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日本人の好きな『まる』が持つ二軸性を追求したい

大学卒業後、社会人として働いた後、アトピーの悪化や職場環境などで鬱病気味になった○hiromiさん。引きこもりがちの生活をしている時に、自分の気持ちを表現しようと作品作りを始めました。細胞を作品コンセプトとして挙げる背景や、今後の展開について、お話をお伺いしました。

漫画やアニメが好きだった幼少期

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どんな幼少期を過ごされたのですか?

父がドライブが好きで、色んなところによく連れて行ってもらいました。北海道だったので、大自然に触れることが多かったですね。あとは、家に手塚治虫の本が沢山あって。幼少期からよく読んでいました。『未来人カオス』とか『ライオンブックス』とか、家に沢山漫画がありました。両親は映画も好きでしたので、SFの世界にも小さい頃から馴染みがあり、そういう世界が大好きでした。

ご自身で絵を描き始めたのはいつですか?

小さい時から影響の受けたアニメや漫画を模写していました。中学生の時も、なんとなく美術部で絵を描いていて。高校生になってからは、高校デビューをしまして(笑)華やかな世界に憧れて、テニス部に入りました。授業で油絵を描いたりしていましたが、特にそれ以上の活動はなく。ただ、テニス部の活動が3年の夏に終わった時、また絵を描きたいなと思い、そこから美術部に入り、デッサンなどを学びました。

当時は、普通に就職して、いつか結婚して、子供を産んで、とぼんやりと自分の将来像を描いていたので、進学もなんとなく、普通の大学にしようと思っていました。そんな時に、美術部の先生から、芸術大学への進学に興味はないかと言われて。その道を考えるようになりました。

デザイナーになることに違和感を感じた

大学で実際に学んでみていかがでしたか?

入学した頃、実はデザイナーになりたいと思っていたんですが、クライアントがいて、要望を受けて、意見を取り入れて作る、というプロセスに抵抗を感じたんです。自分が思い描くものを自由に作りたい欲求が出てきて。でも、実際にはアーティストだけで食べていくことはできない。当時、入っていたサークルの仲間たちが大手企業などに就職していくのを見て、自分も安定した職に就こうと。土日休日に、好きな絵を描けばいい。そう思い、一般の会社に就職し、営業担当として配属されました。

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実は、大学の時に急にアトピーを発症しまして、顔や体の皮がポロポロと剥けて、髪の毛も抜けて、様変わりした自分を受け入れることができなくて、鬱病気味になりました。皮膚の皮が剥けていくのを、母が無言で掃除機をかけ、その状況が辛くてただただ泣いていました。人付き合いもその時からわからなくなり。この時の気持ちは今もひきずっています。

鬱病気味になって気付いたこと

営業はハードそうな印象です。

営業はどちらかというと苦手でしたが、勉強にもなりました。その後、色んなご縁をいただき、映像系の会社に就職したのですが、想像を越えるハードワークで、精神的にも肉体的にも参ってしまい。退職して引きこもりがちの生活を送っていました。

そこから作品を作り始めたのですね。

はい。自分は何がしたいのかもう一度考えるようになりました。 いつでも思い出すのは学生の頃に亡くなってしまった友人の存在が大きいですね 。急に人がいなくなってしまうというのを感じたのはその時が初めてで。衝撃もあ り、しばらくショック状態でしたが、冷静になった時に単純に「私もいつか死ぬ」と いう思いが強く残りました。 生きてると楽しいこともあるけど辛いことばっかりだし、私はコンプレックスの塊ですが。今を生きてるから、生きなきゃいけないんです。今日帰り道に死んでしまうか もしれないし。本当どうなるわからない。明日死んでもいいようにしないと。 そう思うと、何事も無駄にならないことだとって思います。様々な経験をして、私が 私であるために、アートという世界に戻ることができました。

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お名前の○も印象的です。

丸が昔から好きでした。無意識な落書きでもよく描いていました。色々と調べてみて日本人って『まる』が好きな民族なんだと思いました。天照大神は太陽の神様、テストで採点される○印も日本特有のもの。また、満月も、海外では狼男とかドラキュラとか怖いエピソードが多いのですが、日本はお月見といって満月を愛でる文化がある。私が好きという気持ち以上に、日本人として『まる』とずっと昔から深い縁がある文化なのではないかなと思っています。

一方で、数学的な正しい『まる』は作れないという話を聞いたことがあって。どんなまるも不完全で、完全な『まる』はないというところも魅力的です。

『まる』の日本的な文脈、正しいとか、良い、とか肯定的な意味が含まれるものがある一方、完全な『まる』はないという数学的な意味。この二軸性と、もっと向き合いたいと思っています。もしかしたら、私たちは、常識的な『まる』に振り回されているのかもしれない。完全な『まる』はなくて、でも本能的に細胞的に『まる』を生み出し続けている、不完全な私たち。それをもっと作品作りを通じて、追求していきたいなと思っています。

アーティスト活動を始めて2年目ですね。

1年前に東京に引越し、ひたすらに個展やグループ展などに出展し、走り続けて来た2年間でした。少し棚卸しの時期かなと思っているので、今後どうするかを見据えながら、ゆっくり考える時間をとりたいなと思っています。また、昨年フランスで展示を行った時に、宗教観など日本と異なる文化のギャップが興味深くて。もっと海外に展開してみたいと思うようになりました。と同時に、日本的な文脈を自分の中でも大事にしていきたいなと思っています。

対象物の「死」を感じ「生」を細胞感覚で描く

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今後挑戦していきたいことはありますか?

ライブペインティングなど、イベント活動も広げていきたいと思っています。また、スイーツ会社さんの新ブランドの立ち上げで、アートとコラボしたスイーツということで、他アーティストさんとパッケージなどを制作したのですが、そんな風に、もっとフランクに、アートを身近に感じて、参加出来るような活動を増やしていきたいです。

最後に、お好きな作品について教えてください。

『growth -襞-』です。これはモチーフの流木を黒く塗り潰してから、死してもなお生まれ変わる姿を描いた、植物の生命力がテーマです。北海道にいると、自然は素晴らしいと感じる一方、海も山も怖い場所でもある認識もあって。畏怖の念なのですよね。東京にいると、そういう自然の驚異、パワーってなかなか見れない。閉じ込められた植物が人の環境に押しつぶされつつも細胞レベルで再生し打破する姿です。モチーフを黒く塗りつぶし、一度対象物の「死」を感じ「生」を細胞感覚で描く。これは私の全ての作品に通ずる一つのコンセプトです。

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最後に…
今回のインタビューでお話ししたアートとスイーツとのコラボレーション商品『不思議なミルキークランチ』が5月1日よりネット販売がスタートしました。
https://beautyworld-aoyama.com/

「お洒落すぎて1人で食べるにはもったいない不思議なミルキークランチ」特製のオリジナル低糖質チョコレートのクランチです。6名のアーティストでスイーツを彩りました。

◯hiromiさんは「ピスタチオ&レモン」のパッケージを担当しています。
ぜひおうち時間のおともに、どうぞ!

◯hiromi
1991年、北海道生まれ。広大な自然と手塚治虫の漫画で育つ。アーティスト名◯hiromiの記号「◯」を軸に、黒ベースの世界に生物の人種や宗教などの垣根を超えた細胞エネルギーを描く。平面作品以外にも立体作品も制作し、展示以外にもライブペイントなどイベントにも取り組んでいる。東京をメインに国内問わず海外も中心に活動を広げる。
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