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マーク・ラネガン インタビュー

2022年2月22日、マーク・ラネガンが亡くなりました。
7作目のアルバム『Blues Funeral』が2012年にリリースされたとき行なったインタビューを、フルテキストで以下に再掲します。
もう一度、あの歌声を生で聴きたかった…… R.I.P.

つまるところ、俺の書く曲は、俺の人生の真似事にすぎない、ということか(苦笑)



――今はどちらにいるんですか。

「ベルギーのブリュッセルからアントワープへ車で移動中だ」

――プロモーション・ツアーですか?

「あぁ、そうだ」

――運転しているわけではないですよね?

「していないよ」

――よかった(笑)。忙しい中お時間いただいて、ありがとうございます。新作『Blues Funeral』は、ソロとしては約7年半ぶりになりますね。今このタイミングでまたソロをやろうと考えたのには、どんな経緯があったのでしょう。

「別に7年あけて次を作ろうと思っていたわけではなく、単純に他のことで忙しかったんだ。コラボレーションを色々とやっていたからね。それぞれに楽しくやってきて、気がついたらこんなに時間が経ってしまっていた。そして、そういえば自分のレコードをずいぶん作っていなかったな、と。それでまた作ったんだよ」

――おっしゃるとおり、イゾベル・キャンベルとはアルバムを3枚作り、他にもガター・ツインズ、ソウルセイヴァーズらとのコラボレーションがあり……あと、何か抜けていますか?

「いや、おおよそそんな感じだね。他にも単発での仕事はいくつもあったが、主だったアルバムとしては、そんなところだ」

――そんな中、このソロ・アルバムの素材は、いつ頃からどうやって用意していったのでしょう。

「曲を書き始めたのはレコーディングを始めてからだ。つまり、曲がまったくない状態から始めて、ふたつほど曲ができるとレコーディングし、それが形になったら次の曲を用意して……の繰り返し。だから、いずれもレコーディングと同時進行……書くそばからレコーディングしていった、という言い方でいいんじゃないかな」

――前作『Bubblegum』の時も、そうだったんですか?

「まぁ……どのレコードでも、現場に行ってから書いた曲というのは必ずあるものだ、多かれ少なかれ。ただ、通常は以前に作りかけて完成しなかった素材や、その時にはしっくりこなくて使わなかった素材が残っていたりするものだが、今回に関しては、それも一切なかった。その点ではいつもと違ったね」

――というと、その作業をいつから?

「1月……だな」

――2011年の1月、ですか。曲作りのプロセス自体は、前のソロ作と比べて違いましたか。

「まぁ……毎回、多少の違いはあるが、いつもギターで書いていたのが今回はキーボードで書いたものがいくつかあるとか、シンセサイザーのサウンドをきっかけに生まれたり、ドラムマシーンをきっかけに生まれたりした曲があるとか、曲作りにいつもと違う楽器を使った、というのが違いだろうか」

――それは、最近の傾向なんですか。その、キーボードやデジタル楽器で曲を書く、というのは。

「軽くいじっている程度だがね。何か変わったことをやってみたい、というのは常にあるから」

――やはり楽器が変わると、出来る曲の感じも変わりますか。

「俺はそう思ってやってるよ。それによって変化が出てくれれば、と思ってやっている」

――今作のレコーディングは、ジョシュ・ホーミ、ジャック・アイアンズ、グレッグ・デュリ、マーティン・レノーブルといったゲスト参加があったようですね。

「そうだよ」

――レコーディングの、どの段階で彼らの名前が挙がってきたんでしょうか。

「曲が完成して、ここに入ってもらったらよさそうだな、と思いついたら声をかけたんだ」

――じゃあ、曲作りそのものに関わった人はいないんですね。

「あぁ……あぁ、そうだな、いない」

――前作ではPJハーヴェイやイジー・ストラドリンが参加していましたが、今回のメンツを見ると、前回よりも近い、親しい仲間が集まったような印象を受けますが、どうでしょう。

「いや、前回もノリは同じだよ。友達ばかりだ」

――では、前回と現場の雰囲気も変わりなく?

