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室伏氏の言動への批判と自称救援会に対する問題点の指摘〜当事者をないがしろにする不誠実への糾弾〜



1.経緯について


 2020年8月3日、室伏良平氏、飯塚早織氏、首塚織部氏、突撃隊氏ほか1名のあわせて5名が在名古屋米国領事館前の廊下でビラを撒くなどし、同年11月18日、5名全員が一斉に逮捕された。同年12月8日、室伏氏と飯塚氏が起訴、首塚氏は罰金刑、突撃隊氏ほか1名のあわせて2名は起訴猶予。翌2021年2月18日、起訴された2名のうち、室伏氏は懲役半年(執行猶予3年)、飯塚氏は罰金刑の判決。控訴はせず、翌月に刑が確定された。

 ここでは上記の事件を2020年在名古屋米国領事館事件と呼ぶ。この事件は、逮捕後の支援活動が大きく混乱した。ただでさえ複数の都市から逮捕者が出ており、またそれぞれ思想的にも立場的にも様々であるため、その周囲の人間が情報を共有するのが難しい状況だった。(逮捕された場合の支援体制も事前には決まっていなかった。)獄中では接見禁止、保釈後は接触禁止となった本件では、周囲の人間の情報共有の難しさは事態を悪化させた。

 逮捕者が勾留されている現地・名古屋では、主犯の室伏氏の交友関係が原因で3つの支援組織ができた。①エサマン氏、酒井徹氏が中心となった「なりゆき救援会」は最終的に支援対象として首塚織部氏、突撃隊氏とほか1名を合わせた3名を中心として活動した。自称救援会と共同で担当した飯塚早織氏を含めれば支援対象は計3.5名といえる。②海上宏美氏、大野左紀子氏、栗田英彦氏、田中敦士氏、中崎クルス氏、東野大地氏、山本桜子氏、他有志の方たちが中心となった「自称救援会」である。最終的な支援対象は室伏良平氏1名と、なりゆき救援会と共同で担当した飯塚早織氏で、計1.5名といえる。③「名古屋アメリカ領事館事件救援会」については混乱を避けるために本文ではふれない。


2.逮捕者を出した室伏氏の計画性のなさ


⑴行動前における過失

 室伏氏は以下の3点において実質的なリーダーとして最低限のなすべきことを怠ったといえる。行動を共にする5人の友人や仲間を守り、これまでのコミュニティを維持するために必要であったことをしていなかった。①そもそも逮捕リスクを最小限にする行動計画を立案すべきだった。②本行動における逮捕可能性や政治弾圧に関する知識について参加者にレクチャーしたうえで、行動計画について意見を求めたり、行動に参加するかどうかについて参加者に同意を取るべきだった。③一方で逮捕するか否かは権力側のさじ加減でしかないのも事実であり、万が一逮捕された際、事後の混乱や対立を避けることができるような救援体制を事前に整えておくべきだった。


⑵行動後における過失

 警察による捜査が室伏氏のnote投稿記事を元にして行われたことを考えると、個人名がイニシャルだったとはいえ、他の当該に無断で直接行動の内容を詳細にインターネット上に公開するべきではなかった。裁判が終わった後、会計処理をする段階であらためて決裂の動きが出た際、室伏氏は止めるべきであった。


3.当事者不在なシンポジウムを開催しようとする配慮のなさ


 今回のシンポジウム開催にあたり、以下の2点に置いて、開催側の落ち度があったと考える。そのため、一連の出来事の中で破壊されてしまった人間関係に更に亀裂を入れ修復を遠ざけてしまった。①シンポジウムに登壇する当事者は室伏氏1人のみであり、開催前に他の当事者に了承もとらず、情報も提供しなかった。逮捕当事者を等しく尊重せず、活動本体を担ったはずの当事者を蚊帳の外に置くことは二次加害だといえる。同席していない中で、その人物やその行動に対して公において語ることは一種の暴力であるともいえる。②今回のシンポジウムのテーマは「救援とプロパガンダ」であり、意味内容の説明がなされていない中、「一連の騒動は、活動企図を超え、我々宣伝研究会のプロパガンダとして非常に成功を収めた」と一般におそらく解釈がなされるだろう。しかし、そのような「勝利演説」は「成功」の影に一部の当事者達の犠牲が隠れている。当事者たちを尊重するとしたら一連の騒動を当事者の苦しみを無視して評することは不可能だ。よってシンポジウム開催自体が当事者の存在や被害を矮小化している。救援活動を自らのイデオロギー闘争に利用する態度については批判されるべきである。


