見出し画像

INFJの自分が抱える空虚感について

 皆さま、お疲れ様です。
 今回はINFJの自分が日々闘っている空虚感について記事を書きたいと思っています。
 色々なINFJの方の記事などを拝読して、多くのINFJの方が感じているものなのかなと感じました。
 本記事はあくまで私個人の考えている内容になりますが、少しでも同じ悩みを抱えている方の助けになればと思った次第です。


漠然とした空虚感


 私が空虚感を感じるとき、その多くは少し時間的余裕があるときです。
 忙しく働いているときや、身体を動かしているとき、何かに熱中しているときについては、そこまで感じない気がします。

 ですが、少しでも頭に隙間があるとき、「それ」は日常の端々で蝕むようにやってきます。
 朝の支度をしているとき、通勤しているとき、昼休憩の時間、入浴時、就寝前など。何気ない考え事から派生して自分の内側について意識を向けたとき、どこからともなくやってきます。
 特に感じやすいのは休日で、ひどいときには「休日よ早く終わってくれー」と思うことすらあります。ただし、本質的に怠惰なので月曜日はしっかりと仕事に行きたくないと思ってます。というか布団から出たくないです。

空虚感の原因


 では、この空虚感の原因が一体何なのかという疑問。
 これについても毎日のように考えています。
 けれども、しっくりとくる答えは見つかりません。

 私個人に関していえば、特に人間関係や労働環境に現在大きな不満があるわけではなく(些細な不満はもちろんいくつもありますが、空虚感につながるものではない)、自分のやりたいこと、趣味もあります。
 客観的にみれば、充実している生活でしょうし、おそらく周囲の人間からはそう思われているのではないだろうかとも思います。少なくとも悲観的になる状況ではない、と思います。 

 それにもかかわらず、なぜ空虚感を感じるのか。
 よく考えていることを無規則に並べてみると、

・自分はこのままでいいのだろうか。
・自分はどのような人間を目指せばいいのだろうか。
・自分の正しさが信じられない。正しさが相対的なものであるなら、自分はどのように生きていくべきなのか。
・そもそも、現状に満足することができないのはなぜなのか。
・楽しむこと自体に対する理由のない抵抗感。

 おそらく私は「楽しむ」ことが下手糞なのかな、なんて思ったり。
 自分の内側から湧いてくる空虚感に抵抗するために、自分の外側の何か(趣味)に目を逸らそうとする。でもそれは根本的な問題解決にはならず、あくまで対症療法的で。ふと自分の内側に視線が戻ったとき、また再燃してしまう。

 趣味についても、それに没頭しているときに充実感を覚えることは間違いないのですが、純粋に楽しむためにやっているというよりも空虚感を誤魔化すためになってしまっているというか。

 ――今この記事を書く過程で少しずつ整理されてきました……!

 多分、思考に常に義務感が付き纏っているのだと気づきました。
 「楽しみたい」ではなくて「楽しまなければ」の思考に陥ってしまっていたというか。
 そもそも、なんで楽しみたいと考え始めたのかも、今となってはよくわからない状況で。

 改めて考えてみると、別に無理して楽しもうとする必要もないのかな、なんて。
 そもそも、自分にとって重要なのは「楽しさ」ではなく「自然さ」だったな、と振り返ってみると思いました。
 外の刺激を求めようとする行動ではなく、自分の心の平穏を維持する行動をとっているときのほうが、違和感がないというか。

INFJに付き纏う義務感・使命感


 結局のところ、私を含むINFJが空虚感を感じるというのは、自分に付き纏う義務感・使命感が満たされない、自分が内心で「やるべき」と思っている行動を取れていない状況におかれているときなのかな、なんて。

 他のINFJの方の発信などを見ていると、どの方も多趣味だったり、発想力豊かで個性的な観点の楽しみ方をされていたりして、「こんな楽しみ方があるのか!」と目から鱗が落ちることが多いです。

 それにもかかわらず、悲観的側面を併せ持っていて、言いようのない空虚感に襲われる方が多いというのは、INFJは「楽しさ」だけでは決して満たされないのかな、なんて思いました。

 INFJが満たされているのは「自分のやりたいこと」ではなく「自分がやるべきこと」ができているとき、もしくは「在りたい自分である」ときなのではないでしょうか。
 そして、INFJにとって一番辛いのは、「楽しみがない(退屈)」ではなくて「在りたい自分」を見失っているときや外的要因でそれに反することを強要されるときなのではないでしょうか。

  

結局、どうすればいいのか


 以上のことを踏まえると、私を含んだINFJの方で空虚感に苛まれている方の中には次のような方がいるのではと思います。

・在りたい自分を見失っている(やるべきことがわからない)
・在りたい自分で在れない(やるべきことができない)

 重要なのは、空虚感の原因が退屈さからくるものではないということで、これはいくら楽しさを追及しても空虚感は解消されないということを意味しています。

 少なくとも私の場合は、「楽しいこと」はその場しのぎの対症療法にしかならなくて、かえって「やるべきこと」に費やす時間が削られてしまうので悪手でもあるのかなと思いました。

 でも、「楽しいこと」を考えることは悪いことではないのは間違いなくて。
 あくまでも優先順位が「やるべきこと」>「楽しいこと」の方が自然体で違和感なくいられるのかなと思った次第です。 

 そうは言っても、じゃあ「在りたい自分」とは何なのか。

 ……これについては、おそらく一生をかけて探していかなければいけないのでしょう。

 死ぬまでに見つかるかどうかもわからないですが、ここから目を背けることができないのは間違いないことです。

 もし私と共通の問題意識を抱える方がいらっしゃれば、一緒に頑張っていきましょう。

 自分のために書いたような記事ですが、何方かのお役に立てていれば幸いです。

 それでは失礼いたします。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?