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愛着とかなんとか



自分の性について、幼いころから実は不思議に思っていた。

私がこの世で初めて好きだ、と自覚したのは、小学校1年生の時、女優の山田まりやさんに対して。本当に本当に大好きだった。

どうして女の人なのか、と当時は考えてもわからなかった。

自分は同性愛者なのかと考えたこともあった。

でも人並みに?いや、それ以下かもしれないけれど、異性と恋愛もしてきたつもり。


高校生のころに出会って付き合っていた彼氏とは交際5年で結婚を考えていたけれど別れた。

ある時にふと、山田まりやさんのことを幼いころの自分が好きだったことを思い出した。そして、その理由がなんとなくだけれどわかった気がする。

「私は愛着障害かもしれない」


親のことを今更どうこう言うつもりはないのだが、母は幼い私にも「自立」した姿を強く望んでいたように思う。

あまり甘えるということをしてこなかった。
妹が病弱で何度も手術や入退院を繰り返す生活をしていて、心のどこかに迷惑をかけてはいけない、だとか、私はしっかりしていないと、などと思っていたのかもしれない。

私より妹のほうが大事なんだ、なんて今まで腐るほど感じてきたし、今もその思いはずっと心の奥深いところにあって、ふとした時に閉じ込めていたその思いがわーっとあふれ出してしまうことだってある。

幼い頃、周囲の友達が母親と手をつないで買い物をしていたりする姿を街中で見つけて、眺望の眼差しで見ていたこともあった。

きっと私は母のような愛情をくれる人が欲しいんだ。


そう気づくまで時間がかかりすぎた。
人恋しいのではない、甘えられる存在が欲しいのだ。
だから異性にそういう感情は抱かない。

成人してからも何人もの女性を好きになるというか意識してきた。
仲良くなって、依存していくーーー


でも、相手は異性愛者だから、私の想いが相手に届くこともない。
好きになると夢中になるし、その人に気に入られたい、と必死になる。
生きてて楽しい!とまでは思わないにせよ、なんだか毎日が楽しいなあと思える。

うまく言えないけど、世界が輝いて見える感じ。

そして、冷静になるときが必ず来る。
相手は私をそういう対象で見ていない、という現実で辛くなる、というよりは相手のふとした言動で、
「ああ、また依存していたな」と猛省するのである。


今回も同じ。
実は職場で年の近い人と仲良くなった。
同じ読書という趣味が共通で、ミイラ、廃墟、などといったアングラな趣味が同じで。

今までは同僚だったのが、急に距離が縮まり、仲良し、と少なくとも私は思うようになった。


読書の話をするようになり、趣味の話をするようになり、共通項が増え、ついに彼女のほうから連絡先を聞いてくれた。

遠方に転居してきて、友人と呼べる人がほぼいない私にとって天にも昇るくらいうれしいことだった。

なんだかんだとLINEをするようになって、同じ勤務が続いたのもあり、初めて一緒に出掛けた。数時間だったけど、私にとっては本当に楽しい時間だった。


でも、職場では一緒に出掛けた、とかLINEしてる、なんてことはお互いに一切話さない。
私も彼女の面を汚すようなことはしたくないから、絶対にそんな話はしない。彼女もまた話さない、ただ、周囲は最近この二人仲良しだなとか、私が彼女に対して敬語ではなくなったな、などとは気が付いていたかもしれないけれど。


だから、私と出かけているなんてことは彼女も周囲に知られたくないのかななんて考えたりもした。


そんな彼女が今日、とある上司の機嫌が悪いことについてこう話した。


「あの人はね、一人の人に依存するんだ。だから好きなその人が周囲にとられた、とでも思おうものなら機嫌が悪くなるんだよ」


この一言は私にとって非常に衝撃的だった。


そして、その上司と同じような性格をしている自分に気が付いた。


私も彼女に依存してしまっている。確実にそうだ。


そして、「〇〇(私)は年下の子と仲良くなることが多いんじゃないの?なんかそんな気がする」とまで言われた。
確かに以前、すごく好きだった人も年下だったなと思い出す。


そんな彼女はとある後輩(彼女からしても後輩)のことが昔から心配。と話した。その瞬間、その後輩に嫉妬すらした。


「ああ、私はこの子が好きでもこの子に私のことが心配、と思ってもらえることはないんだ」と。
悲しくなった。


でも、わかりきってたじゃないか。
彼女が周囲の後輩や先輩たちとなじむほどの時間を私はこの町で、この職場で過ごしていない。

それを少し親しくなっただけで勘違いをして甚だばからしい。


数日前に私は彼女に、心の中をさらすようなことをした。
生まれ育った町に帰りたい、と。
前の職場で勤務している夢を見たり、起床時に泣いていることもあるんだと打ち明けた。

そんな私を彼女は受け止めてくれて、頑張ってるね、と認めてくれた。それだけでうれしかった。


彼女は私の性格を「繊細」と表現する。
自分では繊細だとは思わないけれど、彼女が言うには、人の少しの機微にも気が付いているらしい。

それは確実に喧嘩が多かった両親を見て、恐怖心から怒られないようにするために身に着けた、人の顔色をうかがう、というスキルなのである。
でも、私なんかのことをよく観察してくれていたことが嬉しかった。

彼女は、私をどこかに連れ出そうとすらしてくれる。
私はこの町のことをまだまだよく知らない、だから「いつか〇〇に行きましょう」とか「この店おすすめなんだ」などと勧められるだけで嬉しくなる。


だから山田まりやさんに恋した時と同じような、母性を彼女に抱いてしまったようである


そして、母のような愛情を誰かに求めてしまうのだ。悲しい性格だとさえ思う。

中学生のころ、ゆずの「午前九時の独り言」という曲に出会った。
その歌詞の中にある
【母さん あなたにもっと愛してほしかった
母さん あなたにもっと触れてほしかった
私は自分の愛する人に母の様な愛を求めてしまいます】
という部分が痛いほどよくわかる。

私はもっと幼いころに母親からの愛情を受けていたら、こんな人生を歩まなかったのだろうか。もっと真っ当に人間関係を築けていたのだろうか。

答えはわからないし、きっとこの先もこうやって他人に依存するような人生を歩んでいく気さえする。


でも相手に嫌われない程度に、そっと相手の顔色をうかがいながら生きていくしかない。


でもただ一つ、大事な後輩とこれからも【普通に】仲良しでいられますように。

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