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オマー・ロドリゲス・ロペス インタビュー

2017年9月に、再結成アット・ザ・ドライヴ・インとしての来日公演が行なわれた時に行なわれたインタビュー。常に先へ先へと進み続けることしか考えていないはずだった天然の天才が、どうして急に過去を振り返るような行動に同調できたのかを、いつものオマーらしく少しも悪びれずに語っている。
2021年3月には、ザ・マーズ・ヴォルタとして発表した全アルバムに未発表音源を加えたアナログ盤ボックスセットのリリースがアナウンスされたが、このプロジェクトに関しても、自らが築き上げたキャリアを有効に運用することができるようになってきた、オマーの意識変化の延長にあると言っていいだろう。ともあれ、このたびカタログを一括管理することになったClouds Hillは、オマーとは非常に良好な関係を築いている様子なので、今後も引き続き様々な音源を、こだわりを持ちながら送り出していってくれることを期待したい。というか、アンテマスクとボスニアン・レインボーズのセカンドを早く聴かせてほしい。
古いテキストではあるものの、ジム・ワードの記事との対比も考え、恐縮ですが、こちらも有料設定としました。ご了承ください。


通訳:染谷和美 / 翻訳:片岡さと美


『インターアリア』のレコーディングでは、それまで一度も考えなかったこと――“他人はどう思うだろうか?”ってことを考えた


---アット・ザ・ドライヴ・インが再結成してから、こうしてニュー・アルバムを完成させるまでに非常に時間がかかったという、その経過が逆に、本当の復活というものを印象づけるというか、いろんなことを経て何とかここまで来たんだな、と感じさせます。自分では、どうしてそれが実現できたんだと思いますか?

「僕たち全員のルーツのおかげなのは間違いないね。みんなエル・パソで暮らしてた10代の頃からお互いのことを知ってて、今じゃみんな年をとって(笑)40代で子供もいたりするわけだけど、そんな僕たちを結びつけてるルーツがあるからこそ、バンドの現在について成熟した大人同士の話し合いをすることができたと思う――このバンドは自分たちにとってどんな意味を持ってるのか、自分たちにとって今大事なのは何なのか、そんなことを話し合いながら、どうにかして一緒にこのアルバムを完成させようとしたんだ。全員のためにね。だから……うん、素晴らしい経験だったよ」

---2012年に最初の再結成ツアーが始まったわけですけれども、それ以前の段階でメンバー同士どういうふうに再び連絡を取り合うようになったのか、いちばん最初のあたりの話を聞かせてもらえますか?

「ごく自然な流れでそうなった、と言っていいんじゃないかな。よくある話なんだろうけど、ホントに色んな出来事が重なって再結成に至ったわけ。まず2008年に、『なあ、あの時のこと話そうや』って、全員をメキシコの僕の家へ招いたんだ。8年間も音信不通だったのに(笑)。そこで、何があったかを話し合った――バンドじゃなく人として、自分たちの間には何があったかをね。だって、人がいてこそのバンドなわけだからさ。そして、そう、ハグし合って『わかった、愛してる』って言いながら、いったん別れたんだ。で、2009年になってレコードの原盤を取り戻したのをきっかけに、そいつをどうするか話し合う必要が生じた。つまり最初はパーソナルな理由で連絡を取り合ったのが、だんだんバンドやビジネスの話になっていって、で、2012年になって『みんなで集まって一緒に演奏してみて、どうなるか試してみようぜ』って話が持ち上がったわけ。だから厳密にはその2012年が再結成の年になるんだけど、僕自身はそう思ってなくて、2016年が真の再結成の年だと思ってる。2012年はどっちかっていうと実験的な集まりで、とにかく集まって何かやってみよう、って感じだったからね。で、"これなら何かやれそうだ、何か起こりそうだ"って気がしたから、その流れで何回かショウをやってみることにしたんだ。あと、あるインタヴューで金も理由のひとつだと発言して叩かれたりもしたけど、そういう側面があるのも現実だからしょうがないっていうか。でも、お金も確かに理由のひとつではあったけど、それ自体が目的ってわけじゃなかったよ。その証拠に、ショウも7回かそこらしかやらなかったし。そんなに金が欲しかったらワールド・ツアーを組んでたって! それこそ『とことんやってやろうぜ!』ってさ。でも実際にはロサンゼルスのコーチェラに、スペイン、イギリス…それから…」

---フジロックも。

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