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宝塚月組『月の燈影(ほかげ)』ライブ配信を見て考えた「捨てる」ということ

 今日の午後は宝塚月組のバウ・ミュージカル『月の燈影(ほかげ)』のライブ配信を視聴しました。色々考えることがあったので、感想を書いておきたいと思います。

秀作だが難解だった「川向こう」の世界

このポスターの礼華はるくん、素敵です

 『月の燈影(ほかげ)』は2002年に花組の彩吹真央、蘭寿とむ主演で上演された江戸時代後期を舞台にした作品です。初年はW主演でしたが、今回は月組の礼華はるが主人公で両国の「通り者」たちを取り仕切る幸蔵を、蘭寿とむが演じた町火消「ろ組」の次郎吉を彩海せらが演じます。
 この作品、秀作ですが、難解です。まず、舞台の背景となる世界観がすぐには呑み込めません。「川向こう」は江戸に組み込まれたけど、実際には江戸じゃない非合法地帯というのがベースになっているんですね。で、その川というのは大川なのですが、大川は隅田川の吾妻橋(浅草)より下流。つまり、今の向島、両国、深川あたりです。現代の区で言えば墨田区、江東区。駅で言うと両国、門前仲町、東陽町、清澄白河、森下ですね。
 
今ではビルが建ち並んでいて、アクセスも良いし、治安も悪くありません。東京と言えば23区を思い浮かべる現代人にとって、江戸時代の江戸がとても狭い範囲に限定されていたと瞬時にわからせるのは難しいように思います。それに加えて、「妾奉公(めかけぼうこう)」「通り者」「人別帳」等々、今では耳慣れない言葉が次から次へと出てきます。
 原作があるなら、宝塚ファンは予習が好きなので読んでから行く人も多いでしょうが、今回はそうではないので、『カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~』のように冒頭で映像でも出して、解説を付けたらもっとわかりやすくなるのに、と思いました。

両国橋を渡って本所へ入ると無法地帯ということですね

 今日が千秋楽だったので、キャスト別の感想を手短かに記します。

主演の三人は仁に合った役を好演

◆幸蔵 礼華はる

さっぱりしたお顔なので和物が似合いますね。身長178センチなので、押し出しが良く、立ち回りをしても強そうです。『桜嵐記』の正行も良かったけど、幸蔵も愛に溢れながらもそれを表現することが許されない硬質なキャラで、とても合っていました。歌は私見では彩海せらくんの方が上でしょうが、ぱるくんは声がよく通るし、男役の低音がちゃんと出ていて、男役としての成立度が高い。人によっては、チラチラ「女の子」がかい間見える男役さんがいますが、それがないのは高得点。次は全く違うおちゃらけた明るい役も見てみたいですね。

◆次郎吉 彩海せら

ブログで月城かなとに似せていると書いている人がいましたが、あみちゃんは望海風斗ににているなと思いました。ちょっと小柄で、お顔は彫りが深く、なんと言っても伸びの良い声で歌が上手い。演技力もあります。知らない人が見たら、あみちゃんが主役と思うかもしれません。私見ではギャツビーよりも次郎吉の方がキャラに合っていました。実力が遺憾なく発揮された作品だと思います。宝塚には珍しく、主役の幸蔵に恋愛要素はなく、次郎吉と芸者・喜の字(天紫珠李)は互いを想いあっている。祭りの夜に2人が絡む場面もあり、喜怒哀楽があって、セリフも多い次郎吉の方が演じやすいのではないでしょうか。

◆喜の字 天紫珠李

芸者の喜の字は15歳で父に妾奉公に出され、相手が死んで、やっと自前(フリーランス)になったのに、旗本が妾にと望んだために、淀屋辰五郎(夏美よう)の悪巧みで弟の新助が博打で大きな借金を負わされ、またも妾奉公に行かざるを得なくなり・・・という何とも切ない役です。ですが、喜の字は男前で大人の女。じゅりちゃんは運命に翻弄されながらも、自分を保ってしっかり生きる男前の喜の字をしっとりと演じていました。こういう大人の女性が似合う娘役は、トップでなく別格路線に行きがちですが、アイドル系の娘役だけで舞台が成り立つわけではありません。じゅりちゃんには自分の持ち味を活かして活躍して欲しいと思います。

メインキャストの3人は、ぱるくんとじゅりちゃんが101期、あみちゃんが102期なんですよね。学年差があまりないので演じやすかったと思いますが、1期差で2人とも同じ組でトップになるのは、難しいかもしれません。102期は既に舞空瞳、潤花、春乃さくらと3人の娘役トップが出てますし、男役もあみちゃんの他に、侑輝 大弥、天飛華音、咲城 けい、風色 日向と4人も新公経験者がいます。101期も主席入団の鷹翔千空、4番の縣千という有力な路線候補がいるわけですが、最近のぱるくんの推され方を見ていると、かなりの確率でいけるんじゃないかなと思います。

月組の若手は成績優秀で技量が高い

その他のキャストで目についたのは、文字春の天愛るりあ。淀辰の手下の女で悪者ですが、口跡も良く、役になりきってました。102期で10番の入団ですから、優秀なのでしょう。

幸蔵の手下の粂八の大楠てら。パルくんと同期で学校も同じ日本女子大附属ですね。しかも、身長180センチと宝塚で一番の高身長なので、存在感があります。得意の歌がなくて残念ですが、演技も達者でした。

