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アート×まちづくりの話を聞いて、アートに触れるハードルが下がった

『アート』を見に行こう!と誘われると、私は少し身構えてしまう。

嫌いなわけではない。

しかし、好きというよりは、『アート』が好きな人たちに憧れ、アートの繊細さを感じ取れる人間にいつかなりたいと考えているというのが近い気がする。

私にとっては、『アート』は少し背伸びをして触れに行く世界である。そんな私がBEPPU PROJECTの代表の山出さんのお話を聞く機会に恵まれた。

■そもそもBEPPU PROJECTって?
別府市を拠点として活動するアートNPO。
学校にアーティストを派遣したり、新たな観光資源を掘り起こしたり、別府市内で現在芸術フェスティバルの開催、などなど。
『アート』のもつ可能性を社会的位置づけていくことを目指している団体。
▽詳しくはこちら
http://past.beppuproject.com/about/

山出さんのお話を聞くと、自由でいいんだ…!という気づきを得た。
その中でいくつか気になったキーワードを整理しておく。


■同時に異なる価値がたくさんある
人は一人として同じ感覚をもった人間はいない。
『言葉』ではみんな分かりきっているはずのことだが、『行動』となると同調を求める傾向が強い。

みんながいいと感じているから私も・・・
一般的にこれって当たり前だよね・・・

自分の想いを素直に表現することが悪ではないのにそれを実行することが苦手な人は世の中に大勢いるだろう。どちらかというと自己主張をする方ではある私も、やはり周りの空気を読もうとしてしまうし、素直に表現しているかと問われると答えに悩んでしまう。

世の中では、無意識のうちに価値の強要がされている場面が多いのかもしれない。そして私自身、価値の強要をしている場面があるかもしれない。

アートは自分の想いを表現するものであり、他人とは異なる手法でどう表現するかが重要である。

『アート』に触れるというのは、異なる人々の価値にたくさん触れ、自由にあるがままの自分でいいんだよと体感できる場でもあるのだろうなとお話を聞きながら感じた。


■まちの中に『余白』がある
別府市内の空き店舗を見て、山出さんは『関わりしろ』があると感じたとのこと。
『関わりしろ』 をいかに見つけられるか。アートやまちづくりに関わらず、『関わりしろ』を見つけることは何に対しても重要だと思う。

というよりも、同じ景色を見て、「空き店舗が多いな」と思うより、「このスペースを使ってこんなことがしたい」と思える人の方が100倍楽しそうである。

アート事業のお話なども聞き、事業的な面白い話もあったが、私は、『物事の見方は1つじゃない』『価値は1つじゃない』ということを思い出すのに『アート』に触れるというのは絶好の手段だという発見で大満足であった。



懇親会時に、山出さんに思い切って質問をした。


「アート、特に現代アートを見るときにどういう観点で見ると一番楽しめるのか」

アートの繊細さをどうやったら少しでも感じ取ることができるのかを知りたくて質問をしたが、その答えはいたってシンプルであった。

「Art in you」

アーティストは自分の想いを自由に表現する。
見る側の私たちも自由にそれを受け取る。
正解も不正解もないのがアートなのだとしたら、見る側の感じ方にも正解不正解はないということなのだろう。どんな想いで制作したかを知りたければ、その人が語っている言葉を読めばいい。
アートの繊細さを感じ取りたいと思っていたが、もしかしたら自分の感情の変化を感じ取り、ささいな感情の変化を言語化していくことが大切なのかもしれない。その繰り返しの中で、繊細さを感じることができていくような気がした。

11月、久留米のまち中でもアートが溢れる季節。
この機会に素直な心の変化を感じながらアートに触れてみようと思う。

今日の問い:「価値とは誰が決めるのだろうか」
価値は多様であるというものの、そもそも価値とは何だろうというところから考えてみたい。

▽(参考)教えてもらった動画「Power of ten」
・視点は同じでも見える世界は違う
https://www.youtube.com/watch?v=0fKBhvDjuy0

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