「ないね。みんな友達で、何年も前から一緒に音楽をやってきた仲間でもあり、音楽的な能力や価値観が一致している人。基準はそれだけだから」

――新作と前作の違い、逆に変わってないところを言葉にしていただくと、どうなりますか。

「それは俺のやることじゃない。俺にとってレコードは、聴いた人が好きなように解釈してくれればそれでいいものなんでね。作ることが終わったら、その後のことはもう俺の関心事じゃないんだ。中でも、自分がやったことの理由や経緯を説明するというのは、まったく興味が無い」

――では、今作のインスピレーションに関してはどうでしょう。

「というと?」

――アルバムの曲作りにおいて、何か特にインスピレーションになったことはありますか。

「いや、曲がどこから出てくるのか、自分でもわからないんだ」

――向こうからやってくる、ということ?

「あぁ、意識していない」

――アルバムのタイトルからして意味深そうで、苦悩や死生観を歌った曲が多いように思ったのですが。

「今も言ったように、どうして特定の内容の曲が生まれてくるのか、俺は意識していないし、後からそれを分析することもないんだよ。もちろん、同じようなテーマを気がつけば繰り返し書いている、という程度の自覚はある。そして、それが君も言ったようなテーマだ、ということなんだろう。しかし、それは全体的な傾向であって、今回、特にそうなったというわけではないと思う」

――アルバムのタイトルは、どのようにして決めたのですか。

「曲の歌詞に出てくるフレーズだ。含みがあり、どこか挑発的……というんだろうか。タイトルにした理由があるとすれば、それだろう」

(ここで電話の回線が状態が悪くなる)

「今、トンネルを抜けるから、ちょっと待っていてくれ」

――わかりました。

「……よし、もう大丈夫だろう」

――大丈夫ですか? さきほど言った苦悩や死生観が、あなたの「繰り返し書いているテーマ」なのかは置いておいて、曲にすることで自分の救いになっている、ということはありますか。

「もちろん、俺にとって音楽は極めて重要だ。ただ、その重要性を感じたり、癒されたり、ということでいえば、作り手としてよりもリスナーとして実感することの方が多いのかもしれない。これは音楽を作る人間の中でも意見が分かれるところみたいだが、俺は自分の音楽を他人の音楽と同じようには聴けないんだ。作ることで喜びや満足感を得るのが自分の音楽であって、後から聴いてどう、というものでは、どうやら俺の場合はないらしい。俺が優れた音楽だと感じるのは、聴いていて完全に幽体離脱できるようなもの……ここではないどこかへ連れ去ってくれるようなものだ。自分で作る音楽は、完全にその場に自分が存在している……自分と言う実態がそこにはっきり存在している。だから、違う場所へ旅立つような感覚は、そこからは得られないんだよ」

――なるほど。となると、自分の曲を演ることが、時にはつらい経験になり得る? あ、でも、必ずしも実体験を書いているとは限らないのか。

「ふむ……そういう場合もある得るし、そうではない場合もある。日によって、同じ曲のエモーションが違って感じられることもあるし。それに、確かに俺の曲は必ずしも実体験ばかりではない。本当に起こったこともあれば、他人が経験したことだったり、話に聞いたことだったり……。そして実体験を書いた曲であっても、それがそのまま俺の人生だ、というわけではない。つまるところ、俺の書く曲は、俺の人生の真似事にすぎない、ということか(苦笑)」

――人生の真似事……って興味深いですね。

「よく言われるように、曲が人生のスナップショットのようなものだと考えればわかりやすいかもしれない。ある体験の一瞬を切り取っただけであって、体験そのものではない、ということだね」

――それをたくさん集めていくということですね。

「そう、ひとつひとつは事実だが、全体は必ずしも事実ではない」

――なるほど。そして、あなたの場合、そうやって作り上げた歌の世界を、ソロ作であってもゲストと分かち合って作り上げていくわけですよね。これは、曲を作っていてどこかの段階で具体的に誰かの声が聞こえてくる、とか、そういうことなんでしょうか。

「いや、むしろ最初から誰かに参加してもらうことを前提としているんだ。参加してもらう機会を自ら設けている、ということになるかもしれない。そして、スキあらば誰かを呼び出して入ってもらう。俺の音楽仲間には、何を頼んでもこなしてくれる連中が何人もいる。何でも、だよ。楽器も複数こなすし、どんな演奏でも可能。そういう仲間がいるのは本当に助かる。一方で、その人の個性をいつかどこかで生かしたい、と思っているケースもあって、その場合は『ここだ』という機会に声をかけるんだ」

