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小澤征爾氏お別れの会に参列して

去る2024年2月6日に永眠された小澤征爾氏のお別れ会が催されたので、参列して献花と記帳をしてきた。
(2024年4月14日)

氏が入学し、それ以降もゆかりが深い成城学園の主催だが、我々一般人が自由に参列できる機会が作られたのはありがたかった。

成城合唱団の歌う「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、氏と一緒に演奏したり、教えを請うた演奏家も飛び入りでバッハの「アリア」を演奏をしたりと厳かな雰囲気もあったが、献花時間のBGMは氏が指揮するニューイヤーコンサートのワルツで和やかな雰囲気であった。

わたしが小澤征爾氏がコンサートで指揮をする姿を見たのはたった一度だけである。(1988年9月9日 新日本フィルハーモニー交響楽団特別演奏会)

スケジュールが合わなかったり、さすがに氏が指揮する演奏会は人気なのでチケットも確保できなかったり。

それと、まだクラシック音楽を聴き始めた若い心の中では
「クラシック音楽を聴くなら、最高峰であるの海外の指揮者の演奏を聴かなければ」
という考え方があったことも事実だ。

コンサートはたった1回だったが、氏が住んでいた成城の街では何度も姿をお見かけした。

行きつけの蕎麦屋や薬局の前、成城学園のグラウンドでは同窓生とだろうか、グループで話しながら自転車を押す姿。

ボストン・レッドソックスのキャップから覗く白髪に青いダウンがいつものいでたち。

ある夏の日、日付が変わろうとする遅い時間、駅前のベンチに座っていたこともあった。

わたしはちょうど飲み会からの帰り。酔いに任せて話しかけようか、と思ったのだが、わたしには立ち上るオーラが感じられて、そのまま通り過ぎてしまった。

音楽に対しては厳しい姿勢で取り組んでいたが、とても気さくで地元の方にも愛されていたと聞く。

お別れの会の会場のロビーではミニ写真展も開催され、指揮台とは違うお茶目な姿を見せる氏の写真も多数あった。

まだまだ海外とは遠く隔たった時代にひとり貨物船に乗り込み、スクーターでヨーロッパを駆け回り、指揮者コンクールで優勝するという、バイタリティ溢れる姿は著書「僕の音楽武者修行」に詳しい。

日本人が西洋音楽をできるのか?

人間は生まれた場所に関係なく、ほぼ同じ時間を与えられている。だから、日本人もヨーロッパの人間と同様、同じレベルになることができるはずだ。そのための実験を僕はしている。


生前、テレビインタビューで語っていた言葉。

その実験を繰り返し実践し、西洋音楽の本場で認められて「世界のオザワ」になった。そして今や日本のクラシック音楽のレベルは世界に匹敵するようになった。
(その陰には、氏の師匠、齋藤秀雄の存在が大きいことは間違いない)

その功績への感謝と
「最高峰であるの海外の指揮者の演奏を聴かなければ」
という若いころのわたしの考えを正し
「お元気な時にもっと氏の音楽を生で聴いておけばよかった」
という後悔も添えて、にこやかにほほ笑む肖像を前に献花をした。

皮肉にも世界と隔絶されたコロナ禍以降、日本人音楽家の活躍の範囲は拡大し、評価もとても高いものになっている。

クラシック音楽をはじめ、芸術面における環境はまだまだ厳しいものがあるが、今後の日本のクラシック音楽界の動きを、偉大な巨匠たちと一緒に小澤征爾氏は天国から見守っていることだろう。

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