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世界遺産をはしごする ブリュール&ケルン

2021年7月24日。
第44回ユネスコの世界遺産の検討会議が行われ、ドイツは以下の場所が追加された。

Baden-Baden、 Bad Ems、Bad Kissingen 
バーデンバーデン、バートエメス、バートキッシンゲン
この3都市を始めとする8つのスパを、ヨーロッパ最大のスパとして登録。

Künstlerkolonie Mathildenhöhe in Darmstadt
ダルムシュタット マチルダの丘

そして7月27日、以下の3都市が、ユダヤ人発祥の地として、それぞれ世界遺産に登録された。
Mainz, Worms、Speyer
マインツ、ヴォルムス、シュパイヤー
ユダヤ系の文化遺産が、ドイツ国内で認定されるのは初めての事だ。

ドイツの世界文化遺産は、合計50か所となったそうだ。

これがきっかけという訳ではないのだが、先日ブリュールを再訪した。

Brühl
ブリュールは、ケルンの南15キロほどに位置する街。

アウグストゥスブルク城

Schlösser Augustusburg und Falkenlust
ブリュールにあるアウグストゥスブルク城と、別邸ファルケンルストは、1984年に世界遺産に指定された。
このお城は、バイエルン選帝侯ヴィッテルスバッハ家出身、ケルン選帝侯兼大司教Clemens August I. Ferdinand Maria Hyazinth von Bayern クレメンス・アウグストの夏の離宮として建設された。(1700年8月16日~1761年2月6日)

お天気に恵まれ、空が青く綺麗な日に訪れる事ができた。

ガイド付き少人数制での見学で、所要時間は約一時間。
城内の写真撮影は不可とされていたが、私達のグループのガイドさんは写真撮影を許可してくださり、見学者はそれぞれの場所で思い出の一枚を残していた。
しかし、公式な判断ではないと思うため、ブログでの城内写真は、公式HPと公に掲載されているもののみ。

写真参考サイトは以下参考

以前訪問した時の記憶通り、選帝侯アウグストは、少々変わり者だと再確認した。
彼は良家の出身でありながら、政治そして聖職者としても、名声は残していない。
むしろ、この豪邸は彼が妾と共に暮らすために作られたものであり、彼の浪費癖に地元民は大変苦しんだ。
彼の趣味の狩猟のために、別邸ファルケンストまで作られた。
それが後世において、美術的価値があるとして世界遺産に指定されるのだから、歴史というのは本当に不思議なものだ。

お城は、ドイツにおけるロココ様式の最初の重要な作品としてだけでなく、当時のドイツ、イタリア、フランスの建築家、美術家、画家、漆喰職人が集められた芸術品でもある。

このお城は、階段の間が有名だ。
馬車は、階段下へ到着するように設計されている。
お城への訪問者が初めて目にする場所、つまりお城の顔となる部分でもある。

階段の間を見た見学者が一斉に、うわぁ!と声を上げてしまうほど、その階段は見事なのだ。
Balthaser Neumann バルタザール ノイマンは、ヴュルツブルクのレジデンツを設計した事でも知られているが、彼がこの階段を設計した。
ヴュルツブルクのレジデンツでも、同じように感動したのを思い出した。

ガイドさんの説明によると、至る所で目にする青い色は、貴重なラピスラズリを使用していたという。
時と共に、残念ながらその本来の色を失いかけたこともあったそうだ。

天井画の様子はこちらから。
彼の権力を表す王冠や、聖職者としての十字架、そして芸術を愛する表現として、絵を描いている女神がいる。

見事な漆喰や、豪華なシャンデリア、タイル模様のデザインも素晴らしい。
タイル模様の部屋は、浴室として使われた。
トルコの浴室から発想を得ていたと考えられ、タイルの座席部分が作られているのは、とても珍しいそうだ。

ダイニングルームには、特注のマイセンの食器が飾られていた。
他にも、たくさんの豪華な部屋が続いている。

一の間、二の間と段々と装飾が豪華になり、城内で一番豪華な作りの部屋に繋がっている。
ここは、大切なお客様をおもてなしするための部屋だったそうだ。
狩猟に関するモチーフが、ふんだんに取り入れられていた。

