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リベラルってすげー大変

個人的に最近思っていることなんですが、リベラルって凄く大変ですよね。
という、フワーっとした話からスタートするんですが…
あぁ、ちなみに僕の自認はリベラルでも保守でも右でも左でもないです。
どっちかと自認できるほど強くないんですよね。

で、リベラルの何が大変かと言うと…
これは僕の中で決めている定義なんですが、リベラルとは既存の規範を疑ってかかるもの、だとしているんです。
※学術的にどうかは、存じておりません。勝手な話かもしれないので、そう思われたら聞き流してください。
なんで世論として保守っぽいとかリベラルっぽいというのはあるんですが、僕はそうではなく姿勢の問題だと捉えているということです。
で、人がリベラルだと目覚めるのは…そうだな、早熟の人でも思春期くらいじゃないかな、と。
そうなると、実は既にに多くの規範を刷り込まれているのではなかろうか?
既に身に染みてしまった規範意識を一から疑うのは物凄く面倒だし、しんどいはずなんですよ。
だから大変だと思うのです。

それでもなお既存の規範を一つ一つ俎上に挙げて、正しいかどうか検討するのがリベラルの考え方ではなかろうか、と。
でも、それを貫ける人ってどれくらいいるんでしょう、あんまり居ないんじゃないかな。
実際、僕の観測範囲ではほぼほぼいません。
まぁ難しいですよ、今まで生きてきた常識に疑義を呈するのは。

それが、自称リベラルなのに、傍から見るとそうは見えない人を沢山生み出している原因ではと推察しています。

全部の規範を疑ってみるのは難しい、「だから既存の規範意識の中で自分に都合の良いものは、そのまま放っておく。」
しかし僕の目線では、それってリベラルとしてどうなの?と滅茶苦茶思うのです。
でも、そうやって都合の良いことをしてる人が殆どなんだろうとしか思えません。
だから僕は「狡くないですか?」と思うわけです。
そしてそれがリベラルって名乗る人の多くがダブスタだと批判される理由になっているのではないでしょうか。

別にこれが悪いとは思いません、僕だって多分そうでしょうし、皆そんなもんでしょう。
ただ、それがリベラルを名乗らないでほしいと思うのです。
都合の良いときだけ、世の中の流れに乗っかって、そうでない時だけ急にリベラル面して、規範意識の誤りっぽく見える所を指摘しないでほしいのです。
リベラルの名の下に偉そうにしないでほしいのです。

これも怒られが発生しそうですが、裏を返すと保守って楽なんですよ。
だって、誰かが考えてくれて当たり前になった規範がベースにあるんだから。
でもね、それでもリベラル名乗るからには矜持を持てよ!っていうのが素直なところです。

中にはこうした、リベラルの重みみたいのを理解している人もいるとは思います。
でも、あまりにも色々と目に余る人が多いので触れてみました。
改めて言うと、リベラルってポジショントークの道具にしちゃ駄目じゃない?という問いかけです。
だから実はこれへのアンサーがどこかで見られればいいな、と思います。



この辺の絡みでリベラルと保守の逆転っていうのも、考えてみて何となく見えてきたのですが、その辺は追々書けたらいいな。

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