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おとなカレーの美味しさを知っている大人

欧風カレー。それはいわゆる「お家カレー」とは対極に当たるカレーのことだ。カレーのルウが普及している日本では、カレーはお家の食卓の基本メニューとして良く挙げられるし、給食でも人気メニューである。子どもたちに「好きな食べ物は何ですか?」と聞いて「カレーです!」と答えてくれる子は多いし、「なんですか」と「カレーです!」の間の検討時間も他の料理よりも心なしか短い(1秒あるか)気がする。「好きな食べ」あたりで「カレー!」と答える準備ができているのかもしれないし、子どもにとって、他の食べ物と比較することができない魅力がきっとあるのだろう。そのような形で「カレー」に馴染みのある僕たちですが、それが「欧風」となるとグッと大人感が増す気がする。カレー自体はなんだか子どもの頃好きだった食べ物の代表格なのだけど、欧風?具体的にはどこの…?となる。御伽の世界に現れる奥深くピリッとしたスパイス、さながらアンパンマンにおけるロールパンナさんのような存在になる。すなわち謎である。元来カレーというものは子どもが大好きなルウで作る日本のカレーが亜種で、スパイスで練り合わせて作るカレーが本場というものである。
欧風カレーはどこの?と問われれば、正しくは「日本」だろう。欧の「風」なのだから、欧のことを再現しようとして工夫を凝らしてできたのが「欧風カレー」なのである。スパイスで練り上げたカレーを出汁、フランス料理でいう”フォン”などで尖った部分を丸くしたものである。本場のインドで言うカレーとはもはや煮込み料理の総称であるが、それを再現しようとしたのではなくって、そのスパイス使いをベースにしつつ、日本人がヨーロッパの料理の技術をさらに応用し、重ねてできたのが「欧風」ってなわけである。欧風とはあるが、実はなんとも日本人らしい料理なのである。そう、欧風カレーはお子様カレーの対極、「大人カレー」なのだ。
子どもに欧風カレーを食べてもらってとして、好きな食べ物になってもらったとして、その子に「好きな食べ物は何ですか?」と聞いたらその子は思慮深い目つきをし、スパイスと出汁の調和を思い出しつつ(ここまで十数秒)、うっとりした顔で「うーむ、カレーですかね」と答えるはずである。欧風カレーとはそういうものなのだ。

雨の日、昼から家具の下見や調味料を買い出しに来た街で、歩いているときにふと欧風カレー屋さんを見つける。昼下がりでまだ用事も残っていたので、早めの夕飯時に来ようと場所を記憶しておいた。夕方、雨がまたしとしとと降る中、欧風カレー屋さんを再び訪れる。外の列はもうなくなっていて、1組の街にまで減っていた。扉を開けるとカレーの香りがじっとりとした梅雨でぼんやりさせられていた鼻孔をふんわりと刺激する。美味しいカレー屋さんに来た気がする。美味しい珈琲屋さんと美味しいカレー屋さんは店に入る前に香りが美味しさを主張してくれる。スパイスというものはとても奥が深い、友人にスパイスからカレーを作る人がいるけども僕はもっぱら食べる専門なので、よくわからない。ただカレーばかりはスプーンを口に運ぶギリ手前でも「うーん美味しい!」と言ってしまうくらいだ。カレーは美味しいという刷り込みはすごいし、今のところ美味しくないカレーというものにおよそ出会ったことがない。
野菜カレーを注文する。チキンカレーにするか、全部全部入った「スペシャルカレー」ととても悩んだ。しかし買い物途中で、餃子単品と羽根つき鯛焼きを食べてしまったので(気休め)ヘルシーにしておく。まったく美味しいものが店先にあるとすぐに入ってしまい気づいたら注文してしまうのは考えものだ。・・・とか一応思ってみるけど全く後悔していない。美味しいものを我慢する理由がない。美味しいは素晴らしい。
野菜カレーが机に届く。目にした時点で美味しいと言いたくなる(のは流石に言い過ぎですね)。野菜はナスにミニトマトにシシトウ、みつば。トマトの赤と黒に近くまで煮込まれた茶色いルウに混ざっている様子はさながら鉱石の中のルビー。香りはスパイスの刺激がふんわりとやってくる。インドカレーのようにつんつんした香りではなく、柔らかさも同席している。スプーンで少量だけすくって口に運ぶ、子どもの舌は単純な旨みを好むが、欧風カレーは複雑さという面ではかなり凝縮されている。インドのスパイスの重ねる考え方と、フランスの重ねる出汁の考え方と日本の引き算的な出汁の考え方、そして煮込みという旨みを重ねることに向いている工程がその複雑性をさらに高めている、感じがする。香りでもう美味いということは先の通りなのだが、口にしてすぐには美味しさがくるのではなく、口にしてからじんわりと舌の上でスパイスがとろりと広がっていく。これが大人カレーなのですね。

シンプルな美味しさだけではなく、複雑な美味しさを知っていくために大人になっていく。ワインとかも良いものほど味が複雑になっていく、寝かせ時間を経ることで、ぶどうのフルーツとしての甘みや渋みよりも、土とか気候(テロワール)の特徴も段々と滲み出てくるからである。カレーも同じだ。煮込むことで複雑性を高め、スパイスや出汁でさらに複雑にしていく。細かい理屈は分からんがともかく美味しい。いつもの「おうちカレー」もやっぱり美味しいと感じるけれども、別物としての美味しさがあります。「ぶどうジュース」と「ワイン」の違いと同じ感じですね。

美味しいものが好きだから、美味しいものにはその場では理屈なしで「美味しい!!」と脳みそがシナプスをはじけさせながらパクパクと進めるのが良い。そしてその美味しさを名残惜しみつつ店のドアを後にして、その帰り道にどんなところが美味しかったか、どうしてあんなにも美味しかったんだろう、と考えを巡らせるのもまた楽しい。そしてこの手記のようなものがあるわけで、その過程を通すと、食べることの楽しさに新しいところが生まれる気がするんですよね。

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