ナンバリングシングルの「呪い」性から見るDIALOGUE+の現在と未来

DIALOGUE+にはいわゆる「田淵呪いソング」と呼ばれる曲がある。
これは、田淵作詞の曲で、メンバーが「その歌詞を歌うことで、責任感をつけろ!」(『DIALOGUE+1』発売時のリスアニインタビューより)という意図で歌詞を書いている(と考えられる)曲たちの俗称で、DIALOGUE+が、メンバー8人がどうあって欲しいか、どうなって欲しいかという彼の思いが反映されていることが多い。

まず『DIALOGUE+1』までの「呪いソング」として挙げられるのは、件のインタビューでも言及されているように、『好きだよ、好き。』『ぼくらは素敵だ』『透明できれい』が代表的なもので、いずれもミニアルバム含む、オリジナルアルバムの書き下ろし曲としてリリースされたものである。

(なお、『はじめてのかくめい!』についても、「ほら僕らについてこようぜ 損は絶対させないさ」という歌詞に象徴されるように、”我々はこれからすごいことをするぞ”という所信表明のような側面を持っているが、田淵がこの曲を振られた時点では本人は音楽Pとして関わることは全く予定になかったということを踏まえれば、これは「田淵呪いソング」ではないという解釈になる。)

アルバム、そしてツアー『DIALOGUE+1』までのDIALOGUE+の活動は、とにかくがむしゃらに、全力で頑張って、突き進んでいく、という雰囲気が大きかったと思う。そういう、何も知らなかった新人女性声優たちが本気で頑張って、すごいものを作っている!という方向でプロデュースをしていたと思う。
実際に、上に挙げた3曲の「呪いソング」が述べているのは何か具体的な活動目標というより、とにかくこの8人で頑張って活動を続けていく。という側面が強いと思う(これは以後の「呪いソング」との対比で見るとより明らかになる)。

そして、DIALOGUE+が次のフェーズに突入していくと共に「呪いソング」の雰囲気も変わっていく。
まず、『DIALOGUE+1』以後では、「呪いソング」はナンバリングシングルとしてリリースされている。具体的にそうだと思っているのは、5th single『僕らが愚かだなんて誰が言った』、7th single『デネブとスピカ』、8th single『かすかでたしか』である。
今回はこのナンバリングシングル3曲について考察していくが、『DIALOGUE+1』以後にリリースされた曲では、あと『絶景絶好スーパーデイ!!』も「呪いソング」と考えても良いかもしれない。

この3曲はそれぞれが帯びている「呪い」性について、大きく2つに分けられ、ともに2022年にリリースされた『僕らが愚かだなんて誰が言った』『デネブとスピカ』は、DIALOGUE+のアーティスト性としての意味での、目指している未来についての曲であると思う(“DIALOGUE+ブランド”と言っても良い)。

『僕らが愚かだなんて誰が言った』は、DIALOGUE+の目指すアーティスト性が、既存の枠組みに囚われない、まだ誰も行ったことのない道であるということを暗示している。
「王道」から外れた道であることは「moon-side」という表現に象徴されていて、そんな茨の道を選択した彼女らの不安と決心が歌われている。「一人ぼっち」で「寂しかった」、「勇気をちょうだいよ」、「証明してよ世界に翳りなんてないことを」と、挑戦に対する不安な気持ちを吐露しつつも、その選択に対する揺るがない決心が以下の一節によく現れている。

たとえ常軌薄弱tragedyが 網膜に焼きついても
見地白濁imitationが 混沌を助長しても
それがどうしたんだよ 笑わせるな

この部分は明確に、「王道」を外れて独自のストーリー、アーティスト性に進むことを容認し、それに外からの有無を言わせないという姿勢を感じる。

既存の枠組みから外れたことをやっていれば、当然ユーザーはそれに対して色々と言うかもしれないが、彼女らは「僕らが愚かだなんて誰が言った」と、この道を選択したことは「愚か」なことではないと、断言している。

この曲がツアー『DIALOGUE+1』後の最初のライブ『ぼくたちの現在地 2022』で初披露されたことは、新しいフェーズに入ったDIALOGUE+の所信表明のように感じる。

