若畑雌貴

電気電子情報/電子工作/オーディオ/教育関係/読書/学生運動/哲学/実存主義/共同体論

若畑雌貴

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マガジン

  • 電気電子工学

    工学的な内容の記事をまとめた

  • 哲学と思想を中心とした読書の記録

    キルケゴール『死に至る病』 ブランショ『明かしえぬ共同体』など

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    いろいろ

  • 散歩など

    地形・暗渠・ダムなど

  • 教育関係

    教育に関すること

最近の記事

同人誌HogeZaWorksとHogeZaElectronicsについて

これまで自分が書いてきた記事をまとめて冊子にしました。文学フリマ東京37 (2023/11/11(土))に「シェアハウスのら」のブースにて販売する予定です。表紙と目次を載せておきます。ぜひ遊びに来てください。自分は残念ながら仕事で当日はおりませんが感想を聞かせてほしいです。もし事後に入手したいなどの場合は個別にご連絡していただければ郵送いたします。

    • 頑張れば高校生で理解できなくもないマクスウェルの方程式

      ⓪ まずは記号と前提について説明する。 ① 電流が流れているとその周囲に磁界が発生するのは有名でこれが電磁石の原理となっている。しかし、ここに時間的変化のある交流電流を流したらどうなるだろうか。交流の場合は電線がぶった切られて、その隙間が空気中になっていたとしてもコンデンサという扱いになるので変位電流として現れることになる。その変位電流も同様に周囲に磁界を発生させる。先ほどの記号を使えば次のように立式できることが理解してもらえるだろう。 ②コイルに磁石を近づけると電気が発

      • 電磁ブレーキを定量的に解析してみた

        • 左京区鴨川モラトリアム

          左京区に入り浸る若者はいつか気づくに違いない。漠然とした不安を抱えながらアンニュイに包まれて楽しい仲間に囲まれている君にはまだ分からないだろう。 ここで新しい文化が生まれる気がしたとしても、あるいは伝統を死守してのちの誰かに引き継がれていくような思いを抱いたとしても、結局はみんな離散する。この街は人生の通り道でしかないのだ。百万遍の交差点に来たら、後もう一歩だけ街の奥に行けばまた会える気がするでしょう。でも間違いなくそこには誰も居ないしそんな場所さえない。ここは故郷たり得な

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        記事

          GoogleMapを活用せよ!

          皆さんはGoogleMapのアプリを活用しているだろうか?多くの人が現在地や目的地までのルートを検索するために利用しているのではないだろうか。しかし、それだけではなく、我々の行動範囲を広げてくれる機能があるので紹介したい。 それは「保存済み」とうタブにある。デフォルトでリストが存在しているはず。なければ「+新しいリスト」を押して自分で名前を付けて作れば大丈夫である。地図のスポット、お店でも公演でも何もないところでも良い。長押しをして「保存」という場所をクリックしてほしい。す

          GoogleMapを活用せよ!

          とても肩が痛い

          管理職から「健康ですか?」と聞かれると「極めて健康である」と答えるし、自己申告シートでも同じような選択肢にチェックを入れる。しかし、完璧な身体など存在しないように肩こりとか、やっぱり気になるところはあるよねやっぱり。 あるとき、朝目が覚めたら起きることができなかった。ロフトから降りるのにひと苦労したどころか布団から体を起こすことができなかった。「何もしていないのに痛い」というのは本当に困る。ロキソニンを飲んで出勤して最低限のやるべき仕事を終えた後は病院に行った。元々は肩が痛

          とても肩が痛い

          自転車で本州を縦断する

          〇概要 一気に全て完走したわけでもなければ最初から縦断を目指していたわけでもない。何年にもかけて少しずつ走った結果、いつの間にか達成していたといような感じである。高専2年の夏から一人での自転車旅をスタートし、28歳の3月になって最終的にクリアすることができた。縦断は①東京-青森②東京-京都③北九州-倉敷④倉敷-京都の4回に分かれている。残りの休日の日数に追われながらとにかく急いで駆け抜けていくような感じだった。基本的には1人で寂しく漕ぎまくるような旅である。でも、その中で人

          自転車で本州を縦断する

          親に殴られて記憶をなくす

          中学2年生の頃に面白い経験をした。あるとき親と喧嘩になって殴られた挙句、自分は家を飛び出たのだった。家を出たところまでは覚えているのだが、その先に何があったのか今でも全く思い出すことができない。布団の上で夢から目が覚め、嫌な夢を見たものだと感じながら、もう朝になったのかと体を起こそうとしたとき、実は既に座った状態だったことにまず驚いた。しかし、そればかりか現在進行形で親と会話をしているではないか。「大丈夫?」と声をかけられていた。それに対して自分は何かしら答えて会話は続いてい

          親に殴られて記憶をなくす

          部活やめるって誰から聞いたの?

          いまとなっては引きこもりがちな自分も小さい頃は色々なスポーツを経験した。そんな話をしたら意外だと感じる人も少なくないだろう。それくらいインドア派になってしまった。最初は地元のクラブでサッカーをやっていた。それが自然消滅したあとは水泳に切り替わった。体を動かすことが好きだった自分はそれも引退してからミニバスを始めた。当時それだけが自分の生きがいだった。 中学に入ってからも当然のようにバスケ部に入ったけれどなんかイマイチ面白くない。期待していたものとは違うなと感じていたし、同学

          部活やめるって誰から聞いたの?