喜の字の弟で髪結の新助を一輝翔琉。気の良い青年ですが、芸者・元吉(咲彩いちご)に惚れていて、彼女に貢ぐお金欲しさに川向こうで博打に手を出し、悲劇の元凶となる重要な役です。一輝翔琉くんは107期生で7番入団ですが、男役では1番で、2022年の初詣ポスターモデルになった人。106期は雪組の華世京くんですから、劇団からの期待の高さがわかるというものです。研2とは思えないほど、伸び伸びと新助を演じてました。大物かもしれません。

元幸蔵の手下で、後に淀辰につく伊七を104期の真弘蓮。悪役ですが、川向こうでは淀辰に従うより生きる道はないからそうしているという苦渋の決断と、決断したら人を殺しも仕方ないという凄みが伝わってきました。3番入団なので、真弘くんも優秀ですね。

川向こうで幸蔵を慕うお壱を106期の花妃舞音(はなひめまのん)。『今夜、ロマンス劇場で』で研2で新公主演、『応天の門』で可愛らしい藤原多美子を演じたまのんちゃん。幸蔵には振り向いてもらえませんが、幸蔵の理解者であろうとする意地らしさがよく出ていました。

専科は宝塚の宝と再認識

その他、専科のお三方、淀屋辰五郎の夏美よう、丑右衛門の悠真倫さん、おゑんの梨花ますみさんは、各々、さすがだなと思わせる名演でした。淀辰は元同心で、江戸へ川向こうから吸い上げた資金を流すことで、川向こうを無法地帯として認めさせている根っからの悪役です。良い意味ではっちさんほど悪役が似合う人はいません。淀辰が悪ければ悪いほど、幸蔵と次郎吉の友情と悲劇がくっきり浮かび上がります。初演で演じ、再演でも同じ役をキャスティングされた理由がわかります。
「ろ組」の親方の丑右衛門は人情の人で、これまた、まりんさんにピッタリの役です。丑右衛門のような人情の機微がわかる人間の存在が、どれほど幸蔵や次郎吉の支えになったか、この人がいなければ、この世は闇だのつらいだけの話になってしまいます。そして、この2人を合わせて2で割ったような役が、梨花ますみさん演じるおゑんです。人情を知りつつも、「守りたいものができたら、ここでは生きていけない」というセリフから川向こうの非情さが伝わります。専科ってほんと、宝塚の宝ですね。若い生徒ばかりでは作品は成り立ちません。

最後に幸蔵が鼠小僧次郎吉となり、獄門になりましたというのは、発想としては面白くはあるけど、うーんという感じです。川向こうは無法地帯なのだから、幸蔵は江戸から出て、上方で次郎吉と名乗って芝居小屋の三味線弾きになりましたとか、幸せにしてあげてもよかったのになぁと。

 『月の燈影』は月組の下級生を中心に組まれたキャスティングですが、危ういと思ったのは、最後のぱるくんのご挨拶(2、3度詰まってました。同期のじゅりちゃんが頑張れっという姉のような目線を送ってました)くらいで、誰ひとり、幼いとか拙いとか感じさせる生徒がいませんでした。和物は着物の着付、所作、言葉遣いとハードルが高く、大変だったと思いますが、月組の生徒は全体的に技術的なレベルが高いのでしょう。コロナ禍以降、ほぼずべての公演がライブ配信で見られるようになって、お財布には痛手ですが、大きな進歩だと思います。

人生には「人を捨てる」「思い切る」ことも大事

 占い師という職業柄、物語を見るときいつも考えるのは、「どこが運命の転換点なのだろう?」「どこをどうしたら、この人は幸せになれたのだろう?」ということです。で、『月の燈影』を通して考えたのは、人生には「人を捨てる」ことが必要な時もあるということです。
 幸蔵の姉のお勝は弟を淀辰から自由にするために死んだのです。幸蔵はその後のも自分のために犠牲になった姉の死にとらわれていますが、その捉われが後に喜の字を助けることに繋がり、彼の運命を変えるのです。
 また、次郎吉は急に姿を消した親友の幸蔵を思い続け、再会して拒まれても川向こうへ会いに行ってしまいます。ですが、過去を捨てずには生きられない事情を抱えた人間もいるのです。次郎吉が「俺の知る幸っちゃんは死んだ」と思い切れば、次郎吉は江戸で火消しとして人並みの人生を送れたでしょうし、新助が川向こうと縁を持つこともなかったでしょう。
 新助は自分の行いが元で姉の喜の字をまた妾奉公に追い込むことになりましたが、旗本の妾になれば、食べるのに困りませんし、芸者として働く必要もありません。正妻がいるのですから、旦那は毎日くるわけでもないのです。「姉さん、ごめん」で割り切れば、次郎吉を刺すようなことにはなりませんでした。
 「人が人を捨てる」というと酷いことのように聞こえるかもしれませんが、人はどんどん変化していきます。数年前の友達と今でも友達でいられるとは限らず、家族でさえも疎遠になることもあります。川が停まれば水は濁ります。縁が薄まれば、「思い切る」ことも必要です。そして、新たな、今の自分に必要な縁を結び、それを大切にして行くのです。
 『月の燈影』の次郎吉は良い人ですし、もらい役ですが、どうか現実世界の中で、次郎吉のような生き方はしないでくださいね。「思い切る」ことは決して不人情ではないのですから。



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