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左京区鴨川モラトリアム

左京区に入り浸る若者はいつか気づくに違いない。漠然とした不安を抱えながらアンニュイに包まれて楽しい仲間に囲まれている君にはまだ分からないだろう。

ここで新しい文化が生まれる気がしたとしても、あるいは伝統を死守してのちの誰かに引き継がれていくような思いを抱いたとしても、結局はみんな離散する。この街は人生の通り道でしかないのだ。百万遍の交差点に来たら、後もう一歩だけ街の奥に行けばまた会える気がするでしょう。でも間違いなくそこには誰も居ないしそんな場所さえない。ここは故郷たり得ない。新しい仲間ができたところで次また来るときにはきっと誰もいないのだから、この街を訪ねても1人でロックとかブルースとかクラシックが流れる喫茶店なりバーなりで時間を潰して帰る羽目になる。ここでどれだけ時を過ごそうが、結局は生まれたときから決められていたあるべき路線に戻るだけなのだ。何か出来るような気がしても自分のテリトリーは超えることはできない。

夜通し語り合った空間も、あまりに楽しかった時間との別れを惜しみながら、寂しい思いをしながら髪を洗う京都タワーの大浴場さえ、もうそこにはない。京都の居心地の良さは人をダメにする。近づくのさえ怖いくらいだ。甘ったるい青春にどっぷり浸かれるのは人生の限られた時間だけなのだと分かったときにはもう全て手遅れだ。探しているものがそこにはないと諦めざるを得ないと理解した君はもう大人になっている。

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