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私と夫には「にゃらティブ(ナラティブ)」が必要

※2022年1月12日「答えは出ないけれど、私は前に進む。」
このタイトルで、書いたのを加筆修正するうちに、別のタイトルに変更しました。

以下は、最初の記事のタイトルからの記事(多少、加筆修正あり)。
最後の、「夫には「にゃらティブ」が必要かも?」を加えた(気づいた)ことにより、本記事のタイトルも変更しました。
にゃらティブ=ナラティブについても、そこで説明しています。


同じところでぐるぐる回ってしまう。
ので、思考整理。
答えは出ませんでしたが(笑)
けれど、こうして「書く」ことで、何かを見つけれらたらと思う。

考えてばかりいては、何も好転しないから。
失敗したりもある。これも、失敗かもしれない。
でも失敗を繰り返しても、前に進むしかない。
どうしようもないような状況でも、きっとどこかに抜け道はあるのだと信じて。

副題は、「私と別れることが一番つらいという夫の、メンタルケアを私がするには」です。

夫に三行半をたたきつける。

去年の春ごろに、夫に「離婚したい」といった。

概要は、以下のにゃらティブ投稿に書いた。
※にゃらティブとは、「ナラティブ」をもじったLLACオリジナルの言葉です。

最初のにゃらティブ
上記ツイの「参考」はLLACコミュニティを案内しています。

そう、私はようやく自由になれた。
しかし、それは、「心の自由」
仕事は、12月まではやると決めたから、何も変わらない。
でも、見える世界が全然違った。
それから、とにかくがむしゃらだった。

LLACというコミュニティに所属できたことは、私にとってラッキーだった。
そこでは、色んな思想を学べる。仏教だけじゃないがけっこう大きいかも。

「自分」というものをなくしていく。

そうなれば、もっと私は自由になれる気がした。

けれど、それは、とことんまで、「自分と向かい合うこと」ができたからだと、私は思う。

「自我」をとことんまで認識して、そのうえで、自分を自我をなくす。薄めていく?
自我を持たぬままに無に空に(空の概念はよくわからないw)なろうとしても、無理なように思える

夫、うつになる。

夫の様子がおかしくなったのは、秋ごろだった。

長女の意見もあって、夫婦で心療内科を受診した。(娘が、私も心配だから見てもらってというし、私が行かなければ夫もいかないと思ったから)
夫婦別で、先生に話を聞いてもらった。
なので、夫の診断を、本人から聞いた。うつだったと。
(私は、とりあえず今は大丈夫だろうと。何かあったら相談してください。と言われた)

それぞれの診断をそれぞれにしか聞かなかったのは、こういう状況だからか。しかしそれも、どうなんだろう?と思える。

「うつ」であれば、周りの協力も必要だろうが、まわりが何を、どうすればいいのかわからない。


私が離婚を申し出た時、夫も確かにがんばろうとしていた。
けれど、それは、土台のないがんばりだったのだと、今になって思う。

夫の育った環境は少し特殊。
父親が、今のお店を創業した。母親がそれを手伝う。そして、家族も手伝ってきて、36年間続いてきたようなお店だった。
義母から、その話を何度も聞いた。
夫にとっての、今のお店は、50年の人生においても大部分を占めるものなのだろう。

自分の人生の大部分を費やしてきたお店。
家族で積み上げてきたお店。
自分だけの店ではない。
受け継いだもの。

だから、辞めるわけにはいかない。
そして、辞めたら自分に何が残る?

そうした恐怖が、夫をうつに追い込んだのかもしれない。

自分の両親や、家族みんなで頑張って作り上げたお店。
けれど、日常にその仕事は溶け込み、ただ毎日を過ごしていく。
作って売り、在庫がなくなればまた作る。
良いものを作っていれば、極端な営業をしなくても売れる。買ってもらえる。その状況に甘えてきた?

