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【患者さま家族の声】“当たり前の日常”は奇跡だと気付かされました

家族を支える―――
もしも大切な人が病に倒れたら

今回お話いただいたのは蝦名 光さん。
疾患とともに生きるご家族を支えながら介護士としても働く28歳の女性です。

当たり前の日常が「生きがい」だと話す光さん。
介護士としてのスキルを活かしてサポートする一方で、介護士だからこそ抱えてしまう苦悩や不安もあるといいます。リアルな生活や今の生きがいなどをお伺いしました。

―――お母様の疾患についてお話しいただけますか。

母は50代で肺がんと診断されました。

2−3年前から夏風邪をひくと咳が止まらないことがあり、近所の診療所にかかっていたんです。
しばらくは咳喘息だと言われていたので様子を見ていたんですが、あまりにも続くので初めてちゃんと検査してもらったら「ステージⅣの肺がん」だとわかりました。
いつから発症したのかわかりませんが、数年前から咳の症状はあったので、もしかしたらその頃からかもしれません。

現在は抗がん剤で治療しています。
転移もあり手術はできないので、抗がん剤の治療に通ったり日常的な服薬が欠かせません。

昨年の2月に診断されましたが、当初はあまり症状がありませんでした。
日常生活に大きな変化もなく、抗がん剤の治療に通うときも地下鉄を使っていたんです。最初の1年間は治療の回数も少なかったですし、1回の治療も数時間だったので母はひとりで通っていましたね。

しかし症状が進行してしまい、現在(2023年11月)は24時間酸素を使用しています。
今年9月に酸素飽和度(※)が82%まで下がってしまった事があり、そこから酸素が手放せなくなりました。
加えて、頻脈になり少し動くと動悸が激しくなり、家事も難しくなってしまいました。そのため、私は介護士としての仕事をしながら、母の通院や日常生活を手伝っているという感じです。
そのため最近は、抗がん剤治療も、入院して行うようになりました。頻脈によって移動が大変になったのと、抗がん剤も色々試す中で1回の治療にかかる時間も長くなることがあるので、母の負担を考えると入院で治療するほうが安心です。

※酸素飽和度:赤血球中のヘモグロビンに何%酸素が結合しているのかを図る数値。正常は96〜99%
(参考:日本呼吸器学会 https://www.jrs.or.jp/file/pulse-oximeter_general20211004.pdf

<お母様が毎日書いている日記と健康の記録>

―――「疾患をもつ家族と生きる」ことをどのように感じていますか

肺がんと診断されたとき「母は強いな」と思いました。

治療のことも予後のこともいろいろと説明され、そのときに「頑張る」と前向きに決断をしていました。その姿を見て、それならば支えるしかないな、と私も覚悟を決めることができました。本人がやる気なのだから、サポートするのが当然だろうと。

もちろん、苦しみは本人にしかわからないし、痛みも同じように感じることはできません。親子だからこそ遠慮なく言いあってしまって喧嘩になることもたくさんありましたよ。

でも、痛みも苦しみも「思いやること、想像すること」はできます。

治療や思うように活動できないことで気持ちが荒んでいるときは、お互いに強い言葉が出てしまうこともあったのですが、そんなときに「私は、お母さんのつらさや痛みはわからないけれど想うことはできるよ」と伝えることにしたんです。
伝えることで、私も母も少しだけ相手のことを考えられて、衝突することが少なくなりました。

ただ、正直に言うと、今でも「なぜ母なんだろう。」と思ってしまいます。

なぜ母みたいに周りから愛されている人が病気になるんだろうと。

母はいつも中心にいて自然に人が集まってくるような人。たくさんの人に慕われていていろいろと気配りもできる人です。私の上司がたまたま母の知り合いなのですが、いろんなことができる母と比べられて嫉妬することもあるくらい。比較されるとヘコむこともありますが、周りの人にそこまで言ってもらえる母のことが誇らしくもあります。

だからこそ、疾患のためにできないことが増えていくことに対して、母自身が一番不安なのかも知れないです。

―――疾患によってどのように日常生活が変化しましたか?

