見出し画像

私が私を好きでいられる本。 #家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった

出会いは「ブラジャー」

初めて岸田奈美さんのことを知ったのは「一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた」のnoteの記事。

「ブラジャー」という、記事のタイトルにはあまり入らなさそうなパワーワードと下着姿の女性のアイキャッチ画像が、やたら私のタイムラインに流れてくるのです。しかも感想は決まって「最高」とか「面白すぎる」とか大絶賛。必要のない浜田情報の共有をしますと、ネットのニュース、ツイッターネタには死ぬほど敏感で、常にアンテナを自然と張り巡らしています。


「何?そんなに面白いの?じゃあ読んでおかなきゃ!」



と直感的に感じ、読みました。感想は……「最高!」。
みんなと同じやんけ!
一応物書きの端くれなのに!
と自分自身に驚きましたが、事実なのでしかたないのです。


何この人、気になる。




その日から、岸田奈美さんは、私の中で気になる存在になりました。必要のない浜田情報の共有その2として、マイアンテナにひっかかると、私はしつこい。気になった数秒後にはその人のことを検索し、過去の記事があればくまなく目を通す。それはもう、びっくりするくらいねちっこい。

そして「この人知ってますか?めっちゃすごいんです。絶対読んだ方がいいですよ」と勝手に布教しては、知ってる私に酔いしれ、ナチュラルにマウンティングするタチの悪い癖がある(必要のない浜田情報の共有その3)。



そうしているうちに、決定打となるnoteが投稿されました。「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」ですよね。これも「万引き」というパワーワードとともにアイキャッチ画像の男の子に釘付けになりました。感想は、

……
………
…………


「一言くらいなんか言えよ!」って感じなんですが、事実私はこのnoteを読んだ後、無言でシェアだけし、

「あ、やべ!」と思い、慌ててお粗末な感想を添えています。

ぶぁぁぁってこみ上げる感情がすごくて、言葉にならなかったんです。インターネットの記事でこんなに心を奪われたのは初めてかもしれない。


さあ行け、良太。
行ったことのない場所に、どんどん行け。
助けられた分だけ、助け返せ。
良太が歩いたその先に、障害のある人が生きやすい社会が、きっとある。
知らんけど。

ここでほろっとして、完全に心を持って行かれました。



この本を読むのが怖かった

さて、このnoteは、岸田奈美さんの『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の読書感想文なのですが、岸田奈美さんファンのくせに、この本を通読したのは、今日が初めてです。正直に言うと、気が進まなかったんです。

だって読む前から、間違いなく大号泣する自分が見えていたから。特にお父さんの話です。私は、父の話には死ぬほど弱い。心の急所とでも言いましょうか。もちろんわかってます。岸田奈美さんが書いている「父」とは、マイファザーではなく、奈美さんファザーであることを。でもマイファーザーは、私が高校3年生の時に亡くなっていて、ちょっとだけ境遇が似ているせいか、奈美さんの話を自分と重ね合わせて、自分の心の急所を突かれるのが怖かった。

予想通り大号泣したけれど、ちゃんと読んでよかったです。本の中から印象に残った言葉と共に感想を書き進めます。


忘れないために書いている

パパが大好きな
ママと良太とわたしのことを、
最高だとほめてもらいたくて、
エッセイを書きはじめたよ。

うううううぅぅぅ。
表紙を開いて1秒後に私は泣いていました。はや!


勝手な推測ですが、奈美さんの全てのエッセイはお父さんに向けて書いているラブレターなのでないでしょうか。なぜなら、私がそうだからです。私が書くものは全て届かないけど、届いていたらいいなの気持ちで父に向かって書いています。


弟とわたし

母とわたし

この2つの章は、なんとか泣かずに持ちこたえました。そしていよいよ、きてしまった。

父と私


これは今までとは比べ物にならないくらいお父さんの話が多いだろうから、私は絶対泣きながらじゃないと読めない。思う存分1人で泣ける環境を確保して読み進めました。

6月9日 18時42分

忘れるという才能

は、奈美さんの話を読んでいるのに、心の奥に閉じ込めている父の記憶がどんどん出てくる不思議な感じがしました。急所をどんどん突かれて、錆びついている心の奥の引き出しがどんどん開く。

マイファザーの方の父は、私が高校3年生の2月14日に43歳で死にました。

画像4

(父と私、たぶん七五三)

私は、知的で仕事が好きで明るくて、面白い父のことが大好きでした。そんな父が死んでから私がとった行動は「父のことを考えないこと」。少しでも思い出したり考えたら、その場で泣き崩れてしまう、だから考えない。そうすれば泣かなくて済む。悲しくならずに済む。心の奥の引き出しにしまいこんで鍵をかけている感覚でした。

