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Ver12.7  最高速アタッカーが亡くなる前夜に掛けてきた電話

GT-Rで最高速アタックをするというのは、あまりにもリスクが大きく、さらに費用もかかるチューニングになるので、限られた人間の遊びということになる。また、何キロを出したからといって公式記録が残るわけでもなく、ただ自分の記憶に残るだけ、言ってみれば自己満足の世界だ。

さらには、走ることが出来るシチュエーションも限られてくる。一般的には深夜の首都高湾岸線ないしアクアラインを走ることが出来るエリアに住んでることも条件になってくる。

300キロ、ないし200マイルなどの高速を出し切るには、そこそこの距離が必要になってくるので、何回もトライなどしていられない。一晩に1回と言ってもいいだろう。それでクリアラップが取れるかどうか、そこも重要な要素になる。

そんな走行前の条件だけでも厳しいなかで、トライするのはごく一部の一般ユーザーと、チューナーのデモカーに限られてくる。そんな中で、チューニングショップM(仮名)は、オートサロンにも多数の車両を展示する大手で、番頭スタッフがカリスマ的な存在で、最高速にアタックし続けていることで有名だった。

彼のブログでは「今晩は295キロ出た、来週までに改良を重ねて300キロフラットを目指す」などといったレポートが掲載され、これまた人気を博していた。読者も「いつ200マイル(320キロ)に達するんだろう」という期待を持っていただろう。店の知名度も上がり、客足も増えているようだった。全てが順調に見えていた。

そんなある日、チューニング業界に激震が走った…

チューニングショップMが破綻し夜逃げ。ユーザーが預けた車両などが取り押さえられてしまったのだ。そして…

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かつて自分の血を沸騰させたスポーツカーと界隈の人間。その思い出を共有していただきたい、知らない方に伝えたいと、頑張って書いております。ご支援いただければ幸いです。