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ジョッシュ・フリーズ インタビュー

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 これまで、上手いドラマー/凄いドラマーはたくさん見てきたが、プレイを見ていて背筋がゾクゾクするほどの感動を覚えた経験とまでなると決して数多くはない。そして、そんな瞬間を味あわせてくれたうちの1人が、スーパー・セッション・ドラマーのジョッシュ・フリーズだった。
そんなジョッシュが、2019年10月に来日したスティングのバック・バンドでドラマーを務めた際、公演の会場となった幕張メッセにてインタビューすることができた。直に対面してみて、あらためて実感したのは、数え切れないほどのライヴやレコーディング現場で活躍してきたキャリアを支えているのが、その超絶的な技能に加え、時折ブッ飛んだセンスも見せつつ、常に人を笑顔にさせる大らかな性格だということ。このキャラクターが2006年以降のナイン・インチ・ネイルズにもたらしたものは(前任のジェローム・ディロンとは対照的なだけに)けっこう大きかったのではないかという気がする。
限られた時間の取材で、なんだかジョッシュ自身も話し足りなそうにしていたので、いつかまた続きをやってみたい……と思いつつ、ここだけでも十分いろんなことを語ってくれた。

通訳・翻訳:網田有紀子

実は、大ファンなんだけど、「もしドラムを頼まれても断ると思う」って公言してきたアーティストが2組いる

ーースティングとの最初の仕事は、2005年頃の"Broken Music Tour"だと記憶しているんですが、そもそも彼との最初の出会いはどんなものだったのでしょうか?

ジョッシュ:ちょうど彼が『Sacred Love』のツアーを終えた頃、かなり大人数のバンドとツアーした後だから、今度はスケールダウンした小さいバンドでやりたくなったみたいでね。もっとロックンロールなポリスの曲をやりたいから新しいドラマーが欲しいってことで、当時インタースコープ・レコーズでスティングと仕事してて、今ではマネージャーになったMartin Kierszenbaumって人が、「ドラマーを探してるなら、ジョッシュ・フリーズにあたってみたら?」と言ってくれたんだって。スティングはその言葉を信頼して「うん、わかった」って答えたらしい。それで、彼がロサンゼルス公演をやる際に呼ばれて会いに行ったんだけど、確かサウンドチェックの後に30分くらい話をしたのかな? それだけで仕事を貰えたんだよ。いきなり、「数ヵ月後にリハーサルを始めるから」って言われたんだ。俺としては「なんてこった、まだ一緒に演奏もしてないのに本当にいいの?!」って思ったよ(笑)。でも、俺を信頼してくれたってことで、それはつまり、マーティンを信頼してたってことだね。ちょっと話しただけで、俺が相応しいと判断してくれたっていう。一度もプレイしないまま決まっちゃったんだから、面白いよね。フォーマルなオーディションなしに、30分ほど話しただけで、はい採用って。

ーースティングのセルフリメイク作品『マイ・ソングス』を聴いて、スチュワート・コープランドによるオリジナルのドラミングのノリを生かしながらポリスの曲を更新するためには、あなたのドラムが最も相応しいという判断があったのではないかと思いました。ポリスのナンバーをプレイするにあたって、スティングから特に何か指示などはありましたか?

ジョッシュ:いや、特には。『マイ・ソングス』のためにレコーディングした曲は、すでにライヴで長いことやってきたものばかりだったしね。俺はオリジナル・ヴァージョンに忠実にやっていて……もちろん、すべてのフィルとか、すべてのプレイがスチュワートと同じってわけじゃないけど、スタイル的には忠実だったし、アプローチもかなり似ていた。スティングから指示があったとしたら、それはだいぶ以前にあったことだ。レコーディングの段階になる頃には何度もライヴを繰り返してきた後だったから、ただスタジオに行って、ナッシュビルで1日オフがあったときに短時間でレコーディングしただけだったよ。そんなに長い時間をかけてやったわけじゃない。それどころか、レコーディング中はこれが何のためのレコーディングなのかも知らなかったくらいでさ。とりあえず録音して、後になってアルバムになるんだってわかったんだよ。だったらもっと集中したのに!っていう(笑)。ともかく、オリジナルのフォームに忠実にプレイするという以外には、特にスティングから指示みたいなものはなかったね。

ーー叩いていて、いちばん楽しいポリスの曲は何でしょう?

