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後半戦の過酷なダメージ

真夜中の絶叫

ついに来た、抜けてきた。
髪の毛がゴッソリ抜けた。
全部抜けてしまえば楽になると思った。

抗がん剤開始からちょうど2週間。その夜。
2020年5月25日 午前2時
夫のアキオさんが「お茶いれようかね」と声をかけて起こしてくれました。なぜなら…
「うゎーっ」と私が叫び声をあげたから。
37.7℃の熱を出してうなされていたのです。
「わかっていても急に髪が抜けたり高熱出たら怖いよね不安だよね」と夫は言いました。気分を変えてどこかに連れて行けるくらいになるといいね、車に乗って横で景色を眺めているだけでいいんだからと。

それにしても我が家で飲むお茶はうまい。
そしてアキオさんが出してくれた氷枕。
ひんやり、気持ちいい。

家族の支え

夫のアキオさんは私より16歳上です。
老々介護というよりも今は私の方が圧倒的に負担かけています。ご飯も私の気分や体調を見ながら三食ご飯を作ってくれています。
2020年3月に受けた子宮体がんの手術は、
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、手術当日も夫だけが立ち会いを認められて、一人で何時間も待っていてくれました。

姉とは手術の日も会えず入院中は短いメールのやり取りしかできなかったので、退院してすぐに電話をかけました。
「お姉ちゃんの声久しぶりに聞いたら早く会いたくなっちゃった」
「私もだよ、でもコロナ怖いから我慢だね」
幼い頃は姉のくっつき虫だった私。
もう還暦近いというのに。
「お姉ちゃん…」あとの言葉が続きません。
姉は「私は、何をしてあげられるの」と声をつまらせました。
久しぶりの電話は会話があまり続きませんでしたが、お互いの命を守るために感染症が収束するまでは会わないでいよう、それまで元気でがんばろうねと約束しました。

つらい時は薬の力に頼る

抗がん剤を打って3日間ほどは猛烈な吐き気に襲われます。抗がん剤を打つ前に吐き気止めのイメンドという薬を処方されて3日間飲むのです。
食欲はかなり落ちるものの、実際に吐くことはありませんでした。体力、免疫力が落ちないように栄養になる食事を摂らなければこの闘いに勝てません。
抗がん剤を打ってから3日目あたりから関節も痛い、目も痛いひざも痛い、骨の髄から軋むように痛い。
何よりお腹の手術痕が内臓の奥から痛い。
冷や汗、しびれ。身を横たえてじっと耐えるしかありません。
痛み止めも処方されているのですが、私は3日目と4日目の一番痛みがしんどい時だけに飲むと決めていました。
副作用を抑える薬はつらい治療を乗り越えるために必要ですが、耐えられる程度ならなるべく薬に頼らず乗り切りたい。
抗がん剤のダメージが大きいのに、副作用を抑える薬でさらに体に負担がかかるのが心配だったのです。
6クール最後まで私の体は耐えられるのでしょうか。
抗がん剤治療の後半戦4クールからの破壊と再生は、細胞だけではなく私の心の中でも起きていました。

【抗がん剤memo】
2020年7月15日(水)
ついに4クール。折り返し地点に立った。
白血球もほぼ回復し投薬ゴーサイン。
回を重ねる度に点滴の針を指す場所を探すのに苦労する。
血管が細くなっているらしい。
手を温めて結んで開いてのグーパーしても血管が細くなっているから看護師も大変。血液検査も細い針で採りましょうねと。
若い頃は何度も献血をして「いい血ですね」と誉められたのに。
老化とはそういうところからも忍び寄ってくるものか。
点滴中に薬剤師が巡回。前回は起き上がれないほどめまいとしびれがしんどくて恐怖を感じたと話す。ここからがきついらしい。
7月17日(金)
口内の粘膜が痛い。皮膚の表面もピリピリ。
7月19日(日)
36.8℃ちょっと皮膚がピリピリ熱い。
足に力が入らない。まだお腹が張った感じ。
昨日今日と痛み止め飲んだ。
7月24日(金)
10日目。足のしびれと貧血っぽい症状が強い。立っていられない。
骨髄抑制だろう。
昨夜はアイス食べようとアキオさんに言われたが起き上がれず。
7月27日(月)
きのうスーパーまで買い物に行った。途中何度も休みながら歩いた。
足が筋肉痛。
7月29日(水)
血液検査はなんとかクリア。白血球がちょっと少ないけどね許容範囲。
来週5クールだ。足しびれ歩くのがしんどい。
長いこと寝たきりで段々筋力低下してる。
8月1日(土)
けさゴミ出しにいった帰り玄関ドア前でひざの力が突然抜けてストンと崩れ落ちた。幸いケガはなし。