4.長期化、泥沼化させる立ち振る舞い


 仲間が逮捕されたという状況おいて、政治的な対立を一時的に棚上げし、解決まで最低限の協力体制を構築することは政治運動を進めていく上の前提として据えるべきである。単にこのように表現するのであれば多くの方が納得していただけるのではないだろうか。お互いの運動や他の運動に影響が出ないよう、ことを進めていく必要がある。

 しかし、ここでは、今回の領事館事件では主犯である室伏氏の支持者らが組織した支援組織・自称救援会の活動がこれらの前提を無視していることを指摘したい。逮捕当事者に対する対応や情報発信の方法については問題があった。その結果、支援活動だけではなく、会計や人間関係も泥沼化し悪化させていったのだと捉えている。

 また、今回の救援体制に対して多くの人がストレスを抱えて傷ついたことは否定のできない事実と考えている。当初の救援会とは異なる別の救援会を立ち上げることに関しては、運動的な方向の違いなどによりあり得ることだと一定の理解を示したい。しかし、その後にいたずらに対立と分裂を煽っていることは批判されるべきではないだろうか。自称救援会は「本人の意向」や「自立した個人の選択」といった方針を掲げていたが、実際にこれらを尊重できていただろうか。無用な混乱をさけ、共同歩調を取るべきところ、最初から協力の可能性を閉ざしたまま活動していたように見える。


5.ウソの建前とデタラメな引き回し


⑴「本人の意向」「自立した個人の選択」という建前

 自称救援会に名を連ねる方たちは、「本人の意向」「自立した個人の選択」という言葉をよく使う。だがこれはかえって搾取を可能にし、当事者を周囲から孤立させるものとして機能した。今回逮捕者は接見禁止で、外部とのコンタクトは弁護士をとおしてしか行えず、しかも逮捕・裁判によって社会的な問題を抱える可能性があった。状況を正確に把握し、潤沢な選択肢の中から自由に何かを選べるなどという状況ではとてもなかった。この状況にある人間からのメッセージ(しかも弁護士をとおしてようやく伝えられるもの、正確なものにはなりえない)や、数少ない選択肢の中から選んだものを「自立した個人の選択」のように過度に持ち上げることはできない。


(2)「全ての逮捕者の意思確認」という誇張

 特に問題だったのは、自称救援会が「全ての逮捕者の意思確認」と称して、逮捕からもう10日近くも経った頃に、全ての逮捕者に自称救援会となりゆき救援会のどちらの救援会を選ぶかを問うたことだ。領事館事件は共犯事件なので、救援や裁判内容は他の逮捕者にも影響する。これはいくつ救援会ができ、誰がどの救援会を選ぼうが、変わらない現実だ。外の状況も満足に説明されず、自称救援会となりゆき救援会のどちらを選ぶのかという二者択一にどう答えたかは、自称救援会や室伏良平氏の行動を容認したことにも、あるいは敵対したことにもならず、ましてや自称救援会が他救援会を選んだ人間の社会的な問題や意思を考慮に入れなくて良いと認めたことにはなりえない。それは「全ての逮捕者の意思確認」をしたなどと呼べるものではない。にもかかわらず、自称救援会は二者択一の質問を各逮捕者にしてまわったことで「全ての逮捕者の意思」を確認したと発表した。これは、自称救援会が全ての当事者たちの承認を得て行動しているかのような印象操作であり、自分たちを責任のない安全な立場に置きながら、それぞれの逮捕当事者の発言や選択を都合の良いように解釈・すりかえることを可能とするものだ。



6.救援資金支払いの拒否と加害性のあるコミュニケーション


⑴円滑な救援を阻害する態度

 救援金を巡っては以下の①と②の問題が発生していた。それ伴って飯塚氏、なりゆき救援会、また飯塚氏個人を支援する者に対して加害性の強いコミュニケーションが行われた。これらの事実は獄中の当事者たちを無視して行われ、飯塚氏とその周辺の人間関係に亀裂が入るなどの禍根を残している。①自称救援会は逮捕から1年以上に渡り、「領事館事件に関する飯塚氏支援のための資金」(弁護士費用などを含む)として自称救援会に集められたカンパから支払いを拒否していた。②「生活再建費」として飯塚氏個人に渡されるはずのカンパを領事館事件に関するものとして支払わせることを企図し圧力をかけていた。

