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一年前の記憶

日本にて

暖冬なんて言われている割に、朝晩はしっかりと冷える。
少し厚着をして出かけると、お昼頃には暑くなって服はかさばる。無理して薄着をすると、凍えながら帰路に着くことになる。夏は薄着にすればいいだけだが、冬はどれほど厚着をしようか迷ってしまう。いっそ冬も暑ければいいのになんて思ったりもする。

寒くない冬というのを去年初めて体験した。厳密には冬ではないが、タイはこの時期であっても十分に暑かった。
「ソウルは今ごろ路面が凍ってるに違いないよ。」なんて言われて初めて日本が冬であるのを実感したのを覚えている。

ちょうど去年のこの時期、オーストラリアのワーホリのビザが降りて、10日もすれば南半球に行くことになる。一年も前の話だ。元々はオーストラリアでワーホリなんてする予定はなかった。タイからインド、インドからヨーロッパ、そしてヨーロッパから南米に行き、日本に帰国、と世界を一周をしてくるつもりだったのだ。今となってはなぜワーホリに行ったのかなんて覚えていない。きっと就活で聞かれたら、「海外で働く経験や英語力の向上、また高い賃金であるため効率的な労働ができた。」なんて答えるに違いないが、別に海外で働きたいとは思っていなかった。それにオーストラリアの時給が高いのを知ったのは、ビザの申請が降りてからの話だ。

お金が貯まったのも、英語力が向上したのも、後になって付随した“できごと“であって、それが理由でワーホリに行ったのではない。はて、あの時僕は何を考えていたんだろうか。

久しぶりにnoteを開いた。一年前の自分はこんなことを考えていたのかと思った。今と同じようなものもあるし、違うものもある。残念ながら探していた”理由“は見つかりそうもない。けど、あの時の情景はなんとなく覚えている。

バンコクからオーストラリアへ

2週間ほど連泊したホステルのカマンエリアで、フリーマーケットみたいに自分の荷物を広げた。昔から整理整頓をするときは物を一旦全部床に出してから始める習性があった。

「やっと次の目的地が決まったのか。」
とアンドリューがロシア語訛りの英語で話しかけてくる。戦争から亡命して、そこのホステルには1ヶ月ほど滞在をしていた。当時はロシアやウクライナの男性を見かけることが多かった。国内にいては出兵しなくては行けないが、家族を連れて行く余裕はない。といって妻と息子の写真を見せてくれたときは、言葉に詰まったのを覚えている。いや、なんも言わなくても良かったのかもしれない。また、ロシアやウクライナから来た女性も買春で働いているのを何度か見かけた。もしかしたら今もそこにいるのかもしれない。

アンドリューとサングラスを買ったばかりの僕

夕方にパッキングを終えて、夕食を食べに外に行く。食べるところは大体いつも同じだった。カオサンロードの南の方の端から北に進み、小さな川を渡って50mほど進むと、そのお店はある。ガパオライスと目玉焼きで50バーツ。「ガパオガイ、カイダオ」と告げる。ガイは鶏肉の意味で、カイダオは目玉焼きらしい。地元の友達が教えてくれた。程なくしてガパオが目の前に運ばれてくる。キラキラしたたオイスターソースが絡んだチキンの上に、半熟の目玉焼きがのっている。机にはどらえもんの絵柄のテーブルクロスが引かれており、その上にはナンプラーの中にフレッシュのグリーンチリとレッドチリの刻んだものが漬けられたソースがある。なんとなくこの味を覚えておこう、と思っていつもより少し多めにかけたソースだったが、その味はすっかり忘れてしまった。

日が暮れる頃に宿を後にして、バイクタクシーで空港までの直通電車が出ている駅に向かった。タイでは左折をする際は信号を守らなくていいらしく、歩行者も優先しなくていい。それにスピードを出すから、駅にはすぐについてしまった。電車に少し揺られれば、馴染みのあるスワンナプーム空港に着く。3ヶ月前に羽田空港から乗った飛行機も、インドで体調を崩して泣く泣く乗った飛行機も、この空港に到着した。今回はその空港から出発をする。インドへの出国もタイからであったが、そのときはバンコクの北の方に位置するドンムアン空港から飛行機に乗った。

