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コンサート「巴里の音楽」で考えた占いの源流を知ることの意味

 コロナ禍ではありますが、他県への旅行をキャンセルしたので、映像と音楽でちょっとしたパリ旅行気分を味わおうと、7月31日、シャンソンコンサート『LA MUSIQUE DE PARIS 巴里の音楽 1930’〜1970’』(於:イイノホール)へ行ってきました。報告が遅くなりましたが、自分へのリマインダーとして記しておきたいと思います。どんなコンサートかは、下記の解説をご覧ください。

かつて世界のポピュラー音楽の中心地だったパリ。
シャンソンのみならず、ラテン、タンゴ、さらにはジプシー音楽まで
パリ風に演奏、歌唱、さらに新しく登場したフレンチジャズまで、
世界あらゆる国々の音楽を巨大な胃袋のように消化、作り変えて、
そのときどきの世界の若者たちをとりこにしてきた。
今回の公演ではポピュラー音楽の歴史をたどる旅、1930年代から70年代までの音楽で、 パリをテーマにした歌、演奏を舞台上のプロジェクターに映し出されるパリの情景とともにつづってゆく。

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イイノホールのロビーから見える日比谷の緑は美しい

 会場は霞ヶ関駅直結のイイノホール。座席数500席のアットホームな劇場ですが、さらに席数を減らして開催していました。赤字にならないか心配になるほどです。このホール、ロビーの巨大なガラス窓から見える日比谷公園やオフィス街の景色が素晴らしいのです!! この景色だけでも心が晴れ晴れして、思い切って足を運んで良かったと思いました。

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出演者は宝塚のOGが中心

 3日間の開催中、毎日出演メンバーが変わるのですが、7月31日の出演者は宝塚歌劇団のOG6名とシャンソン歌手の嵯峨美子さん、女優の由美かおるさんでした。

真琴つばさ  大空ゆうひ  壮一帆  成瀬こうき 萬あきら 美翔かずき  
由美かおる 嵯峨美子

 真琴つばささん(月組)、大空ゆうひさん(宙組)、壮一帆さん(雪組)の3人は時期は違いますが、元トップスター。萬あきらさんは40年在籍して定年で退団した専科の方でした。退団公演は大空ゆうひさん主演の「カサブランカ」で、黒人ピアニストのサムという重要な役を演じられていましいた。2010年ですからもう11年前ですね。萬さんの姿を見るのはその時以来ですが、若々しくてお元気そうで、嬉しくなりました。

深緑夏代の死でシャンソンの系譜が途絶えた宝塚

 ここからはシャンソンの話です。子供の頃に越路吹雪の舞台を母と良く見ていましたし、深緑夏代さんが存命だった頃、宝塚の生徒がこぞってシャンソンのレッスンを受けていたのを知っているので、深緑さんが亡くなったのと、シャンソンブームが去ったせいで、宝塚のシャンソンの系譜が途絶えてしまったことを残念に思っていました。

 勿論、年に1度はスター級の生徒が「パリ祭」というコンサートを開催していますし、ショーの中ではシャンソンがよく登場します。ですが、それは舞台の挿入歌に過ぎません。今やシャンソンは化石のような存在ですし、生徒さんたちは昔とは比較にならぬほど公演数が多く、忙しすぎてじっくりシャンソンと取り組む時間をとるのは難しいように見えます。ところが、『巴里の音楽』では、スターたちが年を重ねてシャンソンの魅力に気づき、真剣に自分のものにしようとしているので、各々の人生が歌に反映されていて、在団中の歌よりはるかに良かったです。

親友は「再会」を聴いて嵯峨美子とシャンソンのファンなった

 さて、宝塚のOGになぜシャンソン歌手の嵯峨美子さんが加わったのかという話です。これは出演者の一人、壮さんが声がげしたそです。嵯峨さんは確か6年くらい前、元宝塚雪組もトップスター、壮一帆さんのコンサートにゲストとして呼ばれました。壮さんがYouTubeか何かで嵯峨さんの「再会」(1969年。作詞:パトリシア・カルリPatricia Carli、作曲:エミル・ディミトロフEmil Dimitrov)」を聴いて感動し、招いたそうです。

