見出し画像

「アメリカ人」の息子に教えてもらったこと

カリフォルニア州知事は、コロナはもはや「パンデミック(世界的大流行)」ではなく「エンデミック(地域的流行)」であるとし、ウィルスと共存していく姿勢を明らかにしました。
マスク着用義務も一部を除いて解除され、正常な暮らしに戻していこうという動きが加速しています。

屋外でのマスク着用義務は昨年のうちから解除されていましたので、学校の送り迎えでマスクをしている保護者はそもそも1割程度でした。
オミクロン株の感染者が急増した冬休み明けの頃には、マスクを着用している保護者も少し増えたように見えましたが、最近では、1割どころかもうほとんどの人がマスクをしていません。

そんな中ではありますが、この2年間ほとんど出かけず、もちろん人の集まるところに行くこともなく過ごした私は、なんとなく不安があり、今でも学校が近づくとマスクを着用しています。

しかし、あまりにもマスクをしている人が少ないので、1人かたくなにし続けているのもどうかと、今度はしていることが不安になってきていました。
そこで息子に、「母はそろそろマスクしないでお迎えに行ってもいいかな?あの人ワクチン打ってないんじゃないの?なんて思われてるのも嫌だしね」と聞いてみました。

すると、息子。
「ワクチン打ってるかどうかは、ブースターだって打ったんだから、ただ打ったって言えばいいんだよ。マスクは、してた方が感染対策になるんだから、嫌じゃないならしてたらいいんだよ」
とあっさり。

いやもう、びっくりしまして。我が息子ながらすごいんだなー、しっかりしたなーと。
そして、そんな風にすぱっと言えるなんてうらやましいとも思いました。
あー、この子はやっぱりアメリカ人なんだなーと。

その後、3月半ばからは学校でのマスク着用義務も解除されるということが決まりましたので、そのことを伝えました。
どうする?と聞くと、少し考えてから「もうしばらくは、していく」と。
親の方が心配してしまって、「して行ってみて、あんまりみんながしていないようだったら、とったらいいね」なんて言っちゃったりして。

どうしてそんな風に、「自分は自分」で決められるのでしょう。

それは多分、「respect」を身につけているからではないかなーと思うのです。
「人は人」「自分は自分」なのです。
その人はその人として尊重するのです。
だから自分もありのままでいられるのです。
もう少し適当に言ってしまえば、人がどうであろうがそんなに気にしないのです。

義務解除のお知らせをよく読んでみると、マスク着用は「mandate」ではなくなるけれど、「strongly recommended」だとか「effective」ですよと書いてあります。
したくない人はしなくていいよとなっただけで、しちゃいけないわけではないのです。当たり前ですけど。
私は、したくない人があまりにも多すぎるので、もうマスクをしていたらおかしいんじゃないかみたいな気がしてしまっていました。
周りの人に合わせないと自分だけ浮いてしまうとか、みんなにどう思われているか?といったことに気を取られて、自分の考えはどこかに行ってしまっていました。
他の人が何を考えているかなんて、必死に考えたところでわかるわけでもないのに。

息子がそんな風に育っていることに、アメリカの教育が大きく影響していることは間違いありません。
中でも、「プレゼンテーション」「議論」の機会は、とてもよく作用していると思っています。

息子たちは、キンダーガーテン(幼稚園)の頃から段階を踏んで、「プレゼンテーション」について学んでいます。
自分で調べて、自分の言葉でまとめて、発表するのです。
5年生となった最近では、低学年の子供たちにプレゼンする機会もあるようです。

だいたいは、大きなテーマが与えられて、その中から自分が興味を持ったことについて掘り下げていきます。
インターネットなどを使ってリサーチしたものを、Google Slidesだったりポスターだったりにまとめて発表します。
おもしろいのは、テーマも決まっていて、まとめの書き方も示されているにも関わらず、みんながみんな、個性的であるということです。
テンプレートをきちんと守って作る子なんていないのでは?と思うくらい。みんなバラバラ。
でも、それでいいのです。

教科書を読んで、テストに出るから覚えるということでもなく、決まった形を作るために何かをただ書き写すだけということでもありません。
そしてできあがったものは、みんな違うのです。

そうしたプレゼンテーションに限らず、教科書に出てきたお話やニュースなど、様々な話題について意見を交わし合う機会も多くあります。
「こう言うべきだ」にとらわれることもなく、言ったことを否定されることもないので、子供たちは積極的に自由に発言します。
お互いの意見を聞いて、違うと思うなら「違う」とはっきり言うし、いいなら「いいね」ととてもほめるのです。
その素直さ、とても素敵なことだなと思っています。

「みんな違う」ことを理解すること
お互いに「違う」ことを尊重すること

これは、自己肯定感を上げていくことにも直結していると思います。

相手と考え方が違うのだとしても、お互いに思うところをきちんと伝え、受け入れて、そして議論すること。もしも誤解があるなら、理解してもらえるようにきちんと説明すること。
そうしたプロセスを経ずに平和はないと思うのです。
立場や世代が違っても、相手を尊重することは何にとってもとても重要なことです。

気を遣うが故に自分を偽ったり、打たれないようにと出っ張るのをあきらめたり。
力の強い方が一方的に押し付けてきて、従わざるを得なかったり。
そんな風にして縮こまるよりも、たとえぶつかったとしても自分を保ち、違いを受け入れて、方向を変えたりしながら相手とのバランスを保つ方が健康的です。
母は息子を見習わねばと思うのです。




読んでくださってありがとうございます!左下のハートマークをポチッとしたり、シェアしていただけたらうれしいです。