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「老害」に負けない

先日、日本の大学生3人を、相次いで預かる機会に恵まれました。
とてもしっかりしていて、よく考えていて、何も考えずにただ飲んだくれていただけの私の大学時代とは大違い。
彼らがこの先思う存分活躍できる世の中になるといいなと切に思いました。

最近、「老害」が日本の成長を妨げているという意見をよく聞くようになりました。
歳をとっても老害にならず、後進を導き、支え、押し上げてくださる方々もたくさんいます。
そして何より、私たちも日々老いていくのです。
だから「対立する」みたいな形にならずになんとかならないものだろうか…と思います。
そんなのやっぱり難しいですか?

おそらく、今「老害」となっている人たちに変わってもらおうのというのは、無理だと思うのです。
ですのでまずは、私自身が「老害」にならないように気をつけるところから始めなければと思っています。

その他にできることはないでしょうか。
もしもできることなら、「老害」も黙るくらい、若者たちが活き活きとしなやかに活躍してしまうのが一番素敵だなーと思うのですが、それもやっぱり難しいですか?

様々な事情に目をつぶり、ものすごく単純に考えると、
能力のある人がその力を存分に発揮できる会社は、業績が伸びるばかりでなく、優秀な人材が集まりやすくなります。
そうした人たちが活躍すれば、さらに業績は伸び、高い賃金も支払うことができるようになります。
自分も活き活きと働いて稼ぎたいと思えば、必要な勉強を怠るわけにはいきません。学生時代からそれを見据えて準備を始める必要が出てきます。そうなると勉強する意味が根本的に変わってきます。それに伴って「受験」の意味も変わり、教育自体も変わらざるを得なくなります。
というように、社会全体に好循環が生まれるようになると思うのです。それを妨げてはもったいない。

アメリカには「先輩」「後輩」という考え方がありません。
年齢や職歴などによる上下がないので、人の評価はとてもシンプルです。
ただ、できるかできないか。
それは、とても厳しいことです。
だから「できる」人になりたいと思うと、必死に勉強するのです。
アメリカにも、学歴による差は歴然とあります。
日本と少し違うのは、例えば高校卒業の時点では別の大学に入って、そこでしっかり勉強して単位をとれば、その後希望の大学に編入するということも可能なのです。
例えば一旦社会に出てからまた大学で学び直すということも可能です。
自分が望んで努力をすれば、チャンスはあるのです。
いずれにしても、大学に「入る」ことがゴールではなく、そこでいかに吸収して、それをいかに活かして社会生活を営んでいくかが目標となります。

日本の大学受験のような、ワンチャンスって苦しいですよね。
苦しかったら、大切なことも見逃してしまうかもしれません。
そうしてなんとか大学に入って、なんとか就職したら、今度は、働けー、産めー、育てながら働けー、どっちも完璧にやれーと言われるのではたまりません。

先日は、日本でも、大学名だけでなく、自分のやりたいことによって学校を決める人が出てきているという話を読みました。素晴らしいと思いました。
学校も流動的。働き始めても、自分に合うか合わないか、望むキャリアを目指せるのかどうか、そういったことによって職場を変えていくのも当たり前となっていくと、学校も企業も変わらざるを得ません。
別に学校なんてどこへどこまで行ったのだとしても、その人にしかない力を持っていれば活躍できる。そんな社会になれば、希望も広がります。
選択肢が増えていくと、見える景色が変わっていくと思います。自己責任で厳しいことですけど。
そうなると、これまで長く勤めているというだけで偉そうにしていた人たちも、そうは言っていられなくなります。
声が大きいだけで偉そうにしていた人も、あれ?となるのです。

国が、学校が、企業が変わらないのなら、選択するこちらが変わってしまおう!
そうやって、下から突き上げて変えていってしまうのが、今できることなのかもと思うのです。
今の若い人たちの中には、そうした力を持っている人たちがたくさんいるのでは?と期待しているのです。

気づいている人は、多分もうすでに始めているのだと思います。

「勉強する意味がわからない」と言う子供に、なんと答えたらいいかわからない親がいるという話も聞きました。
勉強するとチャンスが増える。世界が広がるんだよ。
そんな風にキラキラした目で言える大人が増えるといいなと思っています。

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