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オレたちの明日

昔からなぜか説教じみたことを言われることは多かったけど、励まされることはほとんどなかった。

しかし、説教じみた言葉は全く覚えていない。
その点、「お前ならやれる」と高校の先生から言われたことが一度だけあって、「そういうもんかな」と単純に思ったことが転機になったのは記憶に残っている。

社会に出てから、ほめられることも励まされることもほとんど無かった。特に求めてもなかったが、おだてられれば木に上れる🐽性質からすると、早くにそういう人と出会うべきだったのかもしれない。

ただ、オトナ面したろくでもない奴らに変に毒されることなく、ひたすら「己のスタンダードとは何か」を突き詰めたことは結果的に良かったとも思う。

そんな折、起業して先行きもよくわからなかった数年前、十年来の親友とカラオケに行ったとき、アイツはおもむろに「これ好きなんだよ」と、エレファント・カシマシの「俺たちの明日」を熱唱しはじめた(記憶ではB'z縛りだったはずなのに)。


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そういやあの頃は俺たちの時代を築こうなんて話を
何時間でも語り合って飽きなかったな

そしてそんな時間こそ本当は俺たちの
あぁ 俺たちの人生そのものだったな

時は流れてもう立派な大人さ
今はそれぞれの道を行く

さぁ がんばろうぜ
負けるなよ そうさ オマエの輝きはいつだって
オレの宝物

でっかく生きようぜ
オマエは今日もどこかで
不器用にこの日々と
きっと戦っていることだろう

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この歌が妙に心に残って、それ以来、誰かにカラオケに連れていかれると「俺たちの明日」を歌って、背広を投げ捨てては、後で自分で拾うマネをしていたとかしていなかったとか。

とにかくこの歌は、いや、これを歌ったアイツは、僕を励ましてくれていたんだろうと思う。そしてきっと、アイツも自分を励ましていた。コロナで忘れていたが、ふと思い出して、なんか書いておこうと思って。

そして、とてつもなく不器用にこの世を生きている僕も、つい最近、思いがけなく励まされることがあった。

どこかに上ったとしても、ハッピーエンドで終わらないのが世の常なのは、もうこの歳になればわかりきっている。

上った後のことは、また投げ捨てた背広を自分で拾って冷静に考えよう。

その後はもう、下りてゆくだけかもしれないのだから。


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