Harayan ハラヤン

クラシック音楽を中心に。また日々の体験で新しく発見したことを書いていこうと思います。底…

Harayan ハラヤン

クラシック音楽を中心に。また日々の体験で新しく発見したことを書いていこうと思います。底なし沼のように奥深い、そしてあちこち思わぬ方向へ繋がっていくこと。どんな発見ができるのかを楽しみです。 https://twitter.com/HarayanV

マガジン

  • 読んだ本について

  • ベートーヴェン「第九」初演200周年

    2024年はベートーヴェンの交響曲第9番、通称「第九」が初演されてから200周年。いろいろな「第九」を聴いて、さらに学んでいくために

  • 旅したことについて

    自分自身が旅したこと、旅について考えたことなど、ふと思いついた時に書いてみた。

  • ベートーヴェンを毎日聴く

    ベートーヴェン生誕250周年の2020年。元旦から大みそかまで毎日、作品番号順に全作品を聴き続けてTwitterにUP。そのまとめとして再度作品を聴き140字では書けなかったこと、後から調べたり思ったことも加えて順次noteにUP。つまりベートーヴェンの全作品を再び聴いています。

  • 見た映画について

    見た映画について思ったことを書いてみました。

最近の記事

欧州連合(EU)の歌にも採用。ベートーヴェン「第九」初演200周年(2024年)

欧州連合(EU)の歌として、ベートーヴェンの「第九」第4楽章の一部が採用されている。 EUの前進、欧州評議会の時代に採用され、今日まで引き継がれている。 欧州を一体とすることで、国を超えた共通の体制を敷くことにより、全ての加盟国の社会・経済の発展や自由を保障する。 そして、それまで繰り返し行われてきた悲惨な戦争をなくすことは大きな目的のひとつである。 出入国も自由になり、通貨も「ユーロ」に共通化された。 国歌はそれぞれの国にまだ存在するが、ベートーヴェン「第九」によ

    • 政治的な利用もされてしまった「第九」の歴史。ベートーヴェン「第九」初演200周年(2024年)。

      「ヒトラーの第九」と題されたCDがある。 1942年4月19日、翌日のヒトラー誕生日を祝う演奏会の記録である。 音声はとても悪い。しかし、そこから聞こえる音楽は、何か異様な緊迫感が感じられる。 ドイツの巨匠フルトヴェングラーが指揮する第九の特徴、中でも特に第4楽章の一番最後のテンポが異常な加速をして音楽が崩壊寸前になることだが、この演奏会は、なんというか、自暴自棄とも感じるような結末で終了する。 「こんな演奏会、早く終わってしまえ」 とでも言うように。 ******

      • 裁判官もやっぱり人間なのだ。「裁判官の爆笑お言葉集」を読んだ。

        「裁判官の爆笑お言葉集」 著:長嶺超輝 この本を手に取った理由、それは間違いなくタイトルである。 「裁判官」と「爆笑」 である。 お堅いイメージが付きまとう「裁判官」が発するお言葉には、実は「爆笑」してしまうようなものがあるという大きなギャップ。 これに魅力を感じないわけにはいかない。 でも、この本を読んだわたしは「爆笑」できなかった。 「クスッ」と笑えることはあった。 あとは「なるほど」とか「ほー」とか「へぇー」とか。 笑うより、その言葉の裏にある背景、つ

        • 小澤征爾氏お別れの会に参列して

          去る2024年2月6日に永眠された小澤征爾氏のお別れ会が催されたので、参列して献花と記帳をしてきた。 (2024年4月14日) 氏が入学し、それ以降もゆかりが深い成城学園の主催だが、我々一般人が自由に参列できる機会が作られたのはありがたかった。 成城合唱団の歌う「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、氏と一緒に演奏したり、教えを請うた演奏家も飛び入りでバッハの「アリア」を演奏をしたりと厳かな雰囲気もあったが、献花時間のBGMは氏が指揮するニューイヤーコンサートのワルツで和やかな雰

        欧州連合(EU)の歌にも採用。ベートーヴェン「第九」初演200周年(2024年)

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        • 読んだ本について
          9本
        • ベートーヴェン「第九」初演200周年
          3本
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          0本
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          375本
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        • 3分間クラシック
          4本

