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大仏開眼への道15~鮮やかな色彩の記憶

色褪せた世界

白内障の手術を受けたのは2021年3月のこと。元の水晶体が入っている袋の破損や機材の故障で手術が一時中断するなど、次々驚くようなトラブルに見舞われました。しかしなんとか手術を終えた後は白内障用の人工レンズのおかげで実に鮮やかな世界を取り戻すことができました。しかし視界を遮る暗い影が忍び寄っていたのです。

白内障手術から2年6か月が過ぎたある日、眼球防衛隊N医師の診察で…
N医師「人工レンズに少し曇りが出ていますね 気になりますか?」
私「え?先生 眼の中にあるレンズが曇るってどういうことですか」
N医師「汚れですね 元々眼の中にあるたんぱく質とかが付着して曇ってきちゃうことがあるんですよ」
私「へぇ~初めて聞いたので汚れで見にくいって意識したこともなかったしわからなかった。確かに左目の下端が見にくい気はするけど」
メガネの曇りならば外して確認できますし拭けばすぐにきれいになります。
しかし眼の中で起きている曇りは、人工レンズの汚れなのか網膜症のせいなのか、私は原因がこれだと特定することなどできないと思いました。だってお腹が痛い時に自分でこれは盲腸じゃなくて腸閉塞とか、胆石があるなど自覚はできませんからね。
N医師「でも矯正視力0.9見えているので。気になるならレーザーで汚れを散らしてきれいにすることはできますよ」
苦しい手術をいくつも乗り越えて取り戻したはずなのに、白内障の手術からわずか2年半で人工レンズが曇ってしまったことに私はショックを受けました。気づかぬうちに、いいえ本当は視界を遮る暗い影に気付かぬふりをしていたのです。レーザーとはいえもうこれ以上手術なんてしたくはありません。

琥珀色とJoeのシャウト

私の仕事場はテレビ局内なので大小様々無数のテレビモニターに囲まれています。国会中継や各地で取材した映像、海外の通信社からもリアルタイムで情報が届きます。私がいまぼんやりと見ている調整用カラーバーの色は偽物なのかなあ。だとするならばテレビ屋の意地にかけてもう一度あの鮮やかな色のある世界を取り戻したい。

私がテレビの中にある鮮やかな色を強烈に意識したのは1970年代前半の小学3年か4年生の頃だったと思います。日立新キドスカープという新型ブラウン管テレビのコマーシャルでした。紙吹雪の中を歌舞伎役者が舞う。音楽はジョー・ウィズ・フラワー・トラヴェリン・バンドのメイク・アップ。Joe山中のシャウトに歌舞伎という異色のコラボレーションはあまりにも刺激的でした。CMの第二弾はたしかカルメン・マキ&OZの私は風だったと記憶しています。私がギターを始めたのは日立新キドスカープのCMも大きな要因を占めていると思います。FTBとカルメン・マキ&OZはいまも鮮やかな色とともに私の記憶に刻まれています。

もうひとつ忘れられない色があります。
中学生か高校1年か定かではないのですが、新しくカラーテレビを買い替えた日のこと。夕方に学校から帰宅した私は初めてスイッチを入れると、薄暗い部屋が美しい琥珀色に染まりました。それはロバートブラウンというウイスキーのCMで音楽はパープ・アルパート。思春期の私は「琥珀色」と言う存在を知って大人になったような気がしたものです。

曇りのち晴れ

2023年10月下旬。私は色を取り戻すため左目のレーザー手術を受けました。
正式な病名は白内障、手術はレーザー後嚢切開術です。
いつものように眼圧検査や診察を受けたあとレーザー手術室に移動。麻酔の目薬を点眼した以外は特別な準備もなく5分ほどで手術は終了しました。
検査用の瞳孔を開く目薬のおかげて半日ほどは視界がぼやけていましたが、ひと眠りしたあとに見た風景は・・・鮮やかな色に囲まれていました。テーブルの赤、ワセリン缶の青と白、スマートフォンのアイコンもくっきり美しい色が並んでいます。曇りガラスを拭いたような、ブラウン管テレビと液晶テレビ程に違います。これまで見にくくなっていた左目の下端は視界が明らかに広くなっています。
新しいミラーレスカメラも買ったばかりだし、これならもう一度バイクに乗れるのではないかなあ、せめてスーパーカブでもいいから乗りたいな。いやいや初老女の妄想ですよ妄想。今夜は「私は風」を歌いながらバイクを走らせる夢を見よう。





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