ミーティングはやっぱりmeetした方がいいんだな(当たり前なことを書きます)

オンライン会議のいいところはオンタイムに始められることだ。と、思っていたのだけど、今日はオンタイムにログインしたらアプリのアップデートが始まって3分遅刻しました。反省。ここのところ使い方にも慣れてきたので、ちょっと油断しましたな。

で、そのあと、今日はひさびさのオフラインミーティングに出かけた。なんか感動した。やっぱ全然違う。報連相を端的にするにはビデオ会議で充分なんだけど、意図を確かめ合うような会議は断然、直接なんだなぁ。得られる情報量が全然違った。雑談にもヒントやフックがあったりする。とはいえ時間もエネルギーも段違いに使うので、ちょっとした確認とかはメールやLINEで済ませりゃいいという思いもますます強まって、やはり手段は使い分けが大事である。あと、「しゃべりがかぶらないか空気を読む」のが直接の方が簡単だね。あれは地味に疲れるし、目玉がかぴかぴのドライアイになる。

雑談だとか情報量だとか考えていて、8年前まで自分が喫煙者だったことを思い出した。気持ちの切り替えやらストレス緩和やら、喫煙の理由はいくつかあったのだけど、タバコミュニケーション、つまり喫煙所での会話の魅力に吸い寄せられていた、というのが大きい。学生時代はそこで教授と仲良くなり、就職してからはそこならではの人間関係に出会った。そこには普段の立場や肩書と少し離れた「スモーカー同士」というコミュニティがあり、何とも居心地がよかった。スモーカーのひとたちの醸し出す、ちょっとワルな雰囲気がカッコよくも見えて、そのカッコいいひとたちに一目置いてもらいたい気持ちがあったことも覚えている。優等生とか委員長とかサイボーグとか(どれも実際に言われた私の異名)、四角四面で生真面目なイメージを持たれるのが居心地悪くて、私も実はちょっとしたワルなのよ、と仲間に入れてもらいたかったのである。はずかしいな、これ。懺悔。

かつてコンサル営業をしていた頃、あるお客さんから「喫煙所のコミュニケーションを喫煙しなくても実現させたい」みたいな相談を真面目にされたこともあった。あれは休憩スペースを作れば生まれるかっていうとそういうものでもないし、喫煙者の肩身がほどよくせまかった時代に、肩を寄せ合って火を借り合ったりしてちょっと窮屈にしながらおしゃべりするってのがよかったんじゃないかと考察するにつけ、いまだに妙案は浮かばない。ただ、妙案はないけど私には喫煙所は必要なくなった今がある、というのはたしかなことだ。

私がタバコミュニティから卒業できたのは、言いたいことを言える人間関係や自分のタイミングで息抜きができる環境が、喫煙所なしでも得られるようになったから、だと後付けで思う。根回しとか情報収集とかに、煙草というきっかけが必要なくなった、とも言える。ノンスモーカーなまま喫煙所にいくのもいつの間にか慣れたってのもあるだろう。それだけ図々しく、図太くなったということか。煙草とコミュニケーションがセットじゃなく分離した感じがある、私の中で。ただそれだけ、だ。

また吸いたいとも思わないし、吸ってるひとを咎めるつもりもない。書いてみて、懐かしい気はちょっとしてるけれども。私にとって煙草はなくても生きていけるものになり、ほしい情報もほしい人間関係も喫煙が左右することはなくなった。それでも、喫煙所が生み出していた「仕事中だけど休憩中」「とりとめないおしゃべり」「思わぬひとと懇意になる」みたいな環境は、在宅でのひとりワークやビデオ会議では生まれにくいのは事実で、一見無駄な時間・仕事と関係ない話題・人間関係に思えるところからこそ予想を超えること、想像の及ばないものが生まれてくるということは大いにあると思っている。

在宅ワークは自分のペースでできるから快適、と思っていたけど、やっぱりたまには直接顔を合わせることも大事。当たり前のことを再認識したお出かけであった。

明日から土日。今週末は何を片付けようかな。

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