        記事

          2024年は初演200周年。さらに深く知りたくなった、ベートーヴェンの「第九」のこと

          東京・春・音楽祭2024 東京春祭マラソン・コンサート 《第九》への道―《第九》からの道 を聴いた。 (2024年3月26日 東京文化会館 小ホール) ◎「第九」をさらに知ることができた素晴らしい企画 1824年5月7日、ベートーヴェンの交響曲第9番はウィーンで初演された。 世の中に交響曲第9番は数々あるが、「第九」といえばベートーヴェンの交響曲第9番を指すことがほとんどだ。 2024年はそれから200年後という区切り良い周年なので「第九」にまつわる話題が多く出てくる

          2024年は初演200周年。さらに深く知りたくなった、ベートーヴェンの「第九」のこと

          冬から春に変わる季節に合う。シューベルト/ピアノ三重奏曲 第1番を聴いた。

          『シューベルト/ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 op.99, D.898』 季節は冬から春へ。寒さで縮こまった体を解き放ってくれるような曲。 でも、この作品はシューベルトが亡くなる1年前、体調が思わしくない頃の1827年に作曲された作品である。 シューベルトは同じ年に歌曲集「冬の旅」を作った。シューベルトの不朽の名作とされているが、「死」というものを心の奥底に持ちながら作られたとも言われる。 あの暗くて絶望的な世界が続き、わたしにとっては聴き続けるには相当の覚悟を持

          冬から春に変わる季節に合う。シューベルト/ピアノ三重奏曲 第1番を聴いた。

          「編曲」されたクラシック音楽作品を聴く楽しみ

          最近聴いているクラシック音楽作品は、作曲者が作った原曲から「編曲」された作品を聴く機会が多い。 その「編曲」のパターンは様々である。 例えば、演奏形態でいえば、通常オーケストラという様々な楽器を大人数で演奏しているものをピアノ1台だけに編曲したものや、逆に通常ピアノ1台で演奏されるものをオーケストラで演奏しているものもある。 吹奏楽で演奏されるために編曲されたものや、例えばジャズなど異なるジャンルに編曲されたものもある。 つまり、良く聴きなれた曲なのだが、編曲によって

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          「おお、友よ、このような音楽ではない!」ベートーヴェンの作品と間違われた交響曲を聴いた。

          “O Freunde, nicht diese Töne!” 「おお、友よ、このような音楽ではない!」 これは、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で、バリトン・ソロによって一番最初に歌われる歌詞である。 もし、ベートーヴェンとは別人が作った作品が、何かの間違いで 「これはベートーヴェンの作品である」 として世に広まったら、ベートーヴェンはきっとこう言ったことだろう。 かつて、ベートーヴェンの新発見の交響曲とされながら、実は別人の作品だった、という作品がある。 すで

          「おお、友よ、このような音楽ではない!」ベートーヴェンの作品と間違われた交響曲を聴いた。

          ピアノの名曲「愛の夢 第3番」(リスト作曲)。その原曲にある意外な怖さとは?

          「あなたが好きなピアノ曲は何ですか?」 そのアンケート結果において、フランツ・リストが作曲した「愛の夢 第3番」は、必ず上位に入るであろう。 世の中に数多くあるピアノ曲のなかでも、抜群の知名度と人気を誇る作品である。 しかし、この作品、最初からピアノ曲として作られたのではない。 すでにあった別の曲をピアノのために編曲したものである、ということはあまり知られていないことだ。 そして、その別の曲、ピアノ曲に編曲する前の原曲、を聴いてみると 「あれ、ピアノ曲とは、かなり様

          ピアノの名曲「愛の夢 第3番」(リスト作曲)。その原曲にある意外な怖さとは?

          「イタリア作曲家の13人」による「ロッシーニのためのレクイエム」を聴いた。

          ロッシーニが1868年11月13日にこの世を去った時、彼を追悼するための作品がイタリアの作曲家13人によって作られた。しかし、それが初演されたのはロッシーニの死後120年も経った1988年だった。 そんな話を知ってとても驚いた。 いったい、何があったのだろうか? イタリア作曲家の13人とは誰か? そして、それはどのような作品なのだろうか? 調べてみて、そして聴いてみた。 *************** ●ヨーロッパ中を虜にしたロッシーニ。 ジョアキーノ・ロッシーニ(1

