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メデジンからカリへ① (メデジン→ハルディン)

 鮮明すぎる記憶はあまりに完全すぎて、どうやって文字にしたらいいのかわからない。ゆっくりと時間をかけて、その記憶を思い出したり忘れたりする。そうすることで、とんがった木材の角をやすりで削るようにだんだん滑らかになって、触り心地が良くなる。要するに、少し時間が経ってはっきりと思い出せなくなった時初めて、自分はその記憶を言葉にまとめることができる。しかしそれは同時に悲しくもある。自分がその経験の記憶をどんどん失っているわけで、それが増えることはない。旅行中の貯金と同じように。

メデジンの朝

 僕は二段ベッドの上段で目覚めた。体が汗で少しだけベタついている。あまりすっきりとした朝ではない。二段ベットの下段で寝ている人が寝返りをうつたびベッドは揺れるし、風の届かないその部屋は空気が籠るような暑さがあった。それに、そもそも夜に出かけていて帰ってくるのが遅かった。6時間も寝てないだろう。
 ここはエルポブラード。僕はコロンビア第二の都市、メデジンの最終日をここで過ごした。実はラウレレスというメデジンの中でもまた別の地域に5日間ほど滞在していたのだが、金曜日の夜はどうしてもここ、エルポブラードで過ごしてみたかった。南米のバンコクと呼ばれていたりするほど、ナイトライフで有名な地域なのだ。正直あまり面白くなかった。行列のできるラーメン屋が意外と美味しくなくて拍子抜けするような、そんな後味が残った。僕が風邪をひいていて、鼻が詰まっていただけなのかもしれないけれど。

クラブにはボールプールがある

 軽くシャワーを浴びた後、近くのスーパーにバナナを買いに行って、ホステルのベランダでそれを食べた。目の前には木々が風に吹かれて揺られていて、葉の緑が象徴的に見えた。大きさからして樹齢は少なくても10年はあると思う。しかし毎日この道を通り過ぎる娼婦からすれば、この木の存在なんて石ころ同然で、5年後にそれがどれほど大きくなったって気に留めることはないだろう。
 部屋に戻ってちょうどパッキングを終えると、友人からメッセージが届いた。その友人とは2日前、ラウレレスのホステルで知り合った。時刻は午前11時過ぎ、ハルディン行きのバスは12時出発らしい。僕はウーバーを呼んでバスターミナルに向かった。

 ジョバンニはもうすでにバスターミナルに到着をしていて、チケットも買っていた。少しくたびれた赤いキャップの下には印象的な笑顔が浮かんでいる。僕らはその笑顔から彼を、クリスティアーノと呼んでいた。間も無くしてバスの搭乗が開始され、席に着いたとほぼ同時に僕は眠りに落ちた。そういえば昨夜はあまり寝れていない。
 ハルディンに到着した頃、時刻は四時を回っていた。レンガが敷き詰められた路面とそれに並ぶカラフルな建物。町のサイズにしては立派なカトリックの教会があって、その前は広場になっている。太陽が十分に傾いて気温がある程度下がったこの時間帯、人々は広場のベンチに座って会話を楽しんでいる。

僕らはとてもお腹が空いていて、バスの運転手がおすすめしてくれたレストランで食事をすることにした。僕はトゥルーチャ(おそらく鮭)という魚を注文して、それにはかぼちゃのスープとモラ(ベリーみたいな果物)のジュースが付いてきた。コロンビアはエンパナーダ(揚げた餃子みたいな食べ物)やチチャロン(豚のステーキを揚げた食べ物)をはじめとして、とにかく揚げ物が多い印象である。スペインの植民地時代、過酷な肉体労働に耐えるために、高カロリーの揚げ物が多いという噂は本当なのだろうか。

 ホステルにチェックインをして、シャワーと洗濯を済ませる。またベッドは上段だ。2段ベッドは下段の方が寝やすいし、揺れることがない。それに、そもそも上に登る必要がないのだからずっと楽だ。なんてことを考えていると、トビーとフランジから連絡が来た。一緒に食事をしないか、と。彼らもまた、メデジンのホステルで知り合った人たちだ。
 結局ジョバンニも合流して4人で食事をすることになった。メデジンで同じホステルに滞在していた4人が、150kmほどは離れた別の都市でこうやって再開しているのはなんとなく不思議な気もするが、旅行をしているとあるあるだったりする。(そしてこの時は考えもしなかったが、このあと4人はカリで集合することになる。)

 街には本格イタリアンがあって、コロンビアの物価にしてはちょっと高いけどとても美味しかった。イタリア出身のジョバンニも(フォカッチャ以外は)おいしいと言っていたほど味は本場らしい。そもそも料理長はイタリア出身だったし。オススメ。

 こうやってハルディンの滞在が始まった。文章が長くなってしまいそうなので、今回は分けて書くつもりです。

おわり

 ジョバンニやトビー、そしてフランジと出会ったところにもストーリーがある。記憶はとても鮮やかに残っていて、言葉で表すことはまだできない。しかしいつかその記憶も懐かしいと感じ、忘れていってしまうのは悲しい。
 僕らは(少なくとも僕は)、日常において自分の成長を実感することはあまりない。毎日通る道に生えている木の成長は、たとえ意識をしても認識しずらい。メデジンの娼婦と同じだ。
 けど旅行中は出来事の密度が濃い上に1人でいる時間も多いから、それらを頻繁に見返す。すると自分の成長というよりかは、むしろ変化を、時間の流れとして実感することが多くて、それが割と残酷だったりする。友人たちが大学を卒業してしまったことに、正直動揺している。だがそれ以上におめでたい。

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