――あなたが逆に、「ここだ」というところで呼ばれるケースもあるわけですからね。いや、何でもこなせる人、として呼ばれている時もあるかな。

「それも場合による。イゾベル・キャンベルのところでは、俺は彼女の書いた曲を歌うだけ。歌うことで彼女のヴィジョンを実現する一助となるのが俺の仕事だ。ガター・ツインズとはもっと一緒にやる、という感じ。曲作りから一緒にやって、アイデアのやり取りをして、すべての経緯を分かち合っている。ソウルセイヴァーズでは彼らの書いた曲のヴォーカルパートを俺が書いている。それぞれに求められるものが違う」

――アーティストとして他人名義の作品に貢献する、という作業の醍醐味は何でしょうか。たくさんやっていますよね。

「誰かと一緒に作業することが大好きなんだよ。おかげで、ゲスト参加している作品名ばかりが世に出回ることになる」

――(笑)

「他人の視点から物を考えてみる機会にもなるし、自分では書かないよう曲をプレイする機会にもなる。それによって幅が広がることもある。要は勉強だ。そこが楽しい」

――今回のアルバムの曲は書きおろしということでしたが、通常、曲を書きためておいて適当な時に使う、というやり方はしないのですか。

「いや、いつもはそうしている。だから、もう何年も前から作りかけの素材を録音したカセットテープが山のようにあるんだが、いざという時には役に立たないものだ。今回も古いカセットを掘り返してみたけれど、古すぎて磁気がおかしくなったのか、再生できないやつがあったりしてね。面倒だから、最初から書くことにしたんだよ」

――(笑)。

「本当だよ。そんなこともあるものだ」

――どんどん曲を書いて、これはQOTSA用、これは自分用とか分けているようなことはないのですか?

「昔はもっとそうしていたかもしれない。しかし最近は、目の前のプロジェクト用に曲を書くことの方が多いから、日常的に思いついて録音しておいた素材は、行き場がなくなってどんどん溜まっていってしまう傾向がある。そして溜まり過ぎて陽の目を見ずに終わる。まぁ、そんなものだ。いつかゆっくり掘り返してみるよ」

――それは、カセットテープなんですね。

「あぁ。気をつけろよ。ある日突然、ブランクになっていたりするから」

――でも、それはボタンひとつで全部ダメになるデジタル録音も同じじゃないですか?

「デジタルは自分で何かおかしなボタンを押さなければ消えることはない。カセットは放っておくと、何もしなくても消えることがある。デジタルに変換しておくことを薦めるね。どうせデジタルに変換するなら最初からデジタルで録ればいいものを、なかなか昔の習慣からは抜け出せないもので、相変わらずカセットに録ってしまうんだ」

――さて、近年のコラボレーションで、このソロ・アルバムにその経験が反映されていると思うものはありますか。

「あるに違いないが、具体的にどこがどう、とは言えないな。ただ、これは感覚的なものだが、最初に思っていたのと違う展開になっても流れに任せて、意外なところに行き着く……というのに抵抗がなくなってきたのは、自分の思い通りにはならない場合も多いコラボレーションを数多く経験した結果かもしれない」

――なるほど。楽器の面ではどうですか。電子楽器の使用が増えたようにも感じますが。

「いや、それは以前のアルバムでも使っていた。使い方は変わったかもしれないがね。前はもっとノイズ的な使い方……エフェクター的な使い方をしていたのが、今回はもっとこう……キレイな(prettier)使い方をしている、ということはいえるかもしれないが。その点は意図的だったな」

――そのことは、曲作りにも影響を与えましたか。

「俺はその時々で色々なものに興味を持ち、ひとしきり時間をかけて検討してみる性質の人間だ。自分が踏まえてきたルーツは今さら見失わないが、新しいものには常に興味がある。試行錯誤が曲作りに繋がっていくことはあるだろう。具体的な例は思い出せないが。まあ、今までと大きく異なることはやっていないと思っている。使えそうなものを使えそうなところで使っているだけだ」

