松永春奈

自分の経験をもとに、感じたことを素直に書き綴る場。 虐待サバイバーであり苦しんだ経験か…

松永春奈

自分の経験をもとに、感じたことを素直に書き綴る場。 虐待サバイバーであり苦しんだ経験から、虐待被害者専門カウンセリング事業を開始。

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  • 機能不全家族で育った私の話

  • パニック障害奮闘中

    パニック障害になって11年。 パニック障害の治療で役に立ったこと、服薬のことなどまとめています。

最近の記事

母が自殺した時の年齢と同じ年齢になった私

私の母は、 ある日突然この世を去った。 それは冬の寒い日。 なんの前触れもなく、 突然自殺という方法で死を選んだ。 母が死ぬに選んだ日にちは、 12月19日。 そう、 このnoteを投稿している今日なのだ。 あれから22年が経過し、 19歳だった私は41歳になった。 母が自殺した時の年齢は41歳。 当時の母と同じ年齢まで、 苦しみを抱えながらも生きることができた。 私は正直不安だった。 19歳といっても、 まだまだ中身は子ども。 心が大人になりきれていない

    • 虐待を受けたからと言って人間不信になるわけではない

      虐待を受けた人は、人間不信になると思う人がいるかもしれない。 でもそれって、ただの先入観だったりする。 ごく稀に、人間不信どころか人間が大好きだ!と言う人もいるのよ。 めっちゃレアキャラかもしれない。 ドラゴンボールが7つ集まるぐらい、珍しいことだとも思う。 私がそうなんですが、 虐待を受けてきて人間不信になるどころか、 人間が大好きで。 人を信じることを諦めたくないとか、 そういったものではなく。 幸せそうな人を見て、 「キーッ!」と腹立てたことは何度もあるけど、 それ

      • 毒親育ちの私、相手の優しさに勘違いする

        私は毒親育ち。 母はいつだって父にモラハラ。 私と障害者を抱える妹の前で、 毎日のように父を罵倒していた。 そして母は、 いつも私と妹を比較し私を苦しめたのだ。 「障害者の妹は、 生きているだけで数十万ものお金を生み出してくれている。 それに比べてお前は、 月に一万程度しか生み出せない」 要は、 生産性がないと遠回しに言われていたのだ。 そんな母のもとで育ったせいか、 私は幼少期からとんだ勘違い野郎に育ってしまった。 それは、 ちょっとでも優しくされたら相手を好きにな

        • 虐待サバイバーはなぜ健全な恋愛ができないのか

          私は虐待サバイバー。 記憶している中でも一番の体罰は、真冬のベランダに追い出されたこと。 寒くて悲しくて逃げ出したくて、暖まりたくて。 これが三歳の頃なのだから、本当はもっとひどい体罰を受けていたはず。 虐待を受けていた私は、いつもいつも寂しくて、保育園の頃には気になる男の子がいた。 「〇〇君と手を繋ぎたい」とか、ませたことを考えていたっけ。 とにかく、好きな人は何人もいる状態。 それは多分、埋められない寂しさを、人を好きになることでカバーしていたのかもしれない。 私は母

        母が自殺した時の年齢と同じ年齢になった私

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        • 機能不全家族で育った私の話
          10本
        • パニック障害奮闘中
          2本

        記事

          大人になりきれない大人

          世の中には、外見が大人なのに、中身は子どな大人がいる。 これには、複雑な原因が絡まっているのではないだろうか? 私は毒親育ちで、毒親からの支配下で育った。 毒親育ちの子どもは、いつでも親の顔を気にしながら過ごす。 自分らしさというものがわからず、ジレンマに苦しむのだ。 外見は大人なのに、中身が子どもな大人。 彼らはきっと、自分という存在が確立されないまま、大人になったと思う。 自分のやりたいことを我慢し、親の顔色を気にするあまり、本当の自分を出せなくなるのだ。 多くの我

          大人になりきれない大人

          虐待児・ヤングケアラー・親の自死…それでも私が生きる選択をした理由

          私は幼少期、 母から虐待を受け育った。 母は、 寒さの厳しい冬に、 当時3歳だった私をベランダに追いやったのだ。 その後父と母は離婚し、 親権は母になった。 私には重度障害者の妹がいたため、 妹の介護も半ば強制的にやらされる毎日。 好きな漫画も自由に書けず、 大好きな本を読む自由もない。 友達と遊びに行く約束をしても、 留守番を強いられることはたびたびあった。 それでも私は我慢をした。 それは、 母から認められたかったからだと思う。 小さな自尊心と小さな自己肯

          虐待児・ヤングケアラー・親の自死…それでも私が生きる選択をした理由

          卒園文集に嘘を書かされた思い出

          先日、娘の通う保育園の卒園式に参加した。 保護者をはじめ、先生のほとんどが美しい涙を流す。 そんな光景を見て、 私も感動を覚えた。 卒園式を終え、 娘が書いた卒園文集を読む。 娘の夢は、 「大工さん」と書いてあった。 娘は作ることが大好きで、 どうやら家を作ってみたいそうだ。 素敵な夢だと思う。 娘の素直な夢が書いてある卒園文集を読み、 私の卒園文集を思い出した。 私の夢は、 真実を書かせてもらえなかった。 なぜかというと、 私の夢が肉屋だったからだ。 唐揚

          卒園文集に嘘を書かされた思い出

          毒親という言葉について思うこと

          私は虐待を受けて育った。 さらには、 重度障害者の妹の介護も押し付けられ。 自分の時間なんて、 全くなかった。 これはもう、 今から30年ほど前の話。 育児放棄された私は、 心にぽっかり穴が空いた。 そして、 その穴を埋めるかのように非行に走る。 過去の自分を客観視しても、 とても可哀想な人生だと思う。 私の母は、 今でいう毒親という言葉がぴったりな存在だ。 しかしだ。 私は母のことを毒親だとは思っていない。 そりゃ、 子どものころは最低なクソババァだと思

