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唐十郎さんがお亡くなりになりました!追悼、唐十郎さん。

唐十郎さんがお亡くなりになりました!追悼、唐十郎さん。

唐十郎という不思議な名前を知ったのは1983年だったか?大阪駅前の再開発用のJRコンテナの跡地でのテント公演に行ったのが最初だったと記憶しています。当時大学3年生だったかと。その日はテントの外は豪雨でした。床にはビニールシートが敷かれているのですが豪雨で浸水してズボンがびちゃびちゃ、そして豪雨だったのでテントに降りしきる雨の音でセリフがほとんど聞き取れずとにかく異様なものを見たという身体的な記憶だけが残っていました。おきまりのテントが最後には解体して私たちがいる場所を客観的に確認するというシーン。豪雨の中を40代の唐十郎さんが大声で叫びながらテントに向かってやってくるものを見て、本当にものすごいインパクトだったのを覚えています。
 そして翌年だったか大阪の九条にある安治川沿いの廃工場で第七病棟の「ビニールの城」を見ました。石橋蓮司さんと緑魔子さんの演じる「第七病棟」という劇団の公演でした。この舞台は静かな場所で見ることが出来たのですがあまりにも荒唐無稽な物語と耽美な様子とアングラのアングラらしい演出が加味されて生涯忘れられえない公演となりました。その戯曲を書いたのも唐十郎さん。
 唐さんは私にとってのまさにアングラの師匠のようになって行きました!1985年に上京してからも第七病棟は毎回観に行き、赤テントの公演も時間があれば行くような日々でした。
 唐十郎さんと私の一番の共通点は2月11日生まれだということです!いつも自己紹介などで誕生日の話になると唐十郎さんと同じ、そして緒川たまきさんと同じと演劇ヲタクの私は嬉しく思い話していました。海外だとエジソンが同じ誕生日だそう!そして唐さんの年齢が私の母親と同じということにもこのたびの訃報を聞き、何かご縁があるのかも知れないと思いました。
 あの方の生き方を見ていると限りなく自由だ!ということを感じます!そしてその自由さが演劇作品によく表れていました!自由なだけに完成度よりも強烈さみたいなベクトルもありますが、それがまさに唐十郎さんなのではないでしょうか?
 1990年代を過ぎるとアングラ演劇自体がひっそりと公演されているものという感じになりましたが、そこからインスパイアされて今も活動している作家や演出家はたくさんおられるのではないでしょうか?大阪にも維新派という劇団があり大阪まで見に行ったものです!
 そうしたアングラ演劇のエネルギーを私たちに振りまき続けてくれた方として唐さんは日本の演劇史に残る生き方をされた方だったのではないでしょうか?ご冥福をお祈りいたします。

写真は朝日新聞デジタルより https://www.asahi.com/articles/ASS547KQ3S54UCVL003M.html


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