ジョッシュ:そりゃ、まいったな。好きなのは"Walking on the Moon"と、"Next to You"、あと"Message in a Bottle"とか……あり過ぎだよ。"King of Pain"もいいし、いい曲が尽きることがない。リストがどんどん長くなっちゃう(笑)。

ーースチュワート・コープランドというドラマーは、「技術力が高い」というよりは「とても個性的」と形容したくなるタイプのドラマーだと思います。あなたは、彼のことをどう評価していますか?

ジョッシュ:うん、スチュワートはかなり個性的だ。彼は本当に興味深い独自のスタイルを持っていて、独自のサウンドがある。誰か他の人の発言だけど、俺も同意するのは、「スチュワート・コープランドは、70年代におけるジョン・ボーナムみたいな、80年代のロックンロール・ドラマーだった」っていうこと。ジョン・ボーナムには70年代のロックンロールにおける独自のスタイルがあって、彼みたいになりたいという新しい世代のドラマーを生み出した。そして80年代には、スチュワート・コープランドがポピュラーなロック・ミュージックの最前線にいて、誰にも真似できないサウンドをものにしていた。それは今も変わらず、誰とも同じじゃない。俺の世代のドラマーで、スチュワートを好きじゃない人はひとりもいないと思うよ。「スチュワート・コープランドなんか好きじゃない」とか言う人には一度も会ったことがない。誰もが大好きなんだ。彼のスタイルがどう個性的なのか、ピンポイントで言い当てるのは難しいな。とにかく別の星から来たみたいだ。そして彼は興味深いミュージシャンであり、ギターも上手いし、ソングライターでもあるし、ただのドラマーじゃなくて多才なアーティストだ。それでいて特に教育を受けたわけでもないっていう。何か理由があるはずなんだよね。彼のドラミングはエキサイティングで、クリエイティヴで、無骨で……でも、うん、個性的っていうのは最適な言葉だね。彼みたいなサウンドを出せる人は誰もいないんだから。彼みたいにやろうとしても、誰にもできない。すごくシンプルなことでさえ、彼が叩いたのとまったく同じようにやってみても、同じには聴こえないんだ。彼のドラムは最高の音がして、当時のラジオでよく流れていた他のドラムとは違っていた。独自のドラム・キットによるサウンドとプレイの仕方で、そのドラミングははっきりと聴き分けられるし、耳にすればすぐにそれだとわかる。

ーーさて、ドラマーとしてのあなたを大きく特徴付けているのは、非常に上手いのに、出自がジャズやメタルやプログレとかではなく、パンクにあるというところなんじゃないかと思っています。

ジョッシュ:ああ、その通りだね。

ーーあなた自身は、他のドラマーとの違い/自分の個性をどう意識していますか?

ジョッシュ:なるほどね。俺はパンク・ロックに入れ込む前からレッスンを受けていて、小さい頃はジャズを聴いていたし、プログレも好きだった。それから、15か16歳になった頃にシフトしたんだ。当時のドラマーの多くはたくさん練習して、かなりシリアスだったけど、そんな中で俺は曲作りにも興味を持って、ギターも弾くようになって、パンク・ロックも好きになった。そうやって単にドラムだけを練習してこなかったことが、後の俺のドラミングと、ミュージシャンとしての俺を、助けてくれたんだと思う。ドラムの練習だけじゃなく、作曲をやってみたり、ソングライターから影響を受けたり、自分が受けてきた教育を忘れて……つまり洗練されたドラミングのことをいったん忘れて、もっとアグレッシヴで生々しいドラミングや音楽に入れ込むようになったんだ。それは、けっこう珍しい組み合わせだったと思う。ポリスとスチュワートに関しても言えることで、つまりポリスの初期のアルバムにはプログレッシヴな音楽的要素があったし、パンク・ロックだ!っていう瞬間もあった。だから問題なのは、パンク・ロックのバンドやミュージシャンにはパンクしかやってきてない人が多くて、洗練された技術を必要とするプレイをやらずに、パンク・ロック以外のものに挑戦してきてないっていうことだと思う。その一方で、洗練されたミュージシャンの中には、その洗練を失くすことができない人がいる。ダーティなプレイができないというか。その両方ともできるのがナイスなコンビネーションだと思う。俺は荒々しいパンク・ロックを取り入れ、それを少しトーンダウンさせて、もっと音楽的なものに融合させることができる。うまく説明できてるかどうかわからないけど、両方の世界のバックグラウンドを持っているのはいい組み合わせだと思うな。洗練された音楽の世界と、洗練されてない音楽の世界っていうかね(笑)。というのも、その二つは滅多に交わらないものだからさ。そこが問題なんだ。すごくいいミュージシャンかもしれないのに、守りに入ってしまって残念なことがあるし、もしくはエキサイティングでクレイジーなプレイをやるけど、複雑なプレイはできないのも残念だ。その両方ができるのがナイスだと俺は思う。

