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ひとりになるということ

9月10日(日)有楽町朝日ホールで行われた、TBSラジオ「Takamiyのトークばん ~やっぱり今夜も歌わない!~」に参加してきました。

・・・嘘です。参加したかったです。

5月にNHK、7月に新横浜と、今年は半年の間に2回も飛行機に乗ってALFEEさんに会いに行ったので、よしおはぺったんこ。流石に、申し込みすらしませんでした。我慢です。

終了後、SNSでイベントの様子などを読んでいたところ、高見沢さんのお母様が、春ツアーファイナルのあとに亡くなられていたというショッキングなニュースが飛び込んできました。数えで103歳ということで、大往生と言えば大往生。
『ドリームジェネレーション』やNHK「ファミリーヒストリー」、電話をすると「あんた髪切ったの?」と言われるという高見沢さんの嬉しそうな表情。たしか、少し前のラジオ「終わらない夢」の中で「うちのおふくろ100歳だよ~」なんておっしゃっていたこともありましたよね。
もちろんお会いしたことなんかないのですが、どことなく身近に感じていたので、私もショックでした。

お父様、お母様、お兄様も亡くなられ、高見沢さんが育った「家庭」はなくなってしまったんだなあ、と思うと何とも言い難い気持ちになります。

私の母は11年前に59歳で他界しています。尊敬する、大好きな母でした。
病気が発覚したのは次男が生まれた直後です。スキルス性胃癌で、腹膜播種も起こしており、余命は1年。それでも、孫の成長を励みに2年。そして3人目の孫の誕生を楽しみにさらに1年と、随分と予定より長く頑張ってくれました。
他界する1カ月前は子どもたちを連れて実家に帰り、上の子二人を地元の保育所に預けて、生後半年の三男を連れて、毎日入院先に通いました。宝物のような1か月でした。

母は若くしていなくなってしまいましたが、父は健在(ALFEEのお三方と同い年で、それなりに困ったことも起こっていますが…)ですし、離れて暮らす妹二人とも仲良くしています。
生まれ育った家もありますから、盆と正月にはタイミングさえ合えば集合し、「家族」の時間を過ごしています。幼少の頃の話をしたり、納戸に眠る思い出の品物を片付けたり、同じ記憶を共有するもの同士でしか過ごせない、かけがえのない時間です。生まれ育った「家庭」が、昔と全く同じとは言わないまでも、存在しています。

「家庭」が閉じられるとはどういうことなのか…

仲良くしている高校時代の友人が何人かいますが、そのうち二人はすでに実家を片付けています。二人とも結婚し子どももいるので、新しい「家庭」はあるのですが、子ども時代を過ごした「家庭」は、すでに自分たちの手で閉じています。
一人は、母親と弟の三人家族。今思えば、彼女は多分ヤングケアラーでした。就職してすぐに母親が他界、それをきっかけに弟とも疎遠になり、ある日突然弟も他界したという連絡がきた…というヘヴィな境遇です。20代で喪主を務め、実家も片付けた彼女は、どれほどの辛さを抱えていたのでしょう。もっと親身になって話を聞けるとよかったのか…でも聞いたところで何ができるわけでもなかったとも思います。
もう一人は、両親と本人の3人家族。本人は大学進学を機に上京し、そのまま就職、結婚。病気がちだった母親が先に他界、その後父親も他界した後、北海道の実家をそのままにするわけにもいかず、長期休暇で地元に戻って片付けていました。親がいなくなったことよりも、「実家を片付けるってとにかく大変だ!」と嘆いていました。それでもきっと、「じわじわくる」こともあったんだろうなと、今回の高見沢さんの言葉を知って思いました。

自分の話に戻りますが、私の実家には父が一人で生活しています。ここ数年で、どうも心の病気か認知症の入口のような症状が出てきています。市内に妹が住んでいますが、変わっていく父を受け入れられず、頻繁に衝突しています。私も、たまに実家に顔を出しても歓迎されるわけでもなく、ただただ頼まれごとばかりという状態にげんなりしています。
もちろん、育ててもらった父ですし、感謝も尊敬もしています。決して悪い人ではありません。こちらが受け入れていくべきだと頭ではわかっていても、気持ちがついていかない…そんな自分にもがっかりして、ますます足が遠のくという悪循環。
大切な家族。私が育った、育ててもらったかけがえのない家庭。それが変わっていくことは、とても辛いことです。

いっそ、早く無くなってしまえばいい。
そう思うこともあります。最近は特に。
自分の辛さから逃げたい、つくづく弱くて酷い人間です。

遠くない未来にやってくる、実家が閉じられる時、私は一体何を思うのだろうか。

人生の未知が、また一つ。



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