保安検査を早々に済ませ、ラウンジに向かった。1番奥の席が空いていたのでそこに荷物を下ろし、すぐにビールを注文しに行った。頼んだのはChangビールだ。タイ語でChangは象という意味らしい。ちなみにチェンマイという都市がタイの北の方にあり、発音こそ同じであるが、Chiangと書いて意味は街とか都とかだった気がする。Changはあまり特徴のないビールだ。タイで有名なビールは他にもLeoやSinghaなどがある。Leoはのガツンとした飲みごたえがあり、割と日本のビールに似ている。Shighaはさっぱりとした口当たりで飲みやすい。個人的にはタイのような熱帯気候で飲むビールはさっぱりしたものが良かったので、好んでShighaを飲んでいた。驚くであろうが、タイではビールに氷を入れる人がいる。熱い気候ですぐに緩くなってしまうからだとか。(オーストラリアではワインに氷を入れる人もいた。イタリア人はお怒りに違いない。)

ビールと軽い軽食を済ませたら、搭乗口まで向かう。バタバタするのは嫌いだから、割と時間に余裕をもって行くことが多い。そして自分が乗る飛行機を眺めたりする。登場時間まで時間があるのに早くから並んでいる人や、セカセカと走ってこちらに向かってくる人もいる。椅子にしっかりと座っている人の横では、席が空いてないから床で寝る人、大きな声で会話をしている人の横では、搭乗ギリギリまで家族や友人とビデオ通話をする人。出身国や地域は大抵予想がついてしまう。

搭乗開始のアナウンスがあり、体が不自由な人から優先して案内をされる。程なくして席順に案内をされ、エアアジアの旅客機の狭い通路で他人とぶつかり合いながら自分の席を探す。搭乗口にいくのは早めがいいが、搭乗するのは遅れていたほうがいい。格安航空で席を指定をしなかったら大抵は通路側か真ん中の席になるから、早めに席に着いてしまうと窓側の席の人を待たなくてはならない。

緊急避難用のアナウンスの後はすぐに滑走路についた。エンジンの音が大きくなるのと気持ちも高ぶるのはいつものことだ。そしてそれにLCC特有の揺れが加わる。離陸をした瞬間は、少し機体が安定するような気がする。それと同時に気持ちも少しホッとする。ちょうどジェットコースターで頂上まで登って、束の間の安堵が感じられるように。

飛行機はどんどん加速をして、煌びやかなバンコクの街並みはすぐに視界から外れてしまった。もう少し離陸をゆっくりにしてくれればバンコクの夜景を楽しめたのにと残念に思った。バイクタクシーもそうだった。もうちょっとゆっくり走ってくれたらもっと街の様子が伺えたのに。次の客がタクシーを待っているんだろう。でも次いつ戻ってくるかわからない土地。それに戻ってきたとしても今と全く同じということはまずあり得ない。それは旅行先では日常的なことだ。目の前にある風景なのにノスタルジーになってしまう。

日本に戻って

先日街中で老人が公園のベンチにすわっているのを見た。公園のベンチとは限らないが、老人が街中で座っているのはよく見かける光景である。特に何もするわけではなく、ただそこに座っている。街の景色は動かないのだから、その様子を見ていたければ自分も動かないでいればいい。そんな老人の前を若者が悠々と歩き去って行く。老人には目もくれずに左手に握ったスマートフォンに目を凝らしながら。

ゆっくり旅行するっていうのは、そこにいる老人の横に少しの間座ってみたり、また話をしてみたりすることに近いのかもしれない。

おわりに

ここには書いていないが、当時高校の友人がタイに留学をしていて、僕のことを空港まで見送りに来てくれた。そして彼は今現在もタイにいて、数日もしたら日本に帰国するらしい。会うのがとても楽しみだ。

見送りに来てくれた友人

一年前の記憶を迷路みたいに探って、言い訳みたいに辻褄を合わせて書いてみた。あの時何が起こったなんて詳しく覚えているわけがない。ましてその時何を考えていたなんて尚更だ。ぶっちゃけどうだっていいかもしれない。しかし自分が書いた文章を約一年ぶりに見返した時、面白いと思った。しかしなんとなく自分の考えや主張がモリモリに盛り込まれすぎている気がする。

今回の文章は少し紀行文のようにしてみたかったけど、ところどころに主張があって読みにくいかもしれない。けど許してね。次旅行に行く時はこんな感じの文章を書いてみようかと思う。

あぁ、もっと書いとけばよかったなぁ笑


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