以前まで過ごせていた日常生活を”当たり前”に送ることも難しくなってしまいました。
まず、実家は団地の4階なので外出が大変です。エレベーターがないため、帰宅時に階段を上がるだけで30分以上もかかります。階段に座って休憩しながらでないと、家にすら帰れません。
母と一緒に出かけるときは、私が酸素ボンベを持ち、荷物も抱えながら階段を上り下りしているので、何度も休憩しながら何とか行っている感じですね。

また、洗濯物を干したり食事の支度をしたりという”当たり前に行っていた家事”ができなくなるのが辛いと話しています。息苦しさや痛み、かゆみなど疾患そのものから生じる辛さは進行がんなのである程度は仕方がないと考えているようですが、自然に行えていたことが思ったようにできなくなるという「悔しさ」や「もどかしさ」のほうが大きいと思います。

―――介護職としての経験や知識がサポートに活きているのですね

おそらく、今後はさらに日常生活が難しくなると思います。
これまでは独りで支援してきましたが、このままでは自分自身にも負担が積み重なってしまうので、先日介護認定を申請したところです。介護士として働いている経験から、介護認定には少し時間がかかるのと、認定をうければ使えるサービスも増えるということを知っていたのが役に立ちましたね。

ただ、介護職だからこそ抱えてしまう思いもあるんです。

この先母がどうなるのか、どのサービスをどう使うか、など、これまでの経験からいろいろと考えてしまうことがあって、一人っ子で相談できる身内もいませんから、不安を感じていないわけではありません。
自分でできることと使えるサービスをうまく組み合わせて、できる限りのサポートをしたいです。

―――「生きがい」について教えてください

私たちの生きがいは「日常生活を普通にすごせること」「2人で笑い合える時間」です。

前までは、温泉旅行に行くことが楽しみの一つでした。母とも「行けるうちに温泉に行けたらいいね」と話していましたし、いつでも行けると思っていました。しかし、母のがんがわかってから、家の近くのスーパー銭湯にすらいけなくなってしまったんです。
もう少し元気になって頻脈が落ち着いたら、以前のように一緒にスーパー銭湯に行きたい。それが今の夢になっています。
当たり前の日常生活が少しずつ変化している中、抱いている小さな希望ですね。

ずっと母と2人で生きてきたので、どんな理由でどちらかが先にいなくなったとしても、絶対に後悔はすると思うんです。だからこそ「"あのときは〇〇だったよね”と笑って話せるようにしたいね」と昔から話していました。母も「みんなで一緒にいれたらそれでいい」と言っています。

―――お薬手帳アプリやお薬の管理について思うことはありますか?

スマホで薬の管理ができるのはとてもいいな、と思います。
ただ、医療機関に情報を共有するときに紙の手帳ならそのままコピーできますが、アプリだとどうやって共有するのかな」と思っていました。

体調によってはスマホを見るのも辛かったり、苦しいときはパニックになることもあるので、スマホのロック解除もできないかも知れません。

harmoおくすり手帳の家族連携機能があると知り、私自身が医療機関の方々に、母が飲んでいる薬の情報を共有できるようになったらとても助かると思います。

母にとっての薬は「命につながる大切なもの」です。
薬の管理は24時間、酸素の管理も24時間。
どこにいても何をしていても、常に「ちゃんとしていなくちゃいけない」という意識はつきまとっています。
今後は、薬に限らず、日常生活を少しでも楽に管理できるようなシステムができたらいいですね。

光さんお話しいただきありがとうございました。お母様が突然、がんと宣告され、苦悩や葛藤と闘いながらも前向きに治療に取り組む姿に感銘を受けました。
hamroでは家族連携機能があり、"万が一"の時があったとしても、ご家族が薬の情報を医療機関に開示できるシステムがあります。薬について困っている方が少しでも希望をもって生きられる世の中を創っていきたいです。

インタビュー後のメッセージ


インタビューの取材を受けて数日後、お母様のがんの最後の望みの治療ができないことが発覚。いつ急変してもおかしくない状況になってしまいました。そこで、光さんからお母様へメッセージをいただきました。
光さんのお母様、がんと闘われている全ての方に届きますように。

ママへ
がんの最後の望みの治療ができないと発覚してからも「諦めない!」「最期まで頑張って1日でも長く生きる!」と言っているその強い気持ちは、親だけど本当に尊敬しているよ。
大事な…大好きなママ。。いつもありがとう。かっこいいよ。
光より

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