 結果として2021年12⽉に自称・救援会となりゆき救援会とでそれぞれ「6:4」という支出配分案どおりの分担額で⽀払い⾃体は完了した。また、飯塚さん個人へのカンパは結果として他の救援会に渡ることなく用いられた。東京支援者会は会計について「会計処理段階における一連の行動のご説明とお詫び」という文章を発出しているが、自称救援会はそのような声明などを出していない。


(2)合意と反故

 2020年12⽉に「(なりゆき&⾃称で)共同で救援」という合意がなされた際、⾃称救援会の栗⽥⽒、中崎⽒は、「6:4」での支出配分案と共に、飯塚⽒のカンパからの領事館事件の関連費⽤の⽀払いはないことにも合意していた。しかし、2021年5⽉に「あれは合意ではなかった」、「「6:4」の折半はなりゆき救援会が⾃称救援会のカンパを削る⽬的で提⽰している」と救援会内部の会議において発⾔するに至った。このとき既に逮捕から6か⽉、合意から5か⽉、判決から3か⽉経っていた。飯塚⽒本人は2020年12⽉の合意当時は獄中におりかつ接⾒禁⽌中で⼗分には詳細を知らなかったため、強くは言い返せなかった。2021年6⽉21⽇に⾏われた⾃称救援会の会議録にはカンパ支払い拒否問題について「⾃分達の意⾒を飲まなければ協議から降りる」と記載されている。また栗⽥⽒は、なりゆき救援会の会計を清算する際に「⾃称救援会の⼝座からなりゆき救援会の⼝座にお⾦を移動することは避けたい」とも発⾔している。弁護⼠費⽤はなりゆき救援会がもともと建て替えしていて⾚字になっている状況だった。担当した人数が「3.5人:1.5人」であることを考慮して、飯塚氏を救援する際の両救援会との支出割合をそれぞれ「6:4」にするというなりゆき救援会側の提案に対して、中崎氏は「根拠がない」と執拗に批判し議論を⻑引かせた。


(3)言葉による圧力と筋の通らない提案

 飯塚⽒の⽣活再建費⽤などのためにごく近しい友⼈たちの間で集められた個⼈的なカンパからも、なりゆき救援会・⾃称救援会と同等額を⽀払うよう、「生活再建費」も含めて非公開で集められた飯塚氏への個人的カンパからも平等に支払わせる支出案を「提案」したのは栗⽥英彦⽒である。飯塚⽒の周りの⾝近な⼈間が集めたカンパは、思想などの違いから他の逮捕者には使われない約束で集められたものだった。あくまで知⼈の間だけで集め、表⽴ってはカンパ募集をしないことでなりゆき・⾃称の両救援会のカンパ募集には影響を与えず、その代わり飯塚⽒個⼈に渡されるというものだった。


7. 無責任な発言と被害者が声をあげられなくなった状況


⑴大野氏が行った発言の問題点

 自称救援会に名を連ねる大野左紀子氏は救援活動の中で、室伏良平氏の活動を「被害者目線で語らない」「凡百の活動とは違う」と喧伝した。これが救援活動中のことでなかったら、大野氏の分析を必ずしも否定するものではない。しかし、大野氏の発言と「全ての逮捕者の意思確認」により、領事館事件とその救援は、「被害者目線で語らない」「凡百の活動とは違う」ゲームであるかのような印象操作がされてしまったのは問題である。この状態では他逮捕者や他支援者が疑義を訴えることは相当の労力がいる。このゲームの中では、「被害者目線で訴え」ている「凡百」なものとみなされ、ルール違反あるいは下位なものとなるからだ。実際、他の逮捕者からは、大野氏の論考について「芸術や美のためには他の協力者を犠牲にしても良いみたいな、そんな方向に勝手に回収しないでほしい」「実際に人が捕まっているのに、(室伏氏以外の)他の人間をここまで眼中に入れずに情報を出してしまえるなんて・・・」という声も上がっていたが、それを対外的に発信することに伴うリスク・労力を想像し、黙ることしかできなかったそうだ。