そしてその約半年後にリリースされる『デネブとスピカ』では、そんなDIALOGUE+の歩むストーリーを「パズル」や「星座」に喩えている。
DIALOGUE+の歩む道は、前例がない道であるから当然、予想完成図もないわけで、(「こんなハマり方はアリ」か「ナシ」か吟味しながら)1つ1つピースをはめていったり、星を1つ1つ繋いでいくことによって、ストーリー(=パズル、星座)を紡いでいくことになる。
その過程で「目的地ルート検索もせず 大多数の論理も気にせず」というのは、『僕らが愚かだなんて誰が言った』で宣言したことと一貫性がある。

さらにこの曲では、そのチャレンジングな過程自体が楽しみを生み出すことを示唆している。

だからジュリエットとロミオさえ
イブとアダムさえ知らないような 凸凹を楽しもう
星が幾年も巡回して大人になる頃に
どんな結末を迎えてても笑い話にしよう

セオリーに従わないでパズルを組んでいくと、それは「凸凹」な感じになってしまうかもしれないが、その凸凹自体が誰も知らないような楽しみを創造するということを、王道の存在であるロミオとジュリエット、アダムとイブに対比して表現している。(実は1Aの「事実は小説より奇なり」はここの伏線になっている!)

DIALOGUE+のライブというのは、まさにそういうことをやっていると思っていて、他にないようなライブをやって、「こういうライブも楽しいだろ!」と、その内容を通して訴えかけてくる。

そして続くフレーズでは、完成したパズルがどんなものであっても、「楽しかったね」と笑って終わろうと言っていて、これは、どんな道になってもその凸凹を楽しめるという自信のようにも思える。
完成図がどうなるかより大事なのは

ちぐはぐでも ずれてても ちゃんと向き合わなきゃ絶対ダメ!

ということ、すなわち過程の各瞬間において、パズルの今の状態(=今のDIALOGUE+)に向き合って、それを組み進めることだと言っている。

以上のように『僕らが愚かだなんて誰が言った』と『デネブとスピカ』は未来にフォーカスが向いていて(2023年8月現在はまだその「未来」への過程であると思う)、かつ専らアーティストブランディングについての「呪い」性がある。

一方で『かすかでたしか』はその指向性が現在に向いており、かつ"アーティストDIALOGUE+"というより、それを構成するメンバーに向いている。

『かすかでたしか』は、アーティストが人間としてどうあるべきか、どうなって欲しいのかという思いが詰まっている曲だと思う。

どうしたってすれ違うことはあるけどそれも愛せるでしょ
だから強がらなくていいよ 無理しなくていいよ
つまらない嘘はやめにしよう
心のあたたかさを聞いて
あたたかな思い出が欲しくなるから声をかけちゃうよ
「僕はこう思うんだ 君も聞かせてよ」

特にこの部分はユニットとしてどうあって欲しいか、という思いがよく現れている。
すなわち、一人一人の考え方が違うことは当然であるということをまず理解し、その上で1つのチームとして進むために、自分と異なる考え方を丁寧に対話を重ねることによって知ることもまた大切であると。

彼は、彼女ら同士がそうあって欲しいと思うと共に、またプロデューサーとして彼女らに関わる上でもそのような「対話」を大切にしていると思う。

このことは彼女らが健やかな心のもと、アーティスト活動を長く続ける上で必要なことであるとともに、この活動を通して、彼女らの未来がより良いものになって欲しいという思いもあると思う。

どうか、どうか、幸せでありますように…だね!

以上の3曲に込められた「呪い」をまとめると、DIALOGUE+の目指すところは、独自のアーティストブランディングの確立と彼女らの幸せの両立であると考えられる。


DIALOGUE+のストーリーはまだ紡がれている途中であり、私は1ファンとして、そのパズルが組み上がった先の「最後のパノラマ」まで見届けたいと思うし、どんなものが出来上がるかに期待しながら、その過程もまた精一杯楽しみ尽くしたいと思う。


参考文献

・「田淵呪いソング」について触れているリスアニインタビュー
https://www.lisani.jp/0000182963/?show_more=1

途中、田淵がDIALOGUE+に音楽Pとして関わることになった経緯について軽く触れたが、以下に詳しくある。

・音楽ナタリーのインタビュー
https://natalie.mu/music/pp/dialogue

・ラジオ「神ラボ」の田淵智也ゲスト回
https://www.youtube.com/watch?v=OqZZThKlVt4&t=943s

上のインタビューでは『ぼくらが素敵だ』の「呪い」性についても触れている。

また、有料放送内での内容ゆえ引用という形は避けたが、2022.12/27に放送された「DIALOGUE+ WHITE BOX」内での、田淵Pが総合プロデューサーに就任した際の所信表明も、考察の参考にしている。


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