抗がん剤投与のあと、血液検査の結果を聞くときは毎回ドキドキします。
白血球は基準値まで復調しているか。他の数値も悪ければ治療はここで中止です。
残りの2回気力を保てるのか。ギブアップはしたくないけれど体の方が耐えられないかもしれません。
薬剤師は「この抗がん剤は後半からが結構きつく感じる人が多いので、何か違和感などがあったらすぐ教えてください。副作用を押さえる薬もいろいろ種類がありますよ」
と教えてくれました。
「薬の効果もダメージも体に蓄積されて後半戦はさらに苦しくなるから、薬に頼っていいんですよ 」という的確なアドバイスでした。

【抗がん剤memo】
8月5日(水)
抗がん剤5回目。副作用が思った以上にしんどかった。
継続している分だけ白血球も減っているが許容範囲。炎症も許容範囲。
化学療法室の看護師はみな5回目ですね。これ終わったらあと一回ですねと励ましてくれた。4回目と5回目に臨む心理をよくわかってくれている。心強い味方。
8月6日(木)
きのう抗がん剤打ったので肌や口腔の粘膜がピリピリする。
まだ体の動きは軽いがそろそろ手足のしびれがやって来そう。
8月7日(金)
けさは体調良くて公園で10分ほど散歩した。
顔は抗がん剤特有のムーンフェイスでパンパンにむくんでいるけど。
昼には骨の髄からズキンと痛みが出てきた。
足も力入らず。
痛み止め4日目の土日に飲むバターンが多い。
まだ。まだ。
8月8日(土)
足に力が入らず骨盤辺りも痛い。
どーにもならん。早朝に鎮痛薬飲む。
夜36.9℃熱高め。足腰痛い。
就寝前にもロキソニン飲む。

抗がん剤と仕事の両立は三分の一

「試合の日も抗がん剤を打って出場していました」とスポーツ選手が語るがん保険の広告を何度か見たことがあります。最近は抗がん剤も進化してそんなに苦しくはないのかなと思っていました。
しかしそれは特別に鍛え上げた肉体と精神を備えた人だからなのかもしれません。
私は両立は出来ずに長期休職しました。
がん保険には入っていたので、仕事を長期休職して収入が無い状態でも、医療費を払って治療を続けながらなんとか生活することが出来ました。

主治医に「仕事との両立はみんなどうしているの」と聞くと、
「三分の一くらいかな、仕事しながら治療できる人は。薬の種類にもよりますけどね」
「私も最初は抗がん剤を打つ日だけ休んで、あとは普通になんとか仕事を続けられると思っていたんですけど」
「無理することはないですよ、会社の制度とか保険は出来る限り利用していいんです。
こういう時のために制度はあるんですから」
なるほど。
治療はお金が無ければ継続出来ません。
その先、仕事への復帰も重要な問題です。
長期治療で職を失う人がいたり、がんサバイバーとなると再雇用もまだまだ理解が進んでいるとは言えません。
私は会社の上司や仲間に、私はどこまで何が出来るのか、今不安に思うことを包み隠さず相談しました。すると。
「焦らないで治療に専念して。復帰は必ず出来る、戻る場所はここだから安心して」
私の抱え込んでいる不安を取り除こうと、サポートしてくれました。
戻る場所がある、待っている仲間がいるということは本当にうれしくてほっとしました。

私は耐えることばかりに気持ちが向いて、
力の抜きかたを忘れていました。
次は6クールの最終回。

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