こちらは、もう一つのダイニングルーム。
こちらは夏の離宮ならではの設計で、一階部分に配置されている。
狩猟から戻ったら、すぐに食事ができるようにとの配慮らしい。
また、床は大理石、壁は青いタイルで埋め尽くされ、シャンデリアも氷をイメージしたものであり、暑い夏を快適に過ごせるようにデザインされたそうだ。
外は暑かったが、この部屋はとても涼しく感じられたので、その効果を実感することができた。

お城の庭はとても綺麗に手入れされており、美しい花を咲かせている。
お城の中から庭を見下ろすと、その植え込みの美しさが際立つ。
庭は、フランス人造園家Dominique Girardドミニク・ジラールというかたが手掛けたそうだ。

訪れた日には、二人のウェディングドレス姿に遭遇した。
輝くような笑顔と大切な日の思い出を、カメラマンが何度もカシャカシャと切り取っていた。

贅を尽くした芸術作品とも言える城。
夏の離宮。
私も同じく、花々が咲き乱れる時期にここを訪れ、アウグストがこの城で過ごした夏の日々を、少しでも感じたいと思った。

私はふと、バイエルン王、ルードヴィッヒ2世のことを思い出した。
彼もアウグストと同じく、政治よりは芸術を好み、ワーグナーに心酔し、ノイシュバンシュタイン城を建設させた。
それもまた、地元民への大きな負担となった。
そして、彼の残したバイロイト歌劇場は、同じく世界遺産に指定されている。

2020年、バイロイト音楽祭はコロナの影響で中止されたが、2021年は7月25日から8月25日の1か月間開催された。
世界一入手が難しいと呼ばれるチケットは、1年の期間を経て更に入手が難しくなり、全行程で22000席程度と言われるチケットは、2時間ほどで完売したそうだ。

ルードヴィッヒ2世は、選帝侯アウグストより150年近く後に生まれているが、同じヴィッテルスバッハ家の出身である。
同じ家系から、同じような人物が出るとは、歴史は面白いなと思う。

ルードヴィッヒ2世は悲しい死因を迎えたが、選帝侯アウグストは、死ぬ時までその選帝侯としての地位を持ち続けていたそうだ。

別邸ファルケンルスト

別邸ファルケンルストは、お城から2キロほど離れた場所にある。
お城から続く森を抜けると、そこは見渡す限りの畑が広がっていた。
アウグストは、この森や畑で狩猟をしていたのだろう。

別邸外観はこちら。

別邸内部は、アウグストゥスブルク城よりも簡略化されているが、バイエルン色が強く、また狩猟のための館だと分かる内装だ。

一番豪華な部屋は、鏡の間。
幼少期のモーツァルトはこの館で演奏した事があり、鏡の間が一番気に入ったそうだ。

私が気に入ったのは、階段の間。
階段の小さな空間には、なんと一万枚ものタイルが貼られているのだ。
見学した日には、その一部が修復中だったが、修復が終われば完璧な美しい姿を取り戻すだろう。

ケルン大聖堂

ブリュールからの帰り道、ケルンに立ち寄った。
ケルンの大聖堂もまた、世界遺産だ。
大聖堂は、堂々と高く聳え立ち、遥か遠くまでその存在を知らしめている。

ブリュールのアウグストゥスブルク城は、全く違う。
足を運んだ人しか見ることのできない、秘められた場所のようにも感じる。

それは、月と太陽のように、どちらも美しい。

世界遺産をはしごするとは、なんと贅沢な一日だろう。



久しぶりに、ホーエンツォレルン橋を渡り、対岸まで歩いてみた。
いつもと変わらず、愛の南京錠が隙間なく括り付けられている。

対岸に着くと、ライン川沿いに腰を下ろした。
あれほど晴れていたのに、ケルン上空に急に厚い雲が浮かび始め、今にも雨が降り出しそうだ。
それでも、美しいケルンの街を見ていたくて、ずっと動けなかった。

空から一滴の雫が落ちてきて、私の腕を濡らしてから、私はようやく重い腰を上げた。
世界遺産をはしごする一日は、とうとう終わりを迎えたようだ。

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