奈美さんのこの部分が、自分とやっていることが同じだから自分を重ね合わせてしまったのでしょう。

その代わり、忘れることにした。楽しい思い出も、悲しい死に様も、心の隅に追いやった。そしたら、つらくないことに、気がついた。


考えないようにしてきた結果、父の記憶が薄くなっていることに気づきました。きっかけは、長男が父の遺影を指差し「誰?」と聞いたことでした。「どんな人?」と聞かれた時に言葉に詰まったのです。私の心の奥の引き出しにしまいこんでるからすっかり忘れてしまった。

愛おしいなあ、と思った。そして気がついた。わたしは忘れるから、書こうとするのだ。
後から、情景も、感動も、においすらも、思い出せるように。つらいことがあったら、心置きなく、忘れてもいいように。


当たり前だけど、辛いことであっても書かないと、こんなに大きな出来事でも忘れてしまう。


だから私も書く人生を選んだんだった。


私ももっと書こう。嬉しいことも悲しいことも取るに足らない小さなことも。書いて書いて、生きていることを世の中に刻みつけよう。奈美さんの書く理由を読んで、はっとしました。



起こるかどうかわからないことに怯える前にできること

こうして父の記憶の引き出しを開けたのは、2度目です。3年前ブログを書いていた時に、家族や自分のことをたくさん書きました。その中でなんとなく父の話を避けている自分に気づいて、これは向き合わなければいけないと思い書きなぐりました。辛いとわかっているのに、やるとことが我ながらドMですね。(必要のない浜田情報の共有その4)

でもやってよかった。私が何に恐れているのかはっきりしたので。この時私はまだライターになる前でしたが、変わりたいと思っていました。家族もいるし、働きやすい職場もある。それなのに、常に得体の知れない不安に包まれていました。その不安は例えば夜1人でお酒を飲みながらテレビを見ているときとか、くつろいでいる時に限って突然やってくる。ブログを書いて避けている父の記憶に向き合い、はっきりとわかりました。私が恐れているのは、父のように

・ある日突然死んでしまうこと
・やりたいことがたくさんあるのに、志半ばで死んでしまうこと

今が楽しいと思えば思うほど怖い。この本の中に登場する写真家の幡野さんの言葉に重みを感じました。

起こるかどうかわからないことにおびえるより。起こったあとにどうするか

死を常に意識されているからこそ言える言葉ですよね。私はとっても元気だけど、そりゃあいつ死ぬかわからない。そう思ったら毎日何かしら刻みつけて生きないと後悔する。

だから書く。そして、恐ければ怖いほど、1秒たりとも後悔す時間は作らないようにしようと再認識しました。

画像3



好きな自分でいられる人と一緒にいたい

後悔しない人生を。そう決めてから、私は書く仕事をいただくようになり、後悔する選択を心がけるようにしました。そうしたら、自然と好きな仕事と好きな人に囲まれて働けるようになってきました。

奈美さんも書いている、

自分によい影響を与える人の存在は、自分で選ぶことができる。

これって本当だと思うんです。

まず、いい加減な選択をしないこと。
今日食べるものだって、今日着る服だって真剣に選びます。そうしたら私が喜ぶから。私が喜ぶと人に優しくできるから。私はそういうときの自分が好きです。

画像2

(アイスを選ぶときだって真剣です。)

それから自分の心に嘘をつかないこと。
嬉しい時に嬉しいというのは比較的簡単ですが、悲しいことを認めるのって意外と難しいのです。なぜなら大人になればなるほど見栄やプライドが邪魔をするから。傷ついている自分を認めることが難しくなる。それから、意見が違う時にそれを正直に言うのも難しいですよね。だって言って嫌われたら嫌だから。でもそういうことをやめました。だっていいと思ってない自分の心に蓋をしているから、それってつまり私を大事にできていない。私を大事にできてないのに、他の人を大事にできるはずがないんです。

この本にも書かれていました。

好きな自分でいられるときほど、他人に優しくできているのかもしれない。

私もこうありたい。好きな自分で常にありたい。そして人に優しくありたい。だからこそ、私は好きな自分でいれるために好きな自分でいさせてくれる人と共に歩ける選択をしています。



『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった 』を読み終わって改めて思ったことは、この本は、奈美さんのストーリーなんだけど、「これでいいのかな?」って私がぼんやり思っていたことに対して、「これでいいのだ」と奈美さんに背中をそっと押してもらえました。読んでる途中は辛いことも思い出したけどやっぱり好き。だって私は私のままでいいと思わせてくれたから。

この本は、私が好きな私でいさせてくれる本です。

画像2



このnoteは「キナリ読書フェス」にて、最優秀賞をいただきました。ありがとうございます!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?