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一人で3兄弟を育て上げ、家まで建てたうちのスーパーお母さん

「私の尊敬する人は、お母さんです。」
そう言えるようになったのは、最近になってからだと記憶している。

還暦を迎えた母が務めていた会社を退職し
お友達の誘いで数ヶ月前から始めた和太鼓。
その初めての発表会を、主人と姉家族と
みんなで応援しに行った。

真夏の炎天下の中、ちびっこからご年配の方まで
様々な年齢層のチームが演奏していて、
たくさん練習したんでしょう、みんなとても上手で
お腹に響く音がとても心地よく感じられた。

私はカメラを持っていたから、姉たちとは離れて
ステージの目の前に場所を確保した。
いざ母の所属するチームの演奏がはじまり、
ファインダー越しに見たいつもと違う母の
一生懸命な姿に自然と涙が出た。
(いつもはすっとぼけていて天然な母)
演奏ももちろん素晴らしかったけど、
それ以上に感動するものがあった。

母は昔から何事にも一生懸命な人だった。
ふと、小さい頃のことを思い出した。

母が今のパートナーと再婚したのは
つい数年前のことで、それまでは
女手一つで私たち兄弟3人を育ててくれた。
昼間は不動産会社で管理職として働き(高卒で!)、
一度帰宅してみんなで夕飯を済ませた後は
夜のファミレスでパートをして
いつも帰るのは明け方だった。

その頃は、なんでそんなに仕事をしなくちゃ
いけないのか全然理解ができなくて、
私は母が家にいないことが寂しくて寂しくて、
勤務先に電話をかけたりして困らせていた。
大人になって、生活するのに必要なお金や
働くことの大変さを知り
当時の母が今の自分と同じくらいの年齢で、
あんな働き方をして
わたしたちを育ててくれたんだと思うと、
頭が上がらない。
正直、自分には同じことができる気がしない。

さらに驚くべきことに、
ひとりで新築の家まで建てちゃうんだから
母のその力はどこから湧いてくるのか
不思議で仕方ない。
寂しさはあったものの、
不自由を感じたことはほとんどない。
そんなことがあったのかもしれないけど、
もう忘れた。
それくらい、母は一生懸命に
私たち家族を守ってくれていた。

(だからちょっと当時の母は厳しかったのだけど
再婚してからすごく丸くなった(体型も)。
本当にいいお相手だったなと感謝している。
主人も私も継父が大好きだ。)

あんなに目の前のことに一生懸命で真っ直ぐな人が
自分のお母さんでいてくれることが誇らしい。
そして、自分の好きなことに打ち込んで
楽しそうにしているお母さんを見るのが嬉しい。

実家でボコボコになった段ボールたちを見て
母が一生懸命太鼓の練習をしている姿が
目に浮かんだ。

わたしももっと頑張ろう、
そう思えた夏の一日でした。



追記:家族行事が多くてちょっと過干渉気味な家族だけど
大好きなんだなぁと、改めて思いました(笑)

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