僕は父が嫌いだ

父のことがどうしても好きになれなかった。父とまともに会話をした覚えもここ数年ない。

いつから父のことを嫌いになったのだろうか。自分と父の間の錆び付いた楔のような記憶、それは小学校低学年のある日の自分の誕生日、母の手作りのチーズケーキを囲んでリビングで団欒していた時のこと、経緯は覚えていないが、父に怒鳴られ泣き出していた。多分その時父は機嫌が悪く癇癪を起こしたのだと思う、定かな記憶はないが、その頃から父の行動や言動に不審なものを感じて、敬語で話すようになったのだと思う。

やや時期が早いとはいえ、父のことを嫌い始めるのは、発達上は自然な段階だ。特に少年は母親と仲が良く、その母を親しむゆえに、父親への反抗心を持つ、フロイドの言うエディプスコンプレクス。それが思春期のはじまりで、それを終えて、場合によっては複雑な衝突を通じて、父を乗り越えて、青年になるのだ。

僕は、正しく思春期を乗り越えることができなかった。反抗期も経験しなかった。終始穏やかな少年であり青年であったと思う。父のことを嫌っていただけで、きちんと向き合うことを回避してきた。してきてしまっていた、とは書きたくない。もちろん心理学的に正しい発達のプロセスを踏むのであれば、正しく父親とも付き合い、衝突して、そして青年になり穏やかな仲直りをすることが望ましかったかもしれない。しかし僕と父の関係性は、あの誕生日で止まってしまい、そのあとは曖昧な輪郭しか保たれていない。あの時のように怒鳴られることをおそれて、父が癇癪を起こしている時には、なるべく家にいないようにもしたりした。

しかし父が自分に与えている影響は大きい。父は途轍もない勉強家である。自分が物心ついた時から、おそらくそのずっと前から、定年を迎え現役を退いた後も、数十年ほぼ毎日何かしらの勉強をしている。その内容には詳しくないが、父の部屋に山のように積み上がったノートを遠くから眺めるに、企業経営に関わるものを中心に多岐にわたって勉強をしてきたらしい。自分もコツコツと継続して学ぶことは、知らずとその背中に習ってきたのかもしれない。

もう一つは、反面教師としての父の側面だ。父は他人の心情を想像するのがあまり得意ではないらしい。それが理由で母を何度も言葉で傷つけてきたし、母もその様子を息子の僕に相談してくれたことも多々あった。家に帰っても、二日に一回は開口一番会社の同僚の悪口を始めるのが日課だった。流石に定年してからは穏やかになったが、それは僕が就職を機に家を出てから聞く機会が減ったからのようで、母からまた別の出来事や同僚の悪口を話していたことを聞く。

そしてそのような父の姿から、感情を顕にすることは粗野で相応しくないものだと学んだのかもしれない。自分は感情の起伏が見た目、特に負の感情のあらわれがとても小さいとよく言われる。また他人の機微への想像力を持つことは自分の中でもかなり上の優先度にあると感じている。それがよく働くこともよくない方向へ働くこともある。

家族の形はそれぞれである、しかし、自分のこのような父との関係を同僚はもちろん、友人に話したことはない。この文章だってそうだ。このように父との僕の関係を明文化することは初めてだ。形にしてしまうことで、父と僕の関係が固定化されてしまうようで恐ろしかったからだ。そして親との関係が良好な方が、外面がいいからだ。父と他愛のない世間話以外、数年まともに話せていない、というとよくない印象を持たれるかもしれないと感じるからだ。

しかし、最近になって、きっと大人になったのかもしれない、自分を内省する機会が増えると、あまり関わりを持たなかった父の影響に少しずつ気付き始めた。優柔不断な性格、父と衝突をして来なかった影響かもしれない。こつこつとものを進める傾向、彼の勉強の姿勢や習い事から継続をあまり苦としない。そのほかにも、当たり前であるが、親たちの影響を強く感じるのだ。

もしかしたら、世の中の人は、親たちとの関係を外面を慮って、積極的に話さないだけで、実はほとんど話せない、関係性が築かれないままの人もいるのかもしれない。もちろんそうでないいわゆる平和な家族関係を築けている人だっているだろう。でもそうでもない人は、想像するに、思ったよりも多いのではないだろうか。正しく両親を乗り越えることができなかった大人たち。

思春期は父の血が混ざっていることが憎いと感じることすらあった、いつか自分もあんな風に乱暴に言葉を扱い、近しい人を傷つけてしまう人間になってしまう可能性があるのではないか、と。もちろんそんなことはあり得ないのであるが、本当にそう思ってしまうくらいに、嫌いだったのだ。

だけど父との関係は、切り離すことはできない、血が繋がる限り無にはならない。それも曖昧な延長でしかない、そしてこれはこれからもきっと変わらないはずだ。僕は父がこれからもずっとぼんやりと嫌いなままだろう。

人間とはそういうものだ。社会の中で、僕らは不断の発達を続けていく。

色々な人との関わりの中で、マイナスもプラスもなく、影響を受けて変容を繰り返していくのだ。そう、プラスもマイナスもないのだ。あの人と関わるべきではなかった、関わるべき人がいる、なんて話もあるはずないのだ。付き合う人で人間は確かに変わるが、その変容をコントロールできるほど、人間が生きることはやさしくない。

色々な場面や物語に影響を受けて一つの人間が複層性を持ちはじめる。ミルフィーユのように自分の中が更新されていく、付き合う人や場面によってどの層の自分が表になるか変わることだってあるだろう。僕は今、幼き少年の延長の顔をしてこの文章を書いているわけであるが、もちろん仕事場でこの顔をすることはない。

父との関係を後悔しているわけではない、何度生まれ変わっても、父が父である限り、多分彼とはどこかの段階で透明な決別することになったのだろう。ではなぜこの文章を書いているのか、それは関係を一度精算するためだ、ケリをつけるためだった、しかも一方的に。そして、僕と同じように親と適切な関係を築くことができなかった人たちに、そんなことだってある、けどそれはプラスでもマイナスでもなくて、人間そういうもんじゃないのかなって話しかけるためのものだ。

うまくいくことだってあるし、うまくいかないこともある、でもそんなものだ。一つも傷がないぺかぺかの人生なんてあるはずもない、あるのかもしれないけど、それも一個の可能性でしかなくて、どっちがどうだなんて話じゃないはずだ。

こんな文章書くこと自体、僕がうまく親を乗り越えて来れなかったからだろう、なんだかいつもより一層稚拙な文章を書いている気分がする、一人部屋の中で駄々をこねている小さい子どものように。でもそうやって少しずつ人間は、自分の感情に整理をつけては棚の中に納めて、変容を重ねていくのだ。結局のところ、いろいろあって自分なのだ。


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