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「自分さえよければいい」は好きじゃない

先日、息子の友達のお父さんと話していたら、
自分さえよければいい。何だったら人の頭を踏みつけて上に立って勝ち誇るような子が多くて、そういうのは自分は好きではない。
と言うのです。
アメリカに来て、そんなことを言う人に初めて会ったような気がして、とても印象に残りました。

この世を生きていくのは戦いなのかもしれません。勝負にはやっぱり勝たなきゃいけないのかもしれません。お人好しなことを言っていたら踏みつぶされてしまうのかもしれません。それでもやっぱり、私も、「自分さえよければいい」は好きではないです。

強い人たちの中で生き抜いていかなくてはならない息子をいつも心配しています。でも気づけば、こんなことを言うお父さんの息子と仲良くなっていました。なんだかうれしくなりました。

こちらの人たちは、多くの人が我が道を行っています。日本のように相手の顔色をうかがいながら合わせていく必要はありません。
それはある意味ではとても心地のいいものです。
だから「自分さえよければいい」タイプの人も、とやかく言わずに放っておけばいいのだとも言えます。
息子などは、うまくかわす術も覚えてきているように見えます。
とはいえ、「誰かに迷惑がかかっていようが気にしない」「常に自分が一番、自分に注目が集まっていなければ気に食わない」という子は、どかどかと傍若無人にやってきます。そうなると、避けようと思っても被害を被ってしまうこともあるのです。それはやっぱり愉快なことではありません。

どうしてそんな風になってしまうのかなと考えました。
そもそものモラルの問題だったり、いろいろな要因があるのだろうと思います。
そのうちのひとつとして、「自信」のつけさせ方に何か問題があるのではないかなと感じています。

例えば、「あなたは素晴らしい」とただべたぼめされて育てられたら、どんな子になるでしょう?
自分は何でもできる。特別な存在で、何をしたって許される。そんな素晴らしい自分には、みんなが従うべきだと勘違いしてしまうことはないでしょうか。
ほめられるべきは自分であって、あなたではない などと嫉妬しだして、他者を認められなくなったりしないでしょうか。
そのうちうまくいかないことが出てきても、自分は世界中に認められるべき存在であるにもかかわらず誰も認めてくれないなんて、世間が悪いのだ。自分を理解しない周りが悪いのだと考えるようにはならないでしょうか。
思い通りにならないことの原因を、自分ではなく外に求めてしまうことにはならないでしょうか。

例えば、「自信を持ちなさい」と育てられたら、どんな子になるでしょう?
本当の「自信」とはどんなものかもわからないままに、とにかく親に認めてもらうために自信ありげに振る舞う必要が出てきます。そんな自分を保つために、何はともあれ誰よりも上に立つ必要が出てくるかもしれません。人を押しのけてでも前に出て行く必要があるかもしれません。人を馬鹿にしたり見下したりして、自分を高く見せる必要があるかもしれません。
それで正しい自己評価ができるようになるでしょうか。
他者との協調を学ぶことができるでしょうか。

誉めて、自信を持たせることはとても大切なことだと思います。しかしやり方によっては、単なる自分勝手を生み出すだけにはなるのではと思うのです。

私は、そもそも「自信」は、「自信を持ちなさい」と言われて身につけられるようなものではないと思っています。
何かコツコツと続けているものがあって、いつしかそれが花開いた時にあ!っと思ったり。自分では何でもないと思っていたことが、ある時第三者に認められてあ!っと思ったり。そういうことを積み重ねて、知らず知らずに身についていくのが「自信」なのではないかという気がしています。
苦しいことを乗り越えられた時につく自信もあります。
苦しみや痛みを知っている、向き合って乗り越えた経験を持っていると、他の人にも寄り添ったり、力を貸したりできるかもしれません。何よりも、得られた幸せを大切にできる人になれる気がします。

それを、ただほめるだけで無理やりに自信を持たせようとしたところで、中身は伴いません。
中身がないのに自信は持っていなければならないとなると、実はいつも不安を抱えていることになります。
それで、必要以上に攻撃的になったり、我先にと自己アピールをしなければならなかったりするのではないでしょうか。
誰かと比べて何かを求めたりすると、さらに輪をかけてしまいます。

振り返ってみると、学校つまり専門家は、子供たちをただ誉めて育てているわけではありません。
否定しない、常に前向きな言葉をかけるというところは徹底しているけれど、それだけではなく、
 respectfulであれ
 kindであれ
ということも同時に言い続けています。

子供を伸ばすこと、誉めることや肯定することに目が行きがちですが、それだけでは偏ってしまうし、子供たちにプレッシャーを与えてしまうことにもなるのだと思います。
他者を敬う気持ちもとても大切。そこを忘れずにコツコツと言い続けていかなくてはいけないなと改めて感じました。

他者を敬うこと。それは、自分と他の人とは違うことを受け入れるということでもあると感じます。
「人は人、自分は自分」。
他者と自分を比較するのではなく、そういう人もいるのだなぁとただ受け入れる。いろいろな人がいるのだとただ受け入れる。そうすると、だんだんと自分も自分でいいのだなと感じられ、心が開放されて穏やかになっていくのを経験したことがあります。

悲しいけれどもしかしたら、「自分さえよければいい」人は世界中に増えてきているのかもしれないという気がしています。
でも同時に、「思いやりを持った人」もたくさんいることを信じています。
「思いやり」の連鎖は必ず起きると思います。ほんの細い鎖かもしれないけれど、それをつなげていける人に私はなりたいと思っています。

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