          千代田区公立中学校(神田一橋と麹町)の10年代

          ○生徒の確保 出身中学校周りの話題について触れてみる。自分が卒業した後にもあった何かと不思議なその変化についてメモ程度に残しておきたいと思う。自分が千代田区立神田一橋中学校を卒業したのは2011年の3月であり、ちょうど東日本大震災が卒業式に被った時期だった。それ以降、麹町中学校ばかりが人気になってしまい神立一橋中も何かと不遇な感じである。区内には3つの公立中学校が存在するが、正確にいば九段中等はそれ単体での中学ではないので別枠だ。夜の人口が極端に少なかった千代田区も最近では

          千代田区公立中学校(神田一橋と麹町)の10年代

          今日もあの子の夢を見た

          今日も夢にあの子が出てきた。起きてからすぐ夢だと分かり、もう会えないんだってことに気がついて絶望した。そんな朝を何度も繰り返す。夢の中では何でもなかったかのように許してくれる。可能性を見せてくれる。そして起床の度に現実に断罪される。そんな悪夢だって数ヶ月すれば収まる。毎日それでは耐えきれないし何事にも終わりはある。でもしばらくして、別のあの人が夢に出てくる。また繰り返される。別の人で同じ夢をみる。似たようなシチュエーションで上書きされる。また悪夢だ。それは突然に始まる。 ふ

          今日もあの子の夢を見た

          不可能性を徹底し死を与え弔うことで自己解体されていく(ブランショ『明かしえぬ共同体』を読んでみた雑感)

          [Works1.1]不可能性を徹底し死を与え弔うことで自己解体されていく (ブランショ『明かしえぬ共同体』の雑感) ○この本との出会い 地形の記事を書くために谷根千の散歩をしていたとき、ある古本屋さんにたまたま立ち寄った。そのとき手にとったのが本書である。いますぐは絶対読まないだろうなと思いつつも、積読してでもいつか消化したいと思って買ったら、すっかり沼にハマってしまった。そして読書会のテーマにしたのだった。確かに面白いし心惹かれるところ多いのだけど、意味が分からない箇所

          不可能性を徹底し死を与え弔うことで自己解体されていく(ブランショ『明かしえぬ共同体』を読んでみた雑感)

          ブランショ 『明かしえぬ共同体』 抜き書きノート

          ブランショ 『明かしえぬ共同体』 抜き書きノート その①(西谷修による解説) ナンシーのバタイユ論である『無為の共同体』を契機にして本書が書かれた。前半部でバタイユの試みと自身の政治的な経験を踏まえつつ、後半部でデュラスの小説『死の病』を参照しながら、「共同体」に対する考察を行っている。 前半(ナンシーとバタイユの論点) ○デュラス、マスコロ、エドガール・モランとは50年代以降の政治的な行動で歩みを同じくしている。 ○バタイユとも40年代から知己であるという関係を遥か

          ブランショ 『明かしえぬ共同体』 抜き書きノート

          非日常、将来の想定、誰かとの共同性、往来すること

          ○シェアハウスからのひとり暮らし ここではシェアハウスに6ヶ月くらい住んだこと、その後にひとり暮らしを始めた経緯、雑感を述べていこうかと思う。まあ、言いたいことを全部Twitterのつぶやきみたいに垂れ流しているだけですが…。 ○共同生活と巻き込まれ 28歳にもなって初めてひとり暮らしを経験することになった。ちょうどこの記事を書いている8月上旬からすれば今年の5月から3ヶ月くらい経ったことになる。生活スタイルが大きく変わって嬉しかったことは、生活において絶対的な決

          非日常、将来の想定、誰かとの共同性、往来すること

          持続ではなく縛り付けという視点

          人間関係の形成は、ほぼ全てプロジェクトベースドであるという事実を前提として、不意に立ち現れる共同性により、その輪郭を明らかにする。プロジェクトがプロジェクトである限りは突発的なものでありひとまずは単体でどこかで区切りとして終了するものであることは間違いないのだけれど、それでも続いていく関係性があるとしたら何だろうか。 それにしても、持続への道筋というより、その関係が人間をどう縛り付けているのか、その縛り付けこそが共同性が存在した証拠であるのだろうと考えてみた方が良いのかもし

          持続ではなく縛り付けという視点

          「幸せになってほしいと祈ってる」って言える?

          「幸せになってほしいと祈ってる」って言葉は掛けてもらったことの方が多い。けど自分も本心からそう思っているならたくさん言いたいな。行為遂行的な発話ってやつに近いのかな。ずっと願っていられるとは限らないじゃん。自分が将来に抱くであろう嫉妬を甘んじて受け入れる覚悟のもと初めて言える。もしかしたら自分より幸せになってしまうかもしれないので…。それでも応援し続けられるかというと分からない。きっと、幸せそうに見えてしまう時点で自分はその人への興味を失ってしまうと思う。幸薄そうな人が好きな

          「幸せになってほしいと祈ってる」って言える?