 壮さんの大ファンだった親友はそのコンサートに行き、嵯峨さんとシャンソンの大ファンになって帰ってきました(笑。「再会」にノッックダウンされてしまったのです。フランスではニコレッタが歌ってヒットしなかった曲が日本で知られているのは、嵯峨さんがニコレッタより魅力的に歌っているからでしょう。

「生きる時代」はパリの五月革命を扱ったプロテストソング

 嵯峨さんは元々自由劇場の女優さんで、串田和美さんや吉田日出子さんと舞台をやってらした方なので、セリフから歌、歌からセリフの流れが絶妙で、歌をドラマとして立ち上げる力量をお持ちです。言葉が立っているので、聴いていると情景が目に浮かんでくるのです。

  「再会」は大人の恋の歌ですが、嵯峨さんは恋の歌ばかり歌う人ではありません。学生運動が盛んだった頃に青春をおくられた方なので、若い頃から社会問題に深い関心を寄せており、ジョルジュ・ムスタキのようにユダヤ人で革命的なメッセージを歌に込める社会派の歌を好んで歌われてきました。舞台でもおっしゃていましたが、ムスタキが来日したときに同じ舞台に立って、彼の代表作の一つである「生きる時代」を歌う許可を本人から直接もらったそうです。

 この「生きる時代(Le temps de vivre)」は、1968年のフランスの「五月革命」をテーマとしたプロテストソングです。舞台ではその情景が映像で紹介されていました。アメリカではベトナムに対する反戦運動、中国では文化大革命。日本では全共闘や東大紛争が起こり、大衆の政権に対する異議申し立て運動が盛んなときです。きっと嵯峨さんはこの歌を聴いて「世界的な同世代に呼びかける歌」と感じ、感銘を受けたのではないでしょうか。ムスタキは嵯峨さんが同じ価値観を持つ人間とかんじたので、「いいよ」とOKを出したのだと思います。

 本物のシャンソン歌手から刺激を受けて、宝塚OGたちが自分なりのシャン村を模索していく姿は刺激的でワクワクします。壮さんは真摯でコツコツ真面目に物事に取り組む人なので、嵯峨さんとの出会いでシャンソンを深めたいと思ったのでしょう。歌手や歌の生まれた背景についても学んでいるのではないでしょうか。大空ゆうひさんも舞台の袖から嵯峨さんの歌を聴いていて「胸がきゅっとした」と言っていましたし、嵯峨さんを「ソガさん」と間違って紹介してしまった真琴つばささんは、「『生きる時代』を唄ってもいいですか?」と嵯峨さんに尋ねて、その場で楽譜をもらったそうです。真琴つばささんはスターオーラがすごい人なので、彼女の歌う「生きる時代」は嵯峨さんとは違ったダイナミックなものになるのではないかと楽しみです。

占いにも占術が生まれた背景や歴史を理解することが大切

 歌と同じように占いもその占術が生まれた背景があり、技法が確立されていく歴史があります。例えば数秘術は19世紀後半のアメリカで、「人はみな罪人である」というキリスト教の根幹をなす教理のアンチテーゼとして誕生しました。ニューソート(新しい思想)というムーヴメントが起こり、「我々一人ひとりの中にキリストの力が内在している。だから、自分の数のバイブレーションを知り、それを生きれば、運命を切り拓き、豊かで調和に満ちた、幸せな人生を生きることができる」という思想がベースになったものなのです。

 歌も占いも何か新しいモノが生み出されるには、それが出てきた土壌や背景があります。マルクス主義にしても、産業革命後に悲惨な賃労働にあえぐ労働者たちの姿を見て、彼らを救うには資本を社会の共有財産とし、階級をなくせば良いと考えたわけです。今の中国やロシアを見て共産主義は怖いとか、間違っていると言う前に、その思想が誕生した原点・源流を自分で確かめておくことはが大切だと思うのです。そうでないと、本当の意味での鑑定はできません。

 私は鑑定だけでなく、一人でも多くの方に数秘術の歴史を知っていただきたいと考え、オンラインで数秘術入門セミナーを開催しています。受講すれば家族や同僚、恋人も占えるという超オトクな格安セミナーです。ご興味のある方は下記ホームページよりお申し込みください。

沢村偆日ホームページ 
http://www.numero-haruhi.jp



 


 


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