自意識過剰は、こうして捨てた。

昨日こういうnoteを書きました。

これを直すだけでの「これ」とは「自意識過剰」です。
自意識過剰を直すだけで、もっと伝わりやすい文章になる。私自身が自意識過剰なところがあって、発信が上手にできていなかった経験があるのでその経験を元に書きました。

では、私はどうやって自意識過剰を捨てたのか?についての話について。振り返ってみると理由は2つあります。



いじいじしている場合ではない。

自意識過剰であることが、いけないとは思ってはいません。でも、発信して多くの人に読まれたいならば、ない方がいいんです。
いわゆる成功している人、努力している人、もっと平たくいうと「すごい人」で私は自意識過剰な人にお目にかかったことがありません。それって自分のやりたいことや行動の目的がはっきりしていて、そこに向けて努力しているから自意識過剰になって躊躇している時間がないんだと思う。

箕輪厚介さんであったり、前田高志さんであったり、箕輪編集室でご一緒した運営チームのみなさんだったり。努力している人は、素直だし無駄がない。すぐ判断してすぐ行動している。「私もこういう風になりたい」と思うようになりました。書きたいし、書いたものを読まれたいし、書いて幸せになりたいからライターになったはず。だったら、いじいじしている場合ではないのです。



もっと読まれたい気持ちが強くなった

2つ目は、コミュニティ運営をさせてもらっていた時の経験です。コミュニティマネージャーとして何かしら投稿する時、自分が書くものは思っている以上に読まれていないし正しく伝わっていない経験を多々しました。その事実を突きつけられたからです。日頃はWEBライターなので、PVで数値は把握できても、どこまで深く理解されたかは知りようがないんです。シェアしてくれたり、たまにコメントいただくことはあっても、基本的には数を見るしかない。

でも、コミュニティで投稿するとすぐ反応が出ます。書いた自分の意図が伝わっていないこと、予想外の反応があったり誤解を招くこともあります。そういう時は歯がゆくなるかれどそれが現実で、現実が正解。届いていないということは、書く側の何かが足りていないのです。

つまりコミュニティで何かを投稿するということは、自分の書いたものがきちんと伝わっているかどうかのコンバージョンがすぐ現れる。届いていないと悔しいけれど、届いたとき、伝わった時はとっても嬉しい。だからコミュニティの人にもっと届いて欲しいなと考えるようになった時、私の自意識などどうでもよくなりました。



こんな風にして、私は自分の自意識過剰なところを直しました。昨日自意識についてのnoteを書いたら、思いの他たくさんの反応をいただいたので、この話も誰かのお役に立てれば幸いです。

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