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デニムの色がうつる。

 羽田から約10時間、日付変更線を越えればロサンゼルスにつく。僕はベニスビーチを左手に見ながら北に向かって歩いていた。2月のカリフォルニア州は思ったより風が冷たくて寒い。よくMVで見るベニスビーチスケートパークと、その後ろにちらほらと立っている背の高いヤシの木、電動スクーターに乗った若いブロンドの2人組が通り過ぎる。話し方やスタイル、カリフォルニアガールは日本でいう港区女子みたいなイメージがあるのは僕だけかもしれないけど、個人的にそれが “USA” で思い浮かべるものに近い。これはあくまで僕の意見だけど。
 ところで、ふとした時に香る匂いで小さい時に訪れた場所や、昔出会った人々を思い出すことがあるが、ベニスビーチで香るマリファナ匂いは僕にタイを思い出させた。2022年の10月末、日本を出発した後の2日目の夜、僕はタイにカオサンロードにいた。そこにはアメリカのカップルも一緒にいたんだけど、彼女は今僕の右隣を歩いている。ボーイフレンドは今日は仕事があるらしい。僕は彼らと約1年半ぶりに再開した。

旅行2日目、バンコクでの出会い

1日目(2022/10/29)

 2022年の10月末、成田空港を出発してバンコクへと向かった。入国したのは確か夕方くらいで、ホステルに行くためのバスを探していた。バスの乗り方もお金の払い方もわからなかったから、とりあえずダウンロードしたGoogleマップで方角だけ確認して、1番ん初めに到着したバスに乗ってみた。前から女性が近づいてきて、「どこに行くの?」みたいな仕草をしたから僕はスマホの地図を見せた。するとどうやらそのバスは僕の行きたい方面には行かないらしいことがわかり、すぐにバスを下ろされることになった。こんなことならsimカードを買っておけばよかったわけだが、空港で買うシムは高い。
 詳しくは覚えてないけど、結局なんとかバスは捕まえられた。しかしホステルからは遠いところに降ろされて、日が暮れて暗くなったタイの裏路地を重い荷物を担いで1時間ほど歩いた。
 もちろんホステルに到着した僕は疲れに疲れていたわけなんだけど、同じ部屋には日本人の男性と、出身はラオスだけどタイにずっと住んでいる男性が宿泊していて、3人で散歩に行くことになった。

 クーラーの効いた部屋を出るとまるでサウナに入ったかのような熱気が体を包む。下に降りる階段を進み、玄関で靴を履いた。東南アジアを旅行する人に慎ましく伝えたいことなのだが、クラブに行く時以外靴なんて一生履く機会がない。ぜひサンダルを履いて旅行して欲しいと思う。
 西洋人の観光客で賑わった通りを南の方に進んでいくと、騒がしい音楽が聞こえてきた。バックパッカーの聖地と言われるカオサンロードである。左右に広がる路面店には、怪しげなTシャツや見るからに不衛生な飯、内臓を揺らすような音楽とせわしなく動くスポットライト。なんとなく甘いような、妙な香りも漂っていた。小一時間ほど歩くと不意に疲れを感じて、ホステルに戻ることを提案した。

2日目(2022/10/30)

 次の日僕は、Chatuchak Marketに行くことに。しかし相変わらずバスの乗り方はわからない。そこに大きなバックパックを背負った女性2人組が近づいてきた。実はここであった出来事は、過去の僕がnoteに書いているんです。ぜひ読んでください。

 この記事から少し引用をすると、
「マーケット内の屋台で食事をしていると、フランス人のバックパッカーととアメリカ人のカップルが会話に加わってきました。」
 そしてこのアメリカ人のカップルこそ、紛れもなく僕が現在ロサンゼルスに滞在している理由である。

