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ハラマキ通信 湯たんぽを抱えてみる夢は

大寒波の節分会に思う

テレビの天気予報はどの局も「大寒波」の見出しで解説していました。凍結による水道管の破裂、肉眼ではわかりにくい路面凍結のブラック・アイスバーン、気温の急な変化で心臓疾患などが起こるヒートショックと心配事ばかりです。滑って転んでまた骨折でもしたら大変。寝る時くらいは温かい布団でゆっくり体を伸ばしたい。
若くて馬力もあった20代の頃は仕事で徹夜や深夜帰宅する日が多かったので、奮発して布団乾燥機を買いました。タイマーで時間をセットしておけば真夜中にアパートに帰ってもすぐにほかほかの布団で寝られるのです。心の底から"幸せってお金で買える"と思ったことを今も覚えています。
あれから30年。時代に逆行するようですが令和五年の節分に湯たんぽを買いました。トタン製のMADE IN JAPANです。ぬくぬく。
湯たんぽの温かさは私にとって格別の思いがあります。

私が子どもの頃、祖母は家族の中で一人トタンの湯たんぽを愛用していました。私は祖母のぬくぬくしたお布団にもぐり込むのが大好きでした。寒い朝でもシャキッと起きて湯たんぽのお湯を洗面器に注いで顔を洗う。そのお湯の柔らかいこと。昭和40年代の前半までは蛇口をひねればお湯が出るガス給湯器など近所の台所にもあまり無かった気がします。だからお湯は今よりもっと大切に使っていました。

ヘルキャット対ハローキティ

湯たんぽ入れに使っているハローキティの布は、2020年に叔母が私のために縫ってくれた防空頭巾です。キルティング生地の厚みは低温やけどを防ぐのに最適で触り心地も柔らかです。叔母曰く「防災ではなく防空頭巾」なのだと。しかし出番がないまま押し入れで眠っていたので、いいえ防空頭巾の出番があっては困るので、私は両端を少し縫って湯たんぽ入れにしたのです。

書道家である叔母は米寿を迎えたいまも背筋ピンと伸ばして筆をとっています。大寒波の襲来で体調を崩してはいないかと電話をかけると。
「元気なんかじゃないわ、日本もどうなるかわかったもんじゃないから。
ウクライナがロシアに爆撃されて大変なことになっているでしょ。プーチンは何を考えてるのよ」
叔母は全身で憤っていました。毎日ニュースで流れてくる戦争の映像も、子どもの頃に体験した太平洋戦争も、叔母にとっては同じ生々しさで記憶に刻み込まれているのです。
「戦争の終わりに近い頃アメリカのグラマンに追っかけられたのよ」
それはグラマン社製の艦上戦闘機F6Fのことで通称"Hellcat" 忌み嫌われる地獄のゾンビ猫といったところか。
「あっという間に低空飛行でパイロットの顔が見えるくらいまで降りて来たの。機銃掃射でダダダッダダダッ!って足元すれすれを追っかけて撃って来て。それで兄貴が一人逃げ遅れてね。もう必死で泣きながら田んぼの用水路に飛び込んで逃げた」
叔母の兄貴は無傷で助かりました。
「今になってみればだけどね、アメリカの兵隊は本気で撃つ気はなかったのかな、兄貴を殺す気はなくて、子どもだから脅かしてやろうと面白がって追い回したんだと思う」
日本が戦争に負けたのは1945年。終戦前は叔母たちが住んでいた千葉県の八街や成東も空襲警報が連日発令されグラマンやB-29の爆撃を受けたそうです。
それでも私の母と叔父叔母と両親の家族5人は全員生きて終戦を迎えました。母が生きていたから今の私がいるのです。

叔母はなぜキティちゃんの布を選んで防空頭巾を縫ったのでしょう。
「日本がもしまた戦争になったら…キティちゃんの防空頭巾をかぶってるこんなに可愛い子がいたら兵隊さんは撃たずに逃がしてくれるかしら、なんてね」
叔母は笑って言いますが、じつは本気でそう思っているのかもしれません。
キティちゃんの防空頭巾に命を救われる老女、殺人者にはなりたくない兵士。日本の若い人たちも召集令状が届いたら千人針を腹巻きに入れて兵隊さんにいくのでしょうか。可愛い防空頭巾を見かけたら鉄砲を撃つその手を止めるの?

キティちゃんの防空頭巾と湯たんぽの鈍く光るトタンを眺めていたら、そうだ野坂昭如氏の「火垂るの墓」が本棚の左端にあったはず…古い背表紙を指で辿りながらつぶやく。

ねえ節子、サクマ式ドロップスの会社がね、ことし令和五年の1月20日に廃業したのよ。もう小さな宝物をしまうドロップ缶はなくなったの。
あ、見つけた。45年も昔に読んだ文庫本は表紙も中の紙も茶色く焼けています。冷めきった紅茶を飲みながら「アメリカひじき」の頁をめくると紙魚が一匹慌てたように泳ぐ。逃がしてやろう。次の新しい戦争がやって来ないことを祈って。


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