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こんにちは!
鍼灸院Harista31 院長の齋藤です。

東京都は墨田区の両国にハリスタはお店を構えているのですが皆さんになぜハリスタが両国にあるのか?
についてお伝えしたいと思います。

それは両国という場所が、江戸時代から受け継がれる鍼灸の聖地だから
なんです。

皆さん、両国が鍼灸の街だって知っていましたか?

今回のブログでは両国がなぜ鍼灸の聖地、鍼灸の街なのかをお伝えしつつ、ここにハリスタをオープンさせた経緯をお伝え出来たらと思います。

鍼灸の世界にはいわゆる名人(鍼灸の世界では大家/たいか)と呼ばれる先生たちがおります。
その中でも、我々鍼灸師が今日鍼を打つ際に【鍼管/しんかん】という道具を使い鍼を打つ事

ハリスタで使用する無痛鍼管


この方法を開発し日本の鍼灸、ひいては世界の鍼灸に日本式の道具が採用される基礎になった【管鍼術/かんしんじゅつ】の生みの親、江戸の大家〈杉山和一〉先生のお話を少しだけさせてください。

杉山和一先生の像

【杉山和一】
江戸の初期1610年(慶長15年)、武家の子として三重県津市に生まれる。
幼少期の名前は養慶(やすちか)
7歳の頃、疱瘡が流行して高熱となり命は助かったが失明する。
18歳の頃、江戸で評判だった山瀬琢一(やませたくいち)という盲人の鍼医の弟子となる事を決意。
(※時代背景として、盲人の職として琵琶法師、三味線弾き、あん摩師と決まっており、まだ鍼灸師が多くはなかった時代。)
しかし5年仕えるも、鍼灸の技術の覚えが悪く破門されてしまう。
その足で故郷には帰れず盲人の守護神とされていた弁天さまを信仰し日本三大弁天でもある江ノ島を目指す事に。

5.6日歩き続け(約50km)江ノ島に着く。
恭順院というお坊さんにお世話になり、海岸沿いにある洞窟にて弁天さまの教えをこうための断食修行に入る。
修行8日目に洞窟を出て岩場を歩こうとした時、大きな石につまづいてしまいます。

その時、足にチクリと何かが刺さります。
手で触ってみると一本の松葉が丸く筒状になった落ち葉にくるりと包まれた状態で皮膚に突き刺さっていました。

落ち葉に包まれた松葉

これは大発見だ!
「細い管を使い、その中に鍼を入れて使えば、正確にツボを刺激できるはず!」
これを当時の杉山和一先生は弁天さまのお告げと解釈したのでした。

その後、再び江戸にもどり山瀬琢一を訪ね、新たな鍼術の発見を報告、再び山瀬琢一のもとで鍼灸治療の稽古を許され、新たな発見【管鍼】の工夫と鍼灸治療の修行に励む。
この後5年勤め、さらなる鍼灸術の修行のため山瀬琢一の師匠、入江良明を訪ね京都へ渡る。

入江治療所ではすごく学びの多いお弟子さんにまざり学も上手に打てない日々が続いたそう。
兄弟子達がいかに入江師匠の技や接遇を見て聞いて盗んでいるのかを学ぶ事に。
入江師匠と患者さんの会話でも人間力を感じとる。
ここでは7年勤め上げるも、痛く無く上手に鍼を打つ技術に達する事は出来なかったのだそうです。
そこで、京都で他の先生方の鍼灸院でも師事を得て、ようやく杉山和一先生ご自身の治療、まさに管鍼術が出来るようになる頃には40代になっていたそうです。

その後、江戸に戻り江戸城に近い麹町で診療所と杉山塾という私塾を開くことになります。
管鍼術は評判を呼び、盲人だけでなく、青眼者の鍼医にも受け入れられて行きます。

1680年(延宝8年)、70歳を越えた杉山和一先生は幕府に呼ばれ四代将軍徳川家綱の治療にあたります。
しかし、家綱な身体は思いのほか悪く、杉山和一先生の診断どおりに、1ヶ月後に亡くなってしまいます。
1682年(天和2年)、72歳の頃、目に障害のある人のために鍼治講習所という学校を開設。
管鍼術をはじめ「鍼灸、あん摩」の学問と技術を教えていきました。
(※後の「盲学校・鍼灸・あん摩師養成所」の先駆けとなります。)
ヨーロッパでは盲学校が1784年に出来ているためそれより100年も前に日本では出来ていた事になります。

杉山和一先生は晩年、五代将軍徳川綱吉のぶらぶら病(ノイローゼ)の治療したことにより一層、幕府の信頼を得ます。
1692年(元禄5年)82歳の頃、将軍綱吉にこれまでの褒美として「今、1番欲しいものを」と問われた際に、「目が一つ欲しい」と答えた。
すると、一ツ目(墨田区千歳)という土地を頂いたそうです。
将軍綱吉のとんちによるものだったそう。
82歳になっても尚、毎月、江ノ島への弁天さまの信仰を忘れずにお参りに行っていた杉山和一先生、その老体のお身体を察して、将軍綱吉が金の弁天像をプレゼントし、それを墨田区千歳の地に弁天社を建設し、杉山和一先生はじめ多くの街の人々が江戸で、弁天さまにお参りが出来るようにされたようです。
(※将軍綱吉は天下の悪法と言われた「生類憐みの令」を出して特に犬を厚く保護した事で知られていますが、この内容においては幼児や高齢者、障害者など、社会的な弱者をも保護の対象とするものだったそう。)
こういった政治的な側面が江戸時代に進んでいた事は意外と知られていないものである。

1694年(元禄7年)杉山和一先生没

その後、時代が移り変わり明治になり杉山和一先生の私邸や土地が政府に没収される。
しかし、弁天社だけは【江島杉山神社】として目の不自由な人や鍼灸師、関係者によって守られて来ました。

江島杉山神社の前にて
ハリスタでは11円療法をする際に使う10円玉と
1円玉を毎月銭洗しにきている。
杉山和一先生が修行した洞窟を模した岩屋

2016年、杉山和一先生生誕400年を記念し神社のとなりに資料館と鍼按治療所が建設されました。
神社を参拝の際はぜひ皆さまも資料館にも足を運んで見てください。

江戸時代の経絡模型
歴史を感じさせる書物

江島杉山神社より歩いて7分ほど立川には弥勒寺という杉山和一先生のお墓とはり供養塔が建てられている。

弥勒寺

歴史探訪が好きな方はぜひ、両国に来られた際はこの鍼灸にまつわる史跡を巡り、思いを馳せてみては。

両国にハリスタが誕生するのは2017年。
続きはまた別で書きたいと思います。

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