その3 飛び込んでみた峠には「ルール」があった。

ハチロクの後ろ姿を追い掛けて、走り出した自分。

免許取りたての自分にとって、クルマでの追いかけっこというのは、スリリングどころの話ではなく。血が沸騰するくらいの緊張と興奮を与えてくれた。

何しろリスクが高い。学生の自分にとってクルマの維持費だけでギリギリなので、クラッシュ=経済破綻を意味する。修理代なんてとんでもない、廃車費用を捻出するのだって親に頭を下げるしかなかっただろう。そんな経済的なリスクはまだいい。エアバッグなんてない時代だ、五体満足で済まない可能性だって大きい。対向車線にはみ出して正面衝突なんてやらかした日には、自力で帰宅も出来ないだろう。

そんな後先を考えないから、やってしまうのだが、このスリルの中毒性が高く、毎晩のように通ってしまうのだ。大金を失うかも知れない、怪我をするかも知れない、死ぬかも知れない、そんな危ないことになぜはまってしまうのか。追いかけっこをして、勝ったら何なのか?負けたら何かを失うのか? 何もない。しかしながら、恐るべき吸引力を持って我々若者を「走り屋」というカテゴリーが襲ってきた。

自分が走っていた「峠」(実際には峠ではなくても峠の走り屋という感じで追いかけっこするコースは「峠」と呼ばれることが多かった)は片道1分ほどの1車線すれ違い。対向車が来るのでセンターラインを割って走ることは出来ない。前のクルマのケツを追い掛けて、ひたすら車間を詰めていくという対戦スタイル。これを、ギャラリー(見学)しながら何らかのルールに基づいて対戦が行われていることに気づいていく。激しいバトルをしていたクルマが急にアクセルを緩めてハザードを付け始めたりするのだ。かと思ったら、コースの最後までフルスロットルでバトルを続けたり…。

スタートは先頭車の右ウインカーが合図

1試合、4~5台くらいでやるのが通例。まず縦にずらっと並ぶのだが、スタート位置に先頭車だけ右にタイヤ一本分だけズレて止める。これは先頭車が右ウインカーを出したらスタートの合図なので後続が見やすいように配慮してのこと。5台なりが並んだら、先頭車がエンジンを吹かして高回転を維持。すると後続もそれに習って回転を上げて、右ウインカーを待つ。先頭が右ウインカーを点灯させたらスタート! 5台で走っていても、それぞれの前後との勝負。前に追いつけば勝ち、後ろに追いつかれれば負け。

団体戦の順番は速いモノ順

1回のバトルは、大概4~5台で行われる。何度か往復するウチに順序を入れ替えて、最終的には一番速いクルマが先頭、一番遅いクルマが最後尾という並び順になる。これはバトルが終わって、折り返す際に順序を入れ替えて最終的にそのグループの順位が決まっていくのだが、その入れ替える判定はどうやっているのか…

追いつかれたら負け。一つ後ろに回る

仮に自分が先頭で逃げていて、後ろから自分より速いクルマが迫ってきた場合。バックミラーに見えるヘッドライトが迫ってきて、しまいにはライトがミラーから消える。これは車間がギリギリまで詰められて、後続車のライトがルームミラーに映らなくなっているから。ここまで詰められたら前走車は負けとなる。そこでハザードランプを点けて「まいった」をするのがルールだ。ほぼバンパーが触れ合うくらいの車間で、後続のエンジン音がこちらにハッキリ聞こえてくる。コーナーでも直線でもここまで詰められたらハザードを炊くのがルール。ハザードが炊かれたら、それ以上煽ることは止めて、折り返し地点での入れ替えまでは車間を開けて惰性で流す。遅い人をずっと煽り続けて事故が起こったりする事を防ぐため。だから先頭がギブアップしたら、バトルの途中でも全員がその回は流して、次のバトルまで休戦となるのだ。負けたら、先述のように折り返しの際に、勝った人と入れ替わり、ひとつ後ろのポジションに下がって再スタートする。逆に勝っていけば、ひとつずつポジションを上げて先頭に立つことになる。こうやって、団体の順序が付いていって、自分の速さ遅さが分かっていくのだ。

こういった、どうやってスタートの合図を出すのか、その集団に入っていいのかどうか? どうやって勝負を付けるのか?ギブアップのサインはどうしたらいいのか? そんなことを、新参者として加わりながら、徐々に学んでいったのだった。恐る恐る加わってみると、みな穏やかで新規を歓迎する空気に溢れていたことを覚えている。「最近来るようになったね?」なんて向こうから声を掛けてくれたり。優しい先輩が居て、みなが尊敬する存在だったりするので、どんどん裾野が広がって走り屋というのが一大ムーブメントになっていったんだろうなと思う。これが漫画やアニメになって、むしろブームを終息へと向かわせてしまうなどとは、このとき想像だにしていなかった…。






かつて自分の血を沸騰させたスポーツカーと界隈の人間。その思い出を共有していただきたい、知らない方に伝えたいと、頑張って書いております。ご支援いただければ幸いです。