ーー90年代以降に発展した新しいパンクの流れの中で、あなたが「音楽性や精神性はパンクだけど、実はドラムが超上手い」というバンドの流れを作り出すのに貢献したと考えているんですが、自分でもそういう意識はありますか?

ジョッシュ:どうかな(照笑)。それってすごく……責任重大なことだね。というか、俺の謙虚な部分は、ノーと言うだろう。そうは思わないよ、ってさ。もしかしたらそうなのかもしれないけど、そうかもしれないって言うのすら間抜けな気がする。自分を持ち上げ過ぎてるような。だから、それはどうかわからない。もし他の誰かがそれをやってのけてくれたのなら最高だ。それでいいよ。それってすごい褒め言葉だから。でも、誰にもわからないことだよね。

ーースティング、DEVO、ガンズ・アンド・ローゼズなどなど、非常に幅広い仕事をしてきたあなたですが、その中でも特に、これは自分でもいい仕事をしたなあと感じているものをいくつか挙げてもらえますか?

ジョッシュ:ア・パーフェクト・サークルと作ったアルバムは気に入ってる。すごくよかったと思う。それから……ヴァンダルズのアルバムにも大好きなのが何作かあるし、そうだ、クリス・コーネルの『ユーフォリア・モウニング』もいいよね。あと好きなのは、マイケル・ブーブレとやったやつが、すごく気に入ってる。彼の大ヒット曲のいくつかで俺が叩いてることを知ってる人はあまりいないと思うけど、ラジオでよく流れるようなヒット・ソングで叩いてるんだ。誇りに思うのは、スーサイダル・テンデンシーズとだいぶ前に作ったやつ(※『ジ・アート・オブ・リベリオン』)とか。DEVOも大好きで、何年も一緒にやってきてる、特に好きなバンドのひとつだ。スティングとやれるようになったことも、もちろん光栄だよ。だいぶ前に心に決めたのは、俺は常にいろんな人とレコーディングをしてるけど、《自分のバンド》以外ではツアーはやりたくないってこと。ただしスティングだけは別だ。彼とだったらツアーしてもいい。それ以外のソロ・アーティストはダメ。だって、忙し過ぎるんだよ。俺には家族がいるから、誰かといっしょにツアーして、彼らの音楽をやって、言ってみれば雇われた状態で、自分のものじゃないツアーは可能な限りやりたくない。でもスティングは伝説的存在で、これまでも最高のドラマーとやってきた人だから、そこに参加できるっていうのは誇らしいことだよ。

ーーあなたの経歴を見ると、あるバンドのドラマーが抜けてしまった時、助っ人として叩くことを頼まれる機会が非常に多いような気がします。まさに最強のお助けドラマーという感じですが、そういうケースでは、前任ドラマーのプレイを意識せずにいられる方ですか?

ジョッシュ:するときもあるよ。若かった頃は、もっと意識してたと思う。あるバンドとやるときには、その人たちが今どういう状態なのかを頭に入れるようにしている。パラモアってバンド知ってるかい? 何年か前いっしょに南米をツアーしたことがあるんだ。彼らの音楽はあんまり知らなかったんだけど、バンドの創設メンバーだったドラマーが辞めたばかりでね。すごくいいドラマーだった。その人のドラムを聴いて驚いたよ。とても入り組んでて複雑な感じだったんだ。ともかく、質問に答えると、若かった頃はもっと意識していた。それから大人として自信を持てるように、自分なりの音を見つけようと努力しながら長年やってきて、今じゃ俺に声をかけてくる人達はわかってくれてるよ。俺が、前任ドラマーのプレイにちゃんと注意を払うってことを知った上で呼ばれるし、それと同時に、俺がドラマーとしてやってきたことも知られてるわけだから、俺は自分でいることも求められてるわけで、俺自身のプレイも方程式に入れなきゃいけない。でも、これだけ長くやってきた自信があるから、今はもう心配しないようになった。昔はビビってナーヴァスになったりもしてたけどね。説明するのは難しいな。意味通じてる?

