうになります。
そして職場の最寄り駅も複雑な構造をしています。地下5階のホームからエレベーターで地下1階まで行って乗り換えです。
地上の改札に行くエレベーターまでは遠く離れていて乗り継ぎが大変でした。
3年前に足首を骨折した時にも実感したのですが、本来ならば東京五輪が開催されていたはずの2020年でも、身体的弱者の立場になった途端に街は危険に溢れて見えるのです。
本当に必要としている人の立場からみると、バリアフリー整備はほとんど進んでいないなと実感しました。

予行練習で一番怖かったのは“人間”でした。エレベーターに乗る時に私の動作がノロかったからでしょう。背広の中年男性に舌打ちされて睨まれました。さらに男性は扉の閉まるボタンを連打!!!
なぜこんな仕打ちをされなければならないのかと悲しくなりましたが、元来黙ってはいられない性分です。
ケンカになったら腕力では確実に負ける。
私は帽子を脱いでスキンヘッドを露わに男の顔を覗き込んで、無言の抗議をしました。
男性はじっと俯いたまま私の目を見ようともしないで、扉が開くと小走りに去って行きました。

ところで…ZARDの坂井泉さんは抗がん剤治療中に車いすでスロープから転落して亡くなったのだったかな、と思い出し…決して気を抜かず、あせらずに、いくら時間がかかっても危険な場所は回避しようと心がけています。

出来ることから始めよう

7か月のブランクを経て仕事には復帰しましたが、仕事の質や内容よりもまず体力がガタ落ちで身体的に苦労しました。
指先がしびれてパソコンのキーボードを押し間違える。一度に2つのキーを押すことも多く原稿は誤字脱字ばかり。
夜帰宅すると足がパンパンにむくんでいる。

老眼が進んだのか抗がん剤の副作用か不明だがパソコン画面の文字がかすんで見えない。年齢のせいか病気のせいかその両方か…と愚痴をこぼしながらも復帰できたことは本当にうれしかった。
会社の上司が戻る場所を用意して、たくさんの仲間が笑顔で迎えてくれたこと。
よくがん患者に「頑張って」とか「よかったね」は禁句などと言いますが私に禁句はありません。
「早期発見できてよかった。初期で見つかってラッキー!がん企画やってたおかげで助かった。抗がん剤つらかったって今なら笑って言える」
本当はもう少し体力が回復してから復帰を…とも考えましたが、皆さんから受ける刺激がエネルギーになってどんどん体調も良くなっている気がします。
コロナのせいもあって孤独は何よりもつらかった。会いたかった人の顔を見て声を聞いて、感情が一気に弾力を取り戻しました。
これからは心も体も良くなるだけです。

治療後の定期健診

がん治療は抗がん剤を打ち終わったあとも経過観察は続きます。1年目は1か月ごとに検診。2年目は2か月毎、3年目は3か月で10年観察を続けます。10月に受けた血液検査では白血球も赤血球もあと少しでほぼ正常値という範囲まで回復していました。
腫瘍マーカーと言われる数値も問題なし。細胞診で組織を採ったので結果は翌月出るとのこと。抗がん剤による手足のしびれはまだ抜けませんが後遺症は少し残る人もいるとのことです。
医師はデータだけをみるのではなく、細かい皮膚感覚的な違和感や社会復帰に関する不安なども丁寧に話を聞いてくれました。
信頼できる医師に診てもらえてよかったなと思っています。そして信頼できるドSな整体師・綾子先生のサポートも欠かせません。
皆さんの力を借りて焦らずゆっくり体力を回復させていきます。

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