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無限大な夢の後の、何も無い世の中。


幼少期に初代デジモンアニメを観れたのは、僕の人生の中でも幸運なことだったと思う。ド田舎の地方では放送されていなかったはずだが、どういうわけか僕はレンタルビデオ屋でデジモンの存在を知った。

いかにしてデジモンが僕の人生を変えたのか、まずは当時の心境について語りたい。なぜか私立幼稚園に通っていた僕は、小学校に入学した時点で友達がおらず、放課後に外で遊ぶよりも1人で絵を描く方が気楽で好きだった。ちなみに僕は甘えを許された三男坊だ。我儘な肥満児が新しいコミュニティに放り込まれ、どうなるかは想像に難くないだろう。

そんな僕は空想力が育ち、ジブリなどを観た後は喪失感がヤバく、自分も連れて行って欲しいと思っていた。もうテレビ画面を破壊して入り込む勢いである。現実なんて何も面白くない。アニメについて考えている方が楽しいため、想像が膨らむデジモンの世界観にハマるのは当然とも言える。


デジモンは現実世界と、デジタルワールドがリンクしているという、リアリティさが目新しかった。現代の少年少女達がガチのサバイバル生活をし、パートナーデジモンと共に敵の脅威を追い払う。絶対に楽しいがそれだけでもなく、別に仲良しメンバーでもない彼等は衝突を繰り返す。それで孤立したとしても、傍らには必ずパートナーデジモンが付き添う。デジモンだけは絶対に裏切らない。

このアニメを観て成長した人で、自分も選ばれし7人の子供達になりたいと願ったのは僕だけではないだろう。いや、これはマジで。たった今、笑った奴からハッ倒す。本当の本当に、僕も仲間達やデジモンと一緒に冒険の旅に出かけたい。この時点で僕は孤独でいることに耐えられなかった。でも勇気が無い。傷つきたくない。自分の手が届く範囲で満足すれば生活できる。

だけどデジモン最終回はパートナーとの別れだった。夢のような冒険をした子供達は現実に帰らないといけない。それぞれが相棒に別れを告げる。心理的に子供から大人になるため自立した瞬間だった。

僕を置いて行かないでくれ。心の支えだったデジモンが終わってしまえば、明日から何を楽しみに生きれば良いのだろう。でもラストシーンで気づいた。これは別れではない。たとえ離れ離れになったとしても、使い古された臭い言葉だとしても、心の中にデジモンはいる。

無限大な夢の後の何も無い世の中じゃ、そうさ愛しい想いも負けそうになるけど。

僕は友達を作った。現実なんて目じゃないぜ。つまらないのなら面白くしてやれ。欲しいものは手を伸ばして掴み取る。自分で選択するんだ。


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