――エレクトロニクス系の音楽を最近よく聴いている、ということはありますか。

「そういえば、今回の曲を作っている時期は、よくドイツの音楽を聴いていたよ。クラフトワーク、カン、ノイといったところ。確かにエレクトロニクスの要素はあるけれども、別に新しいものではないな」

――『I’ll Take Care Of You』を作った頃とは、普段聴く音楽も変わってきたんでしょうかね。

「最近よく聴くのは、アンビエント・ミュージックやインストゥルメンタル・ミュージックが多い」

――アンビエント・ミュージックですか。

「あぁ、なんでなのかはわからないが、このところそういうものにひかれている。もちろん、他のものも聴いているがね」

――アンビエントというと、どんなものですか?

「色々あるが……ドイツのGASとか、テキサスのStars of the Lidとか……そのふたつが特に良いというわけじゃないが、すぐ思い浮かんだ名前を上げるとそんなところだ」

――あなたがスクリーミング・トゥリーズ以前に色々と苦労していたことは知られていますが、その頃に心のよりどころになっていた音楽というと、どんなものを覚えていますか。

「いちばん大きいのはザ・ガン・クラブのジェフリー・リー・ピアースだろう。おっと、またトンネルだ。ちょっと待ってくれよ」

――わかりました。

「………」

――出ました?

「いや、出口の灯りが見えてきたところだ……よし」

――大丈夫ですか?

「あぁ、大丈夫だ」

――えぇと……ザ・ガン・クラブでしたね。

「あぁ」

――どんな思い出がありますか。

「80年代の頭、彼らの最初のレコードが出た時に聴いたんだ」

――普通にラジオでかかっているタイプの音楽じゃないですよね?

「あぁ、簡単に見つかるものではなかった。アンダーグラウンドというかインディペンデントというか、そういう類の音楽だったね、少なくとも俺が住んでいた辺りでは。でも俺は、そのために大きな街へ出ていってレコードを探していたから出会うことができたんだ」

――熱心な音楽ファンだったんですね。

「自分で音楽を作りたいと思ったのも、聴いていて楽しかったというのが最初にあるからだ。苦労して見つけた自分の音楽、という付加価値もあったんだろう」

――便利な今の時代では、逆に経験できないことかもしれませんね。

「そうかもしれない」

――ところで、あなたの最初のソロ作品『The Winding Sheet』ですが、そもそもカート・コバーンと一緒にカバー・プロジェクトとして始めたものが、最終的にあなたのソロ名義で発売された、といういきさつがあったと聞いています。それはどういう経緯だったんでしょうか。

「そもそもが、ある晩、ふと思いついたことだったんだ。それを聞いた人間が面白がって企画に乗ってきて、とりあえず2曲だったかレコーディングしてみたんだが、どうも思ったようなものにならず、そのまま月日が流れて俺たちも興味を失ってしまった。それだけのことだ」

――それを、あなたが自分のソロ作として完成させた、ということですか。

「そうだ」

――わかりました。また話は変わりますが、『Blues Funeral』が4ADからリリースされることになった経緯を教えてください。

「4ADと組んだ理由? 以前はベガーズ・バンケットにいたんだが、それも要は同じグループだったから、ベガーズ・バンケットが店じまいするにあたって一部のアーティストがこぼれることになり、4ADに引き取られた、ということだね」

――なるほど。今後はツアーも行なわれると思うのですが、来日公演についてはいかがですか。

「日本には是非、行きたい。もうずいぶんとご無沙汰してしまっているから、このアルバムでうまくいけば、喜んで行く。そうなれば最高だ。当面、わかっているのはヨーロッパと一部アメリカ、おそらくはオーストラリア……というところだ。日本でも何とか実現させようと、動いてはいるよ」

――どうか、お願いします。あなたの個人名義でのアルバムが日本で出るのは約17年ぶりなんです。

「オ~、ワォ」

――最後にもうひとつ、スクリーミング・トゥリーズ再結成の可能性については、どうでしょう。

「いや、ないと思う。やる理由がない。だから、たぶんないだろう」

――わかりました。答はわかっていたような気がしますが、一応、聞かないといけなかったので。ありがとうございました。以上です。時間は大丈夫でしたか?

「あぁ、大丈夫だ。ありがとう。気をつけて」


他では読めないような、音楽の記事を目指します。