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物差しをつくる -マスターに会いに-

大学時代、4年間バイトしていたお店があります。
劇団の先輩が「就活で忙しくなって入れなくなるから」と、引き継ぎで紹介してくれた大学すぐ横の食事処兼飲み屋さん。30年たった今でも、この店がわたしにとって特別な場所である訳を、今も覚えているマスターの言葉といっしょに書き留めておきたいなと思います。

初めてバイトに入った日

そのお店は、学生街で安さと量が売りの店が多い中、夜は教授たちが飲みにきたり研究室の宴会で予約が埋まるような、場所柄からすると学生客の少ないちょっと大人っぽい雰囲気で、いつもジャズが流れていて、どっしりとしたがたいのいいマスターが食いしん坊を唸らせる和食とお酒を出しながらカウンター越しにお客さんととおしゃべりをしている、そんなお店でした。

初めてバイトに入ったのは初夏の夕方からだったと思います。
カウンター5、6席とテーブル2つのこじんまりしたお店に、マスターと二人きりでドギマギしていました。「これに着替えて」と、黒いヘインズのTシャツとエプロンを渡されてお手洗い前のスペースで着替え終わると「何から始めたらよいでしょう」と緊張しながら質問したのを覚えています。マスターはわたしに台ふきんを手渡し、仕込みをしながらモゾモゾと話しました。

「じゃあ、まず来たらね。店の中をこれで拭いてくれるかい?
 どこでも好きなところを。好きなだけ。」

モゾモゾしているのはいつもくわえタバコをしていたから。
料理しているときも、おしゃべりしてるときも、マスターはいつもタバコをくわえていました。で、不思議なことにどんなにしゃべっても落ちなかった。

これくらいかな、というくらい

「どのくらいキレイにすればいいかっていうとね、ハルカちゃんがお友達を家に呼ぶ場合、これくらいキレイだったらいいかなーってくらいで、いいよ。鼻歌も歌っていいからね。」

アルバイト先で、突然「自分の基準でいい」と言われてびっくりしたのを覚えています。そしてじわじわと、掃除しながら少し楽しい気持ちになったのを覚えています。鼻歌は歌わなかったけれど。

そんな感じで、このアルバイトはすこし普通のアルバイトとは違っていました。お店の開店前や閉めた後、マスターはわたしの話をたくさん聞いてくれました。わたしが自然とたくさん話せたのは、マスターが最初から「ここでたくさん話すように」と言ってくれていたから。

自分ていう‘物差し’

「アルバイトに入ったときには、なんでも話してごらん。そうしたらだんだん、自分ていう ‘物差し’ に目盛りがふられていくからさ。」

大学であったこと、家であったこと、劇団であったこと、なんでもない話をとにかくよく話した。タバコが落ちそうで落ちないマスターの口元を見ながら。ときには大泣きして、ときには大笑いして。

わたしは目には見えない自分の物差しの目盛りを、4年間かけて数えきれないくらい、一生懸命ふっていった。

つづく。

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