(2)室伏氏が行った発言の酷さ

 飯塚氏のためのカンパからも同等額を支払わせる案に対しては、室伏氏自身が「採択」したことで自称救援会の内側から止める者がいなくなった。とは言え、必ずしも金銭目当てではなかったのではないかとの声もある。自身の企画した行動に参加したために参加者に逮捕・長期勾留そして前科をつけてしまい、その上その当人のためのカンパから関連費用を支払わせようとするなど、そこまで悪質なことをするとは信じられないと。だが、室伏氏は、前科のついた飯塚氏が今後は海外渡航に場合によっては高額のビザが必要になることに対して「金持ちだから平気だろう」という発言があった。まるで飯塚氏にはかなりの経済的な余裕があるかのような印象操作であり、飯塚氏はカンパの性質上そこからは支払えないと主張することにむしろ罪悪感を覚えるようになったという。2021年12月まで支払いがこじれた事実のあるいまでは残念ながら金銭目当てであった疑いは消えなくなってしまった。


(3)これらの発言が生まれた状況

 三か月かけて準備された上で5人一斉逮捕という緊急事態にもかかわらず、問題の共有・改善や交渉をいかにスムーズに行うかより、どう都合よく対話を拒否し責任のない立場になるかに特化していったのが自称救援会だと言える。また、自称救援会の方たちは、自らの問題・間違い・悪い部分から目をそらし、誰かに悪い部分をなすりつけるよう認知を歪ませ、万能感を得ていたのではないかとの指摘もある。いうまでもなく、この「誰か」は、なりゆき救援会のエサマン氏のことを指している。この万能感は非常に脆く、常に悪い部分をなすりつける相手を必要とする。本件後にも、彼らがエサマン氏あるいは別の誰かにその役割を押し付ける可能性は高い。


8.会計内容に対する疑義


 自称救援会の会計では、12万円もの費用を交通費に費やしていた。常識的に考えて12万円も一つの救援会で使うことは考えにくく、ごまかしや水増しなどが疑われる。この部分に関しては領収書も公開し疑いを晴らす必要があると考える。またそもそも金銭の使途にもっと慎重になるべきだったのではないだろうか。交通費などの分でカンパを想定以上に浪費してしまったが故に、最初の負担割合に対する合意を翻し、なりゆき救援会に対して支払いをごねたのではないかと疑念を抱かれても仕方がない。また、「当事者のためのカンパ」という意識が薄かったのではないだろうか。各者のこれ以上の対立と不信感を煽らないよう、金銭の使途においても細やかな配慮をすべきだった。


9.逮捕当事者として


 逮捕され権力から弾圧を受け、前科がついてしまったことは、私の人生の中で最も苦しい記憶として刻まれてしまった。それゆえ、その状況の最中に救援の手を差し伸べてくれた方々の優しさを思い出しては今でも涙するほどに感謝している。自称救援会の人々は、「本人の意思に沿った救援を展開しました」と最後に公表したが、少なくとも私の「意思に沿っている」とはとても言えない内容であった。室伏氏の「"現体制下"における弾圧そのものは否定しない」という思想に基づき、自称救援会は率先してプロパガンダを行った。しかしそのプロパガンダは、理不尽な逮捕を「権力による不当弾圧」だったとして闘うことを難しくした。「当該の意思に沿って救援活動を展開する」という救援体制において、尊重されたのは室伏氏個人の意思だけであった。

 自称救援会は、初動で活動していたなりゆき救援会とは別の救援会をつくったのは、あくまでも救援対象の「分担」であるとして、私に関してはなりゆき救援会と共同で救援すると宣言した。それにも関わらず、最終的に救援会同士の決裂を煽ることによって人間関係を深刻な分断へ導いた。その上、室伏氏以外の4名の当該のことを考慮に入れずプロパガンダを行い、「当該の意志に沿っている」と虚言を呈するのは、当該自身に責任を押し付ける行為であり無責任ではないだろうか。本来的な救援の原則を無視し、カンパ先が分裂した結果、カンパ額は「人気投票」と化し、救援活動も「推し活」へと貶められた。弾圧だけでも相当辛い上に、さらに自称救援会の行った行為は、当事者への搾取であり、明らかに二次加害と言ってよいものだ。救援とは本来、獄中で辛い取り調べを受け、尊厳と自由を奪われ、孤独な状況にある人を支援し、当該の人生にも関わる大変な支援活動ではなかったか。だからこそ関わってくださった人々にはたいへん感謝している。しかし、自称救援会が行ってきたプロパガンダは決して称揚されるべきではなく、自己批判も含めて総括されるべきであるということを、最期に申し上げておく。

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