 実はこの話にはあまり言いたくなかった続きの話があったりする。

 一度宿に帰ってシャワーを浴びてから、また夕食を食べるという体でみんなと再開した。僕らはカオサンロードを歩いている。合法化されたジョイントが至る所で販売されていて、昨日嗅いだ妙な匂いはマリファナであることに気がつく。100バーツほどで購入できるジョイントをみんなでシェアしながら吸い始める。僕はタバコと同じ容量で何度か吸ってみたが、体には特に変化はなかった。
 ストリートフードでケバブが売っていたので、それを買って食べながらカオサンロードを歩いた。そして大きな葉っぱの看板を見つけ、標示に従って地下へと降りていった。
 ガラスのショーケースに綺麗に並べられた色とりどりのグラインダー、そして美しい柄のパイプ。その上には大きめの瓶に入った乾燥した海藻みたいなものが並べてあった。テンションの高い店員はタイ訛りの英語で話しかけてくる。彼の後ろには何十種類ものペーパーが並べてあり、隣の机には何種類かのボングと、ボルケーノがあったのを覚えている。
 6人で割り勘をすると、1人100バーツほどだった。プラスチックの黄色のトレーの上には、黒色のグラインダーとバーナー式のライター、そして小さなガラスの器。その隣には試験管と三角フラスコを混ぜたような形をしたものが置いてあった。それは自分にクラインの壺を思い出させた。

 気がついたら僕はそのアメリカ人の男性の手を握って歩いていた。どこを歩いているのかわからないし、同じところをずっと歩いているような感覚に襲われる。遠くからアヴィーチーの音楽が聞こえてきて、だんだんそれが大きくなってきた。頭に痛いくらい響くその音楽は、ずっと同じメロディーを繰り返しているように聞こえる。時間がイヤに引き延ばされて、空間が不本意に捻じ曲げられたような、そんな感覚だ。そのうち行き場のない不安に襲われる。なぜこんなところを歩いているのか、なぜ隣には男性がいて、僕は手を握っているのか。そして何より、日本から遠いところにいるという不安が僕を押しつぶした。
 このアメリカ人の男性は僕を誘拐しようとしているに違いない。そして一度そう考え始めたら、もうそれが正しいとしか思えなくなってしまった。僕は急いで東京にいる友達に電話をかけて、僕が無事宿に戻るまで電話を繋いでおくようにお願いをした。東京はタイよりも2時間ほど時間が早い。その時タイでは夜中の1時を回っていたので、日本では3時であったわけだ。
 結局はなんとかして僕は宿に戻ることができたのだが、動くもの全てが僕を追ってくるように感じられて、息を切らしながら走り、宿に戻って部屋に入ると、僕は急いで鍵を閉めてブランケットを被った。相変わらずクーラーをよく効いていた。

ロサンゼルスに戻って

 夕方になってうちに戻ると、彼は仕事から帰ってきていた。洗濯し忘れたようなパジャマのような匂いがする部屋で、懐かしい話をしながらメキシコのビールを飲む。泊めてくれてありがとうって言ったら、ありがとうが多すぎると言われてしまった。少しすると、彼らは友人と少しポケモンGOをしなければいけないと言い、外に出かけた。
 僕は家のソファーでゆっくり休んでいるところだ。まるで家にいる時みたいに、時間は滑らかに流れている。それがあまりにも自然すぎて、むしろ不自然に感じられた。彼らの何気ない日常を試食している、そんな感覚だ。
 日が暮れて間も無くして、夜景の見えるところに連れて行ってもらった。そこで僕はあの時のことを話し始めた。
 「あの時実はさ、このまま誘拐されてしまうんじゃないかと思ったんだよね。」
 そしたら彼は笑いながら、
 「俺は嫌々に手を繋いでお前の看病をしてやったというのに。けど、一年越しにハルを誘拐することに成功したのかもしれないね。ところであの時電話していた彼は、ハルが今ここにいることを知っているのかい?きっと驚くだろうよ。」
 僕はもう一度ありがとうと言おうとしたけど、その言葉は音になることなく、ロスの夜景に静かに吸い込まれていった。

干渉

 まっすぐに進むビリヤードの球が、他の球に当たって角度や回転を変えることがある。経験や出会いを切り取る時、僕はそんなイメージをする。たとえば大学入学と同時にコロナが発生したと言う事実や、そうなったからこそ出会った友人や恋人のことだ。旅行中はその衝突回数が少し多かったりもする。
 旅行2日目にバンコクで出会った彼らと、ロサンゼルスで再会をした。また実は、旅行初日にバンコクで会って一緒に散歩をした日本人は、その旅行最終日、つまりその10ヶ月後に、オーストラリアから日本への飛行機に乗る際、空港まで見送ってくれている。あの時電話した友人は、今回の旅行で羽田空港まで見送りに来てくれた。来月には社会人だ。
 出会い、別れ、再会が体の一部のようになる。そして彼らや彼らと一緒に過ごした時間は、まるで洗濯で色移りしてしまったデニムの色みたいに、僕の中に残っていて、それがよく馴染んでいる。

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