五十首連作「わたしの神話」

わたしの神話

一音乃 遥


さみしさ、とマスクの中へささやけば駅舎へ染みてゆく無声音

性自認という言葉に赦された姦淫を秘め歩く渋谷を

信号待ちのように学校へ行く日々にアネクメーネが侵蝕される

春という季節を呼べば春という名前のひとが開くくちびる

分け方によっては異性となる君の運命線はメコンのごとく

はらひたまへきよめたまへとそのまんま君が読むから春は晴れやか

わたしから性が溢れてしまうとき僕が生まれるいちいち生まれる

天界の捜査一課だ満杯のリュックをそっと開ける天使は

生活を夜から隔離するように閉めてゆくカーテンに咲く花

厚い手に包まれて逝く石鹸の右肺あたりを頬に塗り込む

夜中突如低速になったiPhoneがぴぴりぴぴりと送るぜろ、いち

アンブレラ・ディスタンス 傘のつめさきで僕らたしかに触れ合っていた

アルコール塗り込むときの両の手に祈りは満ちて「失せよ性欲」

入るとき閲覧室の人びとに他人と認定されるわたしだ

雨漏りは音楽になるはずだから屋根を吹き飛ばすくらい歌って

He is gay.(彼は陽気だ。)と黒板にあり教育に糾弾されている下半身

早退をして各停の空席に座れば点呼のような横揺れ

各停のドアが開いたそのときに波の残響が死んだ気がした

夏の陽を屈折させてビー玉は天動説を部屋にひろげる

水槽に供給過多のたべものをマリンスノーと思うカワニナ

有限の雪をゆわんと舞い上げてスノードームの家はつめたげ

入水したときの記憶を背骨から引き出すように壁倒立を

真夜中の濃藍に塩を舐めるたび身のすこしずつ海に近づく

心拍とともにベッドが揺れていてわたしの肉は夜に抗う

人間の骨をあまさず持っている「明日の神話」の下を行くとき

少子化のニュース流れるリビングに沈黙を産む母と子と桃

星が死ぬ 信号が青になってから身体が動き出すまでの間に

あおいろのオウムを囲うようにして傘をしたたる秋雨は檻

付箋紙の束をぐにゃりと捻じ曲げて褶曲の山に石油は溜まる

マークシートの男が見えなくなるように濃く塗り潰す 女が残る

大縄を回して君の長い足を掬えば走り出す次のひと

大縄を跳べば君から掬われて秋に吸われてゆく土の音

好きな人としてではなく推しとして君を挙げればヒトに留まる

取り壊し現場に凛と建つ家が凌ぎつづける風のあること

母という異性愛者がこのところ枝毛の話ばかりしている

神罰を与える武器にすこし似た銀のフォークに刺される苺

さざめきにさざめきかえす砂防林 君の「かもね」の真似をしてみる

シャワー止 いけしゃあしゃあのしゃあしゃあは古びた秋の声だと思う

手のひらをお湯から出せばてのひらのての字に沿って並ぶお湯たち

いしづきの記憶に寄り添うようにして矯正器具に絡まるえのき

快晴に踏みしだかれたイチョウ葉が踏みしだかれた蝶に似ている

「どうせいあい」と打てば虹色の旗ゆれてHey Siri僕は戦うべきか

生まれくる前のどろりを記憶して雄の下腹は不可逆のみを

個人史は神話 身体の凹凸のひとつひとつを肯うための

エクメーネみたいに過ごす受験期を終わらせるため乗るゆりかもめ

飛びたいのです 鳩をせきたてゆくようにわたしのことを追いかけなさい

死ぬときは春の地層に埋もれたい 桜の花をすこし含んだ

冬空の曇りが晴れるみちすじでフェイスシールドにできる星雲

卒業の先の未来へ羽ばたけば僕たち擬鳥法の使い手

性別を空欄にして渡すときひしとわたしの神話きらめく


第六十七回角川短歌賞応募作※予選落選
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