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春が来そうでこない寒い日々たち・希望的生活

こんにちは、寒い日が続きますね。

皆さんはこの寒い日々を含めた季節とどのように付き合っていますか?こうも寒くて雪すらちらほらする日々が続くと暖房器具って概ね生命維持装置ですね。

私もおそらく多くの方と同じように、寒いのは基本的にめっぽう勘弁しておくれ、という立場ではあるのですが、この春を予感させるような、寒い日々だけは嫌いになることができません。

季節というのはとても気まぐれで、いつも私を惑わせます。でもそんな四季が好きです。多分いつも季節に振り回されるのがきっと好きなのだろうな。時折休憩するために移ろっていく景色に潜り込んで、その変化を目で耳で鼻で感じ取ることがいつも楽しい。

ずっと快適な気温が続くならきっと退屈してしまうと思うし、そろそろ暖かくなってほしいなあって思った時に、毎年ちょうど良い気温になっても、きっとなんだか不安な気持ちにさえなってくるでしょう。

社会の流れを振り返ると、概ね人間は自然を征服しようとしてきましたが、僕にとっては、自然はずっと振り回していてほしいわんぱくな子どものようなもので、自然のわがままはいつだって愛せる気がします。駄々をこねるように豪雨や積雪があっても、まあ自然のことだしって思えるはず(幸いにして屋根と布団があるからだけれど)

特にこの春への期待に寒さを耐え忍ぶような、このはざまの季節のことが嫌いじゃないです。もちろんあの、春めいた、生温かい風の吹く幸福感にあふれる春の陽気こそ、いつも待ってましたとばかりに喜んでいる自分ですが、毎年その日々が短くとも訪れてくるその喜びにしのぶる日々だって、全然悪くないと思います。むしろ結構好きです。

今は喫茶店でコーヒーを飲んでいたのですが、ふと向かいの大きい窓の前の席で、窓から外の何かを眺めている紳士、何を見ているのだろう、と思うってその先を見ると、遠くに沈んでいくたっぷりとしたオレンジ色の西日。

その視線に誘われて、僕もその日差しの陰っていく様子を眺めていました。暮れていく寒い一日の鈍くひかる金柑のような太陽。

ああ。少しずつだけれど確実に季節は進んでいるのだな、ということを手触りを持って実感するとともに、時間の進むことだけで、期待を感じる日々の幸福をひしと感じたのです。

いつ暖かい幸福な春がやってくるのか、わからないけれど今日もまた一日がすぎていく事を眺めることの貴い事を見つめ直す気分でした。

社会人になってから、すぎてゆく季節のはやさに置いていかれまいと、休日を使って自然の変化を追いかけるように楽しむようになりました。

春になれば桜の並ぶ河川敷を夜な夜な歩き、梅雨になればお寺で紫陽花をのぞみ、夏になれば水のある景色や山に入り、秋になればすすき野原を歩いたりよくしています。

学生の頃も季節の行事や自然の中に入る趣味はよくしていたのですが、正直あんまり意識的に季節を味わうことはしていませんでした。しかし、いざ都会で暮らし始めて、意識しなければ土すら見かけることのない生活が続き、肩で浅く息をするような感覚がありました。

それを軽減してくれたのが、ある種意識的に季節を味わい身を委ね、次の季節に希望を持つことなのだと思います。ささやかな希望を持って生活をすることは、自分にとって大事な効能だったようでした。

日本に住む皆さんにつきましては寒い日々が続きますね。国外のみなさん含めどのようにお過ごしですか。暮らしている日々の天候にどのように向き合っていますか?

気まぐれな自然に振り回されて、しかし暖かい日々への希望を持ちながら、玉ねぎのスープを温めてみてはいかがでしょうか。あと寒い日は内省的になる気がしませんか?(ずっと寒い国の人たちは内省が得意そうな気がする、どうなんだろう)

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