          毒親という言葉について思うこと

          父が作るチャルメラは格別だった

          私は母から、 虐待を受け育った。 その反面、 重度障害を患う妹はお姫様扱い。 自分の居場所なんてなかった。 真冬の寒空の中、 ベランダへ追い出されたり。 突然殴られたり。 母を怒らせれば、 躾と称した暴力や軟禁はしょっちゅうだったのだ。 父は、 母に抗えない。 なぜかと言うと、 父は母を溺愛していたからだ。 10歳以上も歳上だった父は、 母に嫌われることを恐れたのだろう。 躾と称した虐待を受ける私を助けるでもなく、 ただただ黙ってうつむいていたのだ。 私は

          父が作るチャルメラは格別だった

          アルコール依存と暴力

          アルコール依存だった、いとこの父。 私のいとこの父は、アルコール依存症だった。 毎日毎日お酒を飲んでいた。 私といとこはとっても仲が良く、小学校が長期休暇になると、互いの家に泊まりに行くほど。 どちらかと言えば、いとこの家の方が都心に近いので、私がいとこの家に行くことが多かった。 いとこの父と私は血縁はない。 血縁があるのはいとこの母の方だ。 いとこの父はいとこにとても優しく、私にも優しかった。 色々なところに連れて行ってくれた。 だが、毎日毎日ビールを飲んでいた

          アルコール依存と暴力

          ゆっくりと時間をかけて感染するアルコール依存3

          私はお酒が好きなだけで、依存なんかしていないと思っていた。 体と心を蝕むアルコールアルコールの依存度は恐ろしい。 まず自覚症状として現れやすいのは、体の変化かも。 心の変化(依存する気持ち)は、体(依存による身体症状)よりも、もっと早くに現れる。 多くの依存者は、その心の変化に気付いていない。 いや、気付いても見て見ぬふりをしている。 お酒をやめるなんて、そんなことしたくないからね。 お酒によって、自我をコントロールされている事実を当事者は絶対に気付かず、気付いたと

          ゆっくりと時間をかけて感染するアルコール依存3

          ゆっくりと時間をかけて感染するアルコール依存2

          自分は大丈夫だと思っていた。 お酒なんか大嫌いだと思っていたし。 父がアルコール依存に陥ったその時から、世代連鎖の音が聞こえていたのに。 私はそんな自分を、見て見ぬふりして過ごしていたのだろう。 日常的な飲酒お酒の味を覚えてしまった高校生のころは、とにかくお酒がないと楽しくない。 みんなで楽しく飲んでいる時が一番楽しく、また、自分の居場所がそこにある安心感を覚えていた。 そこから徐々に、依存への足音が近づいていたように思う。 友達と集まっているから楽しいのか、そ

          ゆっくりと時間をかけて感染するアルコール依存2

          ゆっくりと時間をかけて感染するアルコール依存

          私が三歳のころから、父はアルコールが原因で入退院を繰り返していた。 そんな父を見て育った私は、『あんな大人にはなりたくない』と決めたはずなのに。 お酒への興味きっかけは大人びたかっただけ。 私が初めてお酒を飲んだのは小学生のころ。 こんなことを堂々と書いていいのか分からないが、興味本位で飲んでしまった。 私が三歳のころから父はアルコール依存症で、毎日のように吐血をしては飲むことを繰り返していた。 この父の行動を小さいころから見ていた私は、『血を吐いても美味しいと思

          ゆっくりと時間をかけて感染するアルコール依存

          いじめっこゆうちゃん

          保育園の頃、いつも『ゆうちゃん』に虐められていた。 私と遊びたいなら掃除しろゆうちゃんという女の子は、私と同じ保育園に通い、同じ団地に住んでいた。 何故かゆうちゃんは私を虐める。 同じ保育園に通っていたが、全然仲良くしてくれない。 ある日、ゆうちゃんと遊びたくてゆうちゃんの家に行った。 すると「私と遊びたいなら、下のゴミ捨て場掃除して」と言い出した。 私はゆうちゃんと遊びたい。 ゴミ捨て場の掃除は、団地に住む大人がやる仕事だ。 それを私に強要する、ゆうちゃん。

          いじめっこゆうちゃん

          父を変えたアルコール

          父は優しい人だった。仕事も真面目にこなし、成績はいつもトップクラスだったそうだ。 アルコールに溺れるまでは・・・ 出社拒否いつからか父は、朝から晩までお酒を呑む生活を送っていた。 私の記憶には、出社前の父は必ず吐血をしていた。 そこからスーツに着替え、ネクタイをきっちり締め、スーツに合う靴を選び、会社に向かうのであった。 その光景が当たり前のように続いていたが、父はいつからか会社に行くこともなく、ただひたすら酒を呑む生活を送っていた。 後から母に聞いた話によると、

          父を変えたアルコール

          私とレキソタンの相性、効果

          私は11年前にパニック障害と診断され、とりあえず的な感じで処方されたのがデパスとレキソタンだった。 まず、レキソタンと私の相性を書いていこうと思う。 率直に言って、レキソタンはデパスよりも神だった✨ レキソタンはデパスでも拭えなかった不安をあれよあれよと消し去り、引きこもりだった私がまだ赤ん坊だった息子を抱っこし、お散歩に行くことができたのだ。 この日は公園のブランコに乗り、一人おいおい泣いた。勿論、嬉しさのあまりの号泣だ。 子どもを産んで四ヶ月も寝たきりだったもん

          私とレキソタンの相性、効果