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レーゲンスブルク③ 街の栄華の歴史に触れる

Schloss St. Emmeram Thurn und taxis 聖セバスチャン トュルン ウント タクシス城

現在も侯爵が住むお城は、駅から旧市街に向かう間にある広大な敷地内にある。
この建物は、オルフェウスの窓の音楽学校のモデルにもなった。

このトゥルン ウント タクシス家は、ローマ帝国内での帝国郵便事業を手掛けた事で、巨万の富を得た。

帝国議会の皇帝代理となり、フランクフルトからレーゲンスブルクへ移り住む。
1816年からエメラム修道院の南を改築し、豪華な宮殿を建設した。
ガイドのかたのお話によると、お城のスタイルは実に様々で、それぞれの時代の当主の好みによって造られ、また修復され、今に至るそうだ。

内部はガイドツアーのみで、90分。
あくまで、プライベートの空間を見学させて頂いているわけなので、写真撮影は禁止。

城内で最初に案内された部屋には、一枚の肖像画が掛けられていた。
この一族の基礎を築いたFranz von Taxis。
城内は写真撮影はできないので、こちらはインターネットからの画像。

因みに家紋は、郵便を配る際に使っていたというラッパが中央に描かれている。
今、ドイツ中で見るDeutdche Postの黄色のマークは、この家紋の一部から取られたそうだ。

階段の間は小ぶりな造りだが、後から造られたもので、場所に余裕がなかったからだそうだ。
2階に上がると、かつては手作業で作られたというガラスで覆われた温室、玉座の間、ダンスホール、音楽の間、着替えの間、歓談の間、礼拝堂、地下墓地まで、丁寧にガイドをしてくださる。
ブリュッセルで作られたという数々のタペストリーも、大変素晴らしい。
絵や彫像、装飾品、全てに意味があり、その一つ一つの意味を教えてくださるのは、大変興味深かった。
部屋の装飾の一部は、フランクフルトにあった宮殿(建てたものの未使用だったため)から、そのまま移築されたそうだ、

ダンスホールは、ベルサイユ宮殿と同じように、貸出もされているらしい。
ガイドさんは金額をはっきりとは教えて下さらなかったものの、5桁(日本円では150万円ほど)からだそうだ。
結婚式、金婚式のパーティーにいかがですか?と案内して下さったものの、見学者は顔を見合わせるばかりだった。
他には宝物館もあり、こちらはガイドなしで自由見学可。

St. Emmeram 聖エメラム修道院

この修道院が、お城の基となった場所。
外見はとても地味だが、内部は豪華な造りで圧倒される。
ここは、宣教活動中に殉死した聖エメラムを埋葬した地である。
レーゲンスブルクは修道院の多い街で、またこの聖エメラム修道院は帝国修道院となる。
宗教的にも、また政治的にも、この場所は非常に大切な役割を担っていた。

Walhalla ヴァルハラ神殿

ここは、市内から東へ10kmの場所。
バスや船でしか行けない少し不便な場所だが、一見の価値はある。
行きは船、帰りはバスにて移動した。

シーズンではなかったので、船の乗客はたった6人と、ほぼ貸切状態だった。
乗車時間45分ほどで、神殿前に到着。

船からヴァルハラ神殿を見上げる。
少し雲の多い日で、写真だと今にも雨が降り出しそうだが、すぐに晴れ間が出た。

船を降りると、羊たちがお出迎えしてくれる。

アテネのパルテノン神殿のそっくりさんが、ドナウ川沿いに建てられた。

500段ほどの階段を上がると、この景色。

内部は、建設を命じたルードヴィッヒ一世の像を囲むように、ドイツに功績を残した著名人たちの像がずらりと130体。ヒーローやヒロイン達の神殿だ。
この建物は、1842年に完成した。

オルフェウスの窓の、カーニバルのシーンでユリウス達が逃げた場所がここだと言われている。

外の柱も美しい。

ドナウ川と神殿。
宮本輝さんの小説、ドナウの旅人で長瀬が手紙を書いた場所も、このヴァルハラ神殿。

Hacker Pshorr Wirtshaus

少しだけ食事編を。
レーゲンスブルクのビアガーデンをお勧めして頂いたので、足を運んでみた。

民族衣装屋さん

デュッセルドルフでは見かけないもの。
それは、民族衣装屋さんTrachtladen。

旧市役所前で、結婚式があったようだ。
私が見かけた時には既に終わっていたのだが、片付けをしているかたが、この衣装を着ていた。
こうして正装として民族衣装を着るというのは、素敵だと思う。
日本では着物だろうか。
私も着物が似合う女性でありたいと、レーゲンスブルクの街の中で、ふと日本を思い出した。

道路標識いろいろ

街の中の標識に、色々な文字表記があって面白い。
同じ通りに、字体の違う二つの標識がある。

ホテル Hotel Orphée

天蓋付きのベッドに憧れる私。
レーゲンスブルクでホテルを探している時にこの部屋を見つけ、迷わず予約。
外観は質素に見えるが、内部は非常に豪華だった。

ほんの少しの間だけ、私はお姫様になった気分だ。

ホテルとレストランを兼ねているので、朝食もとても美味しい。

部屋にサービスで付いていたハウスワインも美味しくて、お土産に一つ購入。

レーゲンスブルク駅

オルフェウスの窓でも、度々登場する駅。

レーゲンスブルクは、とても面白い街だった。
ローマ皇帝、バイエルン王国、カトリック、プロテスタント、古代ローマ建築、ロマネスク、ゴシック、様々な歴史と権力に巻き込まれ、街は目まぐるしく変わってきた。
そして、その歴史の長さに圧倒された。

帝国議会場のガイドさんは、こんな事をおっしゃっていた。

経済の衰退と共に、街も衰退しました。
そして、帝国議会場は街の住人にとっては、古い過去、思い出したくない負の遺産となってしまったのです。
そして、街の各場所にある遺産は保存されたのではなく、長い間ただ放っておかれたと言っても過言ではありません。
誰も、これらの物に対し見向きもしませんでした。

しかし、過去の遺産を残そうと、街は立ち上がり、修復を行ないました。
そして、そのような活動が続き、街は再生され、世界遺産にも登録されたのです。
街を案内する一人のガイドとして、みなさんにこの場所を案内できる事を、私はとても誇りに思います。
それらの活動がなれけば、街はまだ眠っていたでしょう。

街には、観光客がたくさんいた。
ドイツ人も多かったが、英語や別の言語を話す学生の大きなグループは、修学旅行だろうか。
人と物が交差する街であったレーゲンスブルクは、今もなお人を引き寄せ、魅了する。
漫画や小説の舞台にもなる、絵になる街。

しかし、その魅力が人々の欲を掻き立て、戦場と化し、街は衰退してしまう。
その美しさだけでなく、時代の変遷に巻き込まれた街ならではの憂鬱さが、もしかしてこの街をより一層魅力的にしているのかもしれない。

この街を、今こうして訪れる事ができるのは、多くの人の努力なのだと思うと、深い感謝の思いが込み上げる。

また、友達の代わりにオルフェウスの窓の聖地巡礼をする事は、なかなか楽しかった。
自分が楽しむだけでなく、友達にここを見て欲しい!これを見せたい!と思いながら歩く街は、まるで友達と一緒に歩いているかのようだった。

次にまた、友達と一緒に旅行に出かけられるのは、いつだろう。
そして私達は、どこを目的地に選ぶのだろうか。

友達と私は、遠く離れた場所にいる。
でも、私の心にはいつも彼女がいる。
それはきっと、幸せな事だ。
旅は私に、多くのことを気付かせてくれる。

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