          「イタリア作曲家の13人」による「ロッシーニのためのレクイエム」を聴いた。

          ブロムシュテットが指揮する2度目のマーラー/交響曲第9番

          御年95歳の指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットは今年の10月も来日してNHK交響楽団を指揮する予定である。わたしもその公演に行く予定だが、今回聴くのはマーラー/交響曲第9番を指揮する公演である。 ブロムシュテットは2010年4月にもNHK交響楽団で同じ曲を指揮したのだが、わたしはその公演を鑑賞していた。 当時82歳だったブロムシュテットが、12年の歳月を経た95歳で再びこの作品を指揮する。マーラーの交響曲第9番は演奏回数もそう多くはない作品。なので、そんなことはだれも想

          ブロムシュテットが指揮する2度目のマーラー/交響曲第9番

          歌姫の歌声を聴き、歌姫のために作られたデザートを食べてみた。

          「ピーチ・メルバ」というデザート。 以前どこかで食べた様に記憶しているのだが、そんな状態なのでどんな味だったのかは覚えていない。 その名の通り、桃を使ったデザートで、桃とバニラ・アイスクリーム、そこにイチゴのソースをかけたものらしい。 以前聴いたCDにピーチ・メルバが登場。その名前の由来となったソプラノ歌手「ネリー・メルバ」の歌声を聞いたからには、再びピーチ・メルバを実食しなければならないと思った。 桃の旬はまさに今。もうすぐ終わる。これを逃すと来年になってしまう。そ

          歌姫の歌声を聴き、歌姫のために作られたデザートを食べてみた。

          名前に関するエピソードが興味深い。ネリー・メルバの歌声を聴いて。

          聴いたCDから得た情報を元に、さらに横展開してCDを聴いてみた。 (先日聴いたCDはこちら ↓ ) ネリー・メルバ(1861~1931年)は1900年代初期に活躍したオーストラリア生まれのソプラノ歌手である。 彼女の名に関するエピソードがとても妙味深いものであった。 ●その名が彼女に由来する食べ物がたくさん 桃を使ったデザート「ピーチ・メルバ」は彼女にちなんで名付けられたものである。 ロンドンでオペラ出演のために泊まっていたホテルの料理長は有名なオーギュスト・エスコ

          名前に関するエピソードが興味深い。ネリー・メルバの歌声を聴いて。

          レストランでの食事を音楽で表現した「美食大協奏曲」(マニアックなクラシックCDを聴く①)

          世の中には「なんだこれは?」「こんなのがあるのか!」という、クラシック音楽作品がいっぱいあるようだ。でも当然、それらは滅多に聴くことができない。 何かのきっかけで巡りあった、そんな作品を聴いてみた。 ♪♪ マルコム・アーノルド/美食大協奏曲op.76 ♪♪ イギリスの作曲家マルコム・アーノルドが、パロディ音楽祭「ホフナング音楽祭」で上演されるために作曲した。 音楽の演奏だけでなく、舞台上にはレストランの客とウェイターが演技する。 作品にも出てくるデザートの「ピーチメ

          レストランでの食事を音楽で表現した「美食大協奏曲」(マニアックなクラシックCDを聴く①)

          演奏会プログラムの曲の「間」について思ったこと(日本フィルハーモニー交響楽団 第741回東京定期演奏会を聴いた)

          ピアノ協奏曲が2曲目に入るプログラムをサントリーホールで聴くことは、わたしにとって初めてだったのだろうか? というのは、ピアノを使用しない1曲目との曲間でピアノをステージ中央に移動させるのだが、要した時間がものすごく長く感じたからである。測ったわけではないが5分以上はかかったであろう。休憩を除いて、わたしにとっては最長の「間」であった。他のホールではこんなことは無かった。ステージがちょっと特殊な(機械式でステージ段差を付けることができる)サントリーホールでは、もしかしたらこ

          演奏会プログラムの曲の「間」について思ったこと(日本フィルハーモニー交響楽団 第741回東京定期演奏会を聴いた)

          今後、会って、話す機会が増えても苦しまない。「会って、話すこと。」を読んだ。

          会話する機会が少なくなった。 それは誰でも同じだろう。いまの環境であれば。 久しぶりに人と会い話しをすると、すごく嬉しく思う。 でも何か違和感、がある。 話すことが下手になったのではないか。もともと下手だと思っているのだが、更に下手になってしまった、と強く感じるのである。 これは大ピンチである。 最近になって、「ようやく」という感じなのだが、オンラインを介して複数名参加の会議をする必要性が出てきた。 「きっと便利だろう」 なんて、思ったけど、終わった後の満足度

          今後、会って、話す機会が増えても苦しまない。「会って、話すこと。」を読んだ。