ーーはい。もう少し具体的な話をしますが、NINが2005年にロサンゼルスのハリウッド・ボウルでやった時、実は私も観に行ったんですが……

ジョッシュ:いたの? 俺がいるの見えた? あのショウには面白い話があるんだよ。

ーーはい。あなたは、いつでも出られるように現場で準備してたんですよね。

ジョッシュ:あれはジェローム・ディロンが叩いた最後のショウになって、その後しばらくして俺が加入することになるわけだけど、あの夜にも、俺はギャラをもらって待機していたんだ。曲は全部練習してあって、あのひとつのショウだけのために雇われてたんだよ。ジェロームが健康上の問題を抱えていて、不安神経症というか、ステージでのパニック障害みたいな感じでね。その前に何公演かショウを中断せざるを得ない事態が起きて、開始30分くらいで照明が点いて観客が帰らなきゃいけなくなったこととかもあったから、保険みたいな感じで、緊急の場合に備えて俺が雇われたんだ。それで俺は妻といっしょに客席にいて、ショウを観ながら、今すぐにでもあそこに出て行くかもしれないし、そうじゃないかもしれないって考えてたんだよ。しかし君たちもあのショウにいたって? すごいね。何しにカリフォルニアまで?

ーーNINを観るためです。

ジョッシュ:NINを観るためにロサンゼルスに来てたの? ワオ、大ファンなんだね(笑)。俺も大好きだよ。最高だ。トレント・レズナーと一緒にやった仕事は楽しかったし、素晴らしい経験になった。NINを辞めた理由はひとつしかない。俺達は当時たくさんツアーをしてたけど、バンド・メンバーの中で子供がいるのは俺だけだった。2009年には3人目の子供が生まれて、ツアーに出てる期間があまりに長かったから、ちょっとブレイクが必要だと訴えたんだ。しばらくツアーに出るのを止めたいってね。トレントは理解してくれて、それで構わないと言ってくれた。俺は他のバンドに移籍するために辞めるんでも、嫌になったから辞めるんでもなかったわけだから。実際、彼らと演奏するのは大好きだった。トレントの仕事ぶりを間近で見られて感銘を受けたし、刺激的だったよ。トレントとスティングには似たところがあると思う。両者とも、これまで仕事してきた人たちの中でも双璧ってくらいの努力家だし、とにかくよく働いて、集中している。ただトレントも、あの頃は子供いなかったけど、今じゃ4人いるからね(※その後、5人目も誕生)。俺にも4人の子がいる。トレントには10年前はひとりもいなかったけど、今や俺に追いついたってわけだ(笑)。

ーーそれでは、今後いっしょにプレイしてみたいミュージシャンと、逆に、正直なところ、もし頼まれることがあっても、あんまりやりたくないと思っている仕事があれば教えてください。

ジョッシュ:ははは。やりたくない仕事か。実は、大ファンなんだけど頼まれても断ると思うって公言してきたアーティストが2組いるんだ。その理由は、難しい人だということで有名だから。ひとりはプリンスで、もはや選択肢じゃなくなってしまったけど……もし彼が生きていてお呼びがかかったとしても、大好きではありながら、ノーと言うだろうね(笑)。若い頃だったら、箔が付くからやらなきゃって思ったかもしれない……プリンスと仕事したことがあるとなったら道が開けるかもって。でも俺にとっては、もう道は開けてるから、プリンスと仕事しなくても大丈夫というか、彼のことは大好きでも、はっきり言って恐ろしいんだよ(笑)。あと、スティーリー・ダンもそう。大好きなんだけど、彼らもまた難しいことで有名だからね。スティーリー・ダンに怒鳴られたいかって言われると、わからない。まあ、ウォルター・ベッカーも数年前に亡くなっちゃったね。でも、もしドナルド・フェイゲンからお呼びがかかっても、考えさせてほしいって答えるだろうな。大ファンだからこそ、そんな立場に自分を置きたくないというか。ところで、俺が仕事した日本人アーティストのことも知ってる?

