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【連載小説〜うお座がみた福祉】 第四話 節分(後編)

第四話 節分(後編)

 1月24日採用面接の日、午後1時20分に久之助は特別養護老人ホーム光栄園に到着した。恐る恐る玄関に近づくと自動ドアが勢いよく開いた。事務所の小さな受付窓を通して女性と目が合った。事務職員だったその女性は笑顔で会釈した後、事務所奥の部屋にいた施設長を呼んだ。
「いらっしゃい。施設長の上角です。どうぞ。」ぬっと現れた身長180cm以上あると思われる男性が施設長の上角高行だった。久之助が勝手に想像していた老人ホーム施設長のイメージからは大分ズレていた。小柄で優しそうな、目尻の下がった壮年くらいの施設長、ではなく、長身で貫禄のある紳士、何かの映画で見たことのある俳優のような人物だった。

 一体なんの話をしたのかははっきり覚えていない。上角は話好きのようで、喋り出すとしばらく続く。久之助も悪癖で矢継ぎ早にあれこれ質問を重ねるため、面接は長時間にわたった。まだ介護保険ではなく、措置制度と呼ばれる仕組みで老人ホームは動いていた。その制度が今後どうなるのか、もう終わるのではないかといった話題を久之助は少ない知識から取り上げ、上角に投げかけた。上角も我が意を得たりといった反応で、嬉々として様々な情報や自身の考えを話してくれた。
 施設長へのインタビューなのか、議論をしているのか、よくわからないまま採用面接が続き、気がつけば、はじめに出たお茶の次にコーヒーが出て、その次に紅茶が出た。喫煙する久之助は目の前で機嫌よくタバコを吸いながら話す上角を見て我慢できず、とうとう目の前のガラスケースに入ったタバコを1本いただけないかと頼んでしまった。気がつかなくて悪かったと言わんばかりに、上角は笑顔で自ら取り出して、ジッポーのライターで火まで点けてくれた。
 とうとう夕方になり、日が傾き始めた。何の話を区切りにして面接が終わったのかわからないが、最後に上角が、
「ま、よかったらうちで働きませんか。明日からでもいいし、2月1日からでもいいですよ。」と誘ってくれた。
 議論の熱も冷めやらず、少し興奮気味で、機嫌も良くなっていた久之助は、内心小躍りするくらい嬉しかったが、落ち着いたふりをして礼を言い、2月から勤めさせてください、と頼んだ。
「ふむ。じゃあ、そうしましょう。」一つ返事で了承が得られた。
「今日はどうやって来た?」
「え?あの、家は近いのですが距離感がわからなかったので自動車で来ました。」
「それなら、すまんが娘を駅まで送ってやってくれないか。」
「は?はい、別に全然構いませんが・・・。」
「お〜い、悪いが俺はもう時間がないから、こいつに駅まで乗せてってもらえ。」そう言って上角は中学生くらいの娘を呼んだ。
「じゃ、あとはよろしく。」そう言って颯爽と事務所を出て行ってしまった。
「吉備です。今日は施設長にいろいろお話を伺いまして・・・」怪訝な表情で立ち尽くす娘に、まるで何かの言い訳をするかのように挨拶した後、親から借りているトヨタのスターレットに、施設長と同じく長身の娘を乗せ、最寄り駅まで10分程走った。気まずかった。

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 2月7日金曜日、久之助が勤め始めて6日目。午後になって生活指導員の山口は久之助を呼んだ。
「おい、吉備。静養室におられる上川さんのそばについておいて。なんか変わったことあったら、読んでくれ。」
「はい?いるだけでいいんですか?」
「だから見守っておけということや。」入職時のオリエンテーション以降、山口からは親切な説明や解説はない。そういう方針なのか、性格なのか、ともかく黙って受け入れた。
 久之助が2人部屋の静養室に入ると、入り口に近い方のベッドに上川さんが寝ていた。まだ介護業務はさせてもらえず、先輩の後ろで見ているだけだが、100人の入居者を少しずつ覚え始めていた。上川さんは、確か脳梗塞の後遺症で言葉がはっきり出ず、少し泣き顔で言葉少なく何かを訴える人。先輩の肩越しにオムツ交換の様子を見守ったことが何度かあった人だ。気の弱い人だと先輩からは聞いた。その上川さんに死が近いらしい、ということがやっと理解できた。
 __そうか、これから旅立たれるのか。入職してまだ間もないのにお見送りの役か。
 生まれて初めて人が旅立つ瞬間に立ち会うことになった久之助は、戸惑いながらも何か使命感のようなものを感じていた。

 初めて人の死に接したのは、久之助が小学生の頃、母方の祖母が90歳で亡くなった時だ。田舎造りの大きな旧家。奥の和室に横たわった祖母の顔を葬式の前に見た。別居だったが、たまに母と一緒に家を訪ねると「おお、久ちゃんか。よう来たね。」と小さな頃からとても可愛がってくれた。その祖母がもう喋らない。悲しさより、不思議で、あっけなく、子供ながらに手を合わせて、しばらく瞑目したことを覚えている。
 __人の死、って一体なんなんだろう。
 久之助は日常的に死について考えるようになっていった。

「おい、変わりはないか。」何度か山口が静養室を覗きにきた。
「いよいよになって、下顎呼吸になったら必ず呼べよ。」
「カガクコキュウ?」小声で呟いた久之助には気づかず山口は静養室を出て行った。身寄りのない人と聞いていたが、改めて親類縁者を探しているようだった。少し時間を置いてから下顎呼吸について思い出した。死が近づくと下顎が大きく動き、喘ぐような呼吸になる。最後に「ふう〜」っと大きく一息ついて息が止まる、と祖母が亡くなった時のことを母から聞いたこともあった。
 久之助が静養室を訪れてから2時間ほど経った頃、上川さんは下顎呼吸となり、すぐに山口を呼んだ。看護師が飛んできて、医師がやってきて、ほどなく上川さんは息を引き取った。呆気なかった。家族は誰も来なかった。命が燃え尽きる前に一緒に時間を過ごしたのは、上川さんにとってまだ見ず知らずに近い間柄の久之助だった。
 「よし、ありがとう。戻って。」山口に促され、久之助はまた先輩寮母の下に戻されたが、その日の終業時間まで何をしていたかあまり覚えていない。死後処置は看護師と寮母で行ったのだろう。上川さんはその後、1階廊下の突き当たりの和室に安置された。久之助が入職オリエンテーションを受けた和室の隣の部屋だった。
 終業時間となり、タイムカードを押して施設を出た久之助の目に涙が溢れた。感情が込み上げてきたのとは違う感覚。何か疑問や理不尽さが入り混じったような思考。諦めや割り切りへの抵抗。結局、理屈をつけるのが煩わしく、涙の好きにさせた。
 後で聞いた話だが、毎年2月は寒さも厳しい上、インフルエンザなど感染症も流行るし、施設入居者はよく亡くなられる時期だという。上川さんが旅立った翌週にも一人、さらに月末にも一人亡くなった。久之助が立ち会ったのは上川さんだけだったが、先輩寮父(数少ない男性介護職は当時寮母ではなく、寮父と呼ばれていた)の白川吉雄に「お前、死神連れてきたやろ。」と言われた。大して腹は立たなかったが、後々、よく言えたものだと内心反発する久之助だった。

 一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。節分の豆まきの後の日々は、鬼と一緒に逃げていった。

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