しかし時代は変わる。
今は、ただ物を売ってやっていけるような甘い時代ではない。
思考し、工夫し、継続していく努力、だけではなく、発展させる努力がなければ、つぶれる時代。
どれだけの2代目経営者が、継いだものを失ってきたのか。
それを、近くでも見てきたはずなのに。

けれど、日常に当たり前にそこにあるものは、周りにそれと同じように失われるかもしれないのだと、人は考えることが出来ないのかもしれない。
私がどんなに訴えても、想像に出来なかったのかもしれない。

私が離婚と言い出してから、ようやく、夫はそのことに気づいた。
日常に、当たり前にそばにいた、妻がいなくなる。
その現実を前にして、夫は、ようやく事の重大性に気づいたのだ。

けれど、過ぎてしまった過去を嘆いても始まらない。
私は、離れる決断をしたけれど、生きている。
子供もいる。
つながりが切れるわけではない。
だけど、まだ、そこを理解するのは難しいのだろう。

私は、やるしかないと前に進む。
一方で、夫は、過去を後悔する。
なぜ、あの時気づかなかったのか。

過去を後悔し、過去に囚われ続ける限り、人は前に進めない。

少し好転?

年が明けて、私は、日中別の仕事をするようになった。家で在宅ワークではなく、通勤して働く「パート」だ。
しかし、夫の店の手伝いは続ける。こんな状態だ。放置もできない。

新しいことを始めながらも、日常にそれほどの変化もなく、毎日を過ごす。
なので、少し夫も元気を取り戻したように思えた。
(※12月までと、私が言っていたので、そこで私との縁が切れると思っていた?)
笑ったり、子供たちと冗談も言ったりできるようになった。

また、焦ってしまったのか…。

もう少し、待つべきだった。

夫に笑顔が見られるようになったとはいえ、仕事をどうしていけばわからないと言っていた。頭が回らないと。

どうしたらいいか、わからないけれど、夫にはもっと自分と向き合ってほしいと思った。そうしなければ、変われないと思ったから。

自分と同じ。「~しなければいけない」に囚われている。
まずは、そこから脱して欲しかった。
家族のことを一番に考えるのはわかる。
親だから。
何かあれば、自分の命より子供の命を優先するだろう。
けれど、それとは別に、まず「自分のことを大事に」しないと、と思った。

フラフラしているのに、助けようとしても、一緒に倒れるだけだ。
まず、自分がしっかり立たないと、誰も助けられない。

そのことを伝えたのだけど、もう少し、待つべきだったのかも。
考えるには、時間が必要だった。

「私が離れることが一番つらい」

そういう夫を、見捨てることは出来ないけれど、かといってもう一度やり直すことも出来ない。
同情では、誰も救われない。

自営業では、仕事を休んで、も出来ない。
そこは、現実としてある。
だから、せめて生活できるだけのお金を私が稼ごうと働きに出る。
いざという時は、国の制度もある。どうにかなる。
そんな風に思えたら、気持ちだけは楽になれるのだけど。

だけど、「私が離れることが一番つらい」という夫のメンタルケアを、私がやっていていいものかという、最後は、先の見えない、ところで、終わりw

これは、「禅問答か!?」と思ったけれど、違うかw

この記事を書いたことで、どうなるわけではない。
ただ、記録として残しておきたい。
これから先、どうなっていくのか。どう出来るのか。

2023年1月12日 

夫には「にゃらティブ」が必要かも?

1月13日、記事を加筆修正した。
その中で、もう一度「にゃらティブ(ナラティブ)」について考える。

ナラティブアプローチとはカウンセリング時に、患者自身に自分の物語を語らせ、問題の原因となっている否定的な思い込みを発見し、それを肯定的な内容に書き換えることで、抱えている問題を解決しようとするアプローチのことです。カウンセラーとの対話で、患者自身がネガティブに捉えていた過去の経験や、思い込みを肯定的な価値観に置き換える手法を使うことで、負の影響を軽減できると考えられています。また患者に「物語=ナラティブ」にして話させることで、自分自身が忘れていたことや、気がついていなかった問題点などを発見することもできます。
カウンセラーによるナラティブアプローチの過程では、ドミナント・ストーリー(患者が思い込んでしまっている、主にネガティブなストーリー)から精神的問題点を可視化し、患者自身で問題点を客観視できるようにします。そこでどうしてそう苦痛を感じるのか、問いかけを繰り返します。

ナラティブとは? ナラティブアプローチとビジネスへの活用方法を解説

夫は「どうしたらいいかわからない」というけれど、「つらい」「苦しい」とは言っていな気がした。(私に傾聴が足りなかった)
色々話す中で、それこそ泣いて吐き出すけれど「やらないと」と言う。
心療内科も、受診継続を断った。
「別に行っても」という感じだった。

夫の妹さんと話をしたことを思い出す。
「自分の為に生きてきていない」

ここの重大性を改めて認識。

とうことで、記事がまた、まとまりつかなくなりました…。
今度は別記事で…。


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