ーーはい、吉井和哉とか、氷室京介とか。

ジョッシュ:そうそう、イエローモンキーのカズヤ・ヨシイとはよくいっしょにやったんだ。彼のソロ・アルバムのほとんど全部で叩いてるし、2008年には日本で5週間の大規模なツアーもやった。それからクリスマスの武道館公演のためにも来たんだ。7~8年前かな。いつも忘れちゃって手遅れになってしまうんだけど、今回もショウに招待すればよかったって、申し訳なく思ってる(笑)。いい人だし、大好きだよ。ヨシイサンは最高だ。あと、B’zともレコーディングしたことがある。ヒムロともだいぶ前だけど結構やったし。いちばん多いのはヨシイサンだね。

ーー今後やってみたい人については?

ジョッシュ:……誰もいない。って、冗談だよ(笑)。最近初めて仕事して、もっとやってみたいと思ったのが、彼女の音楽はメロウだから笑われるかもしれないけど、ラナ・デル・レイなんだ。彼女の新作のために1曲レコーディングして、スタジオで会ったのは1日だけ。でも、大ファンになったよ。あと、もっとやってみたいのは友達のジョシュ・ホーミだね。長年いろいろとやってきて、共通の友人も多いし、あいつとはまた何かやりたいな。あと大ファンなのがピクシーズ。彼らは永遠に同じドラマーだけど(笑)、もしデイヴィッド・ラヴァリングが腕を折ったりするような事件があったら電話してほしい(笑)。ピクシーズと演奏してみたいんだ、大好きだから。

ーーわかりました。さて、すでに多くのビッグ・ネームと仕事をこなす売れっ子ドラマーになってからも、大したギャラは出ないんじゃないかと思うようなインディー・バンドの作品に参加したりもしていますよね。あなたにとって、仕事を引き受ける基準はどのようなところにあるのでしょうか。

ジョッシュ:そうだな、俺が参加するインディー・バンドは、まず俺が好きになれないといけない。金のためにやるわけじゃないんだから。もちろん、友達であることも多いし、もしくは俺が大好きなバンド、あるいはその両方だね。最近の基準は、もし俺がものすごく忙しい時期、誰かに呼ばれたとして、音楽がそこそこなら、ノーと言うのは簡単だ。ギャラもそんなによくなくて、自分が忙しかったら断りやすいよね。もし家にいて忙しくもなくて、電話があったとしたら、音楽かアーティスト本人を気に入るか、ギャラがすごくいいか、どっちかじゃないとダメだ。過去には、音楽が特に好きじゃなくてもギャラがいいからやったってケースもあったよ。それが仕事っていうものだと思うからさ。それはそれでいい。スタジオでレコーディングして、たくさん稼げるのは恵まれたことだと思ってる。そういう、比較的大きいプロジェクトでギャラがいいものをやっておくと、そのおかげで他のことができるようになるからね。だって時にはギャラが少ないか、まったくタダなこともあるんだぜ。ギタリストのポール・レアリーとやったときがそうだ。バットホール・サーファーズってバンドわかる? テキサスのクレイジーなバンドだけど(笑)。

ーーもちろん、大好きですよ。

ジョッシュ:俺も彼らのこと大好きだから、ポールに呼ばれた時はテキサスまで飛んで行って言ったんだ。「バーベキューの食材をおごってくれよ。リブを持って来てくれたら、それだけで何でもレコーディングするから」ってね。そういうことができるのは、ギャラのいい仕事を他にやってるからであって、そのおかげでアートのためだけの仕事も可能になるわけ。(※ジョッシュは、The Burning Of Romeの『Year of the Ox』(2014)や、Shitkidの『Duo Limbo​ / ​"Mellan Himmel å Helvete"』(2020)で、ポール・レアリーとレコーディングしている)

ーー最後に、あなたが参加した作品の中で、大好きな作品はたくさんありますが、その中のひとつがクリス・コーネルの初ソロ作『ユーフォリア・モウニング』なんです。ちょうどリリースされてから、今年の9月で20年が経ったんですが、あのアルバムに参加した時の思い出を教えてもらえますか。

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