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今日の話題は危険回避

 今日は美容院に行ってきた。先生はお話が面白くて、私にとっての贅沢な一大イベントになっている。ちょっと・・相田先生に似ているのも、僥倖❤

 今日の話題は、危険と危険回避(知恵)について。
 特にテーマを持っていくわけではないのだが、よもやま話のうちに、ピントが合ってきて・・・その話が次々に話を転がしてくる。

 熊が。熊が町にやってきて、鉄砲で撃たれている。
 撃つ人も、守る人も、誠実で尊敬に値することは言うまでもない。
 それでもちょっと、心臓がきゅっとする。

 シアトルの町にも熊が出るが、出没しそうなところにカメラを設置したり、夜は出歩かない、丈夫な家(ドア)で防御して共存しているという。
 熊の生存域に町を作ったからだ、と諦め?ていて、共存できる限りは努力するのだそう。夜、車庫に行くのは怖くて、何度も確認をするのだそう。

 へぇ。危険予知。

 北海道出身の先生は、そうそう、と。
 子どものころ、おかあさんに聞いた話。おかあさんは北海道出身ではなかったと思うけど、田舎に住んでいて、村には蛇がたくさんいて、もちろん、納屋とかにもいるわけ。
「沢庵持ってきて」
 なんて言われたら、引き戸の前でまず、棒を持つ。それで、柱をガンって叩いて、戸を叩いて、戸を開けて、内側の壁を叩く。
 そのたびにスススッて何かが動く音がするんだって。スススッて。
「行くよ、入るよ、さっさと出てって!」と口では言わないけど、メッセージよね。
 沢庵の甕を開くときだって、不用心にすっと手を突っ込んだりしない。
 用心してそおっと沢庵を取って器に入れる。

「そうだったよね、なんか、おっかなびっくりだった」
 危険を予想して、慎重な行動。退所。

 事故が起ったら自分も大変、親も大変、地域も大変。

 おかあさんは、歩いていても蛇が見えるのだそう、先生は何も気づかないんだけど、
「あ、あそこにいる」
「あ、あそこ」
 言われたら見える。
 キノコ目とか、山菜目っていうのもあって、山を見るとキノコ(山菜)が見えちゃう人がいる。それと同じなのだろう・・・と勝手に夢想する。ある人は、雨だれがメロディーに聞こえたり、山が笑って見えたり(これらのことは、歌・詩などで表現してくれたら、私にも聞こえる・見える)、感受性の有り様が違う。大変だろうなぁとも思うけど、自然の中で生きていくということはそういうことなのだろうと思った。

 何か事故が起こると、それまで大丈夫だったことがダメになる。
 あまりいい例ではないかもしれないけど、浮かんだこと。
 しょうもない人が出没したとなると、公園で子どもたちが遊ぶの、禁止になる。だけど、どこかで「遊ぶ場所がない」とかになって、そして、うっそうと茂っていた樹々が伐採され、ついでに芝生がなくなった。うちの方ではだけど。
 じゃ、子どもたちは遊ぶのかっていうと、ただシーンとしているだけ。
 トイレも使用禁止になったけど、どうなったかな?

 もう一つ、危険の話。
 十勝沖地震のとき、高校生だった先生は、教室で被災したのだそう。
 先生は、
「大丈夫、大丈夫、慌てないで」
と言ったのに、も一度揺れて校舎がウォーって響いたら逃げちゃったそう。
 もちろん、みんなも逃げて、木と漆喰でできた校舎がつぶれたときには誰もいなくて、被害者はゼロだったという。
 腰を抜かす、の意味も知ったという、その時。みんなで引っ張って校庭へ逃げた。
 近くの公園まで行く。
「もう授業はありません。帰宅してください」
 先生の後ろで
「どやってかえるのさ」
 汽車通の友だちだった。あの声は忘れられない、と述懐された。
 さすがに遠くの人は、友達の家などへ泊ったらしい。
 先生は、歩いて帰った。ルートはわかっていたから。
 帰ってから、

 おかあさんは、地震のとき、トイレにいたという。
 トイレは、安全な場所。四隅が柱だから。
 で、次に大きな地震があったときも、トイレにいたのだという。
 達人は違う・・・
 ちなみに、私の知り合いは、仙台の地震のとき(ちょうど、夜勤明けだったということもあるかもしれないけど)前日に、車にガソリン満タン、冷蔵庫に食料満タンにして寝たらしい。
 もう一つエピソードがあって、仙台に引っ越したとき、最初に入居したアパートがあまり好みでなくて、少し高いところに引っ越したのだが、最初に入居したアパートは被害を被っていた。この方、予知してたの?と思ったけど。
 食料、よかったね、と言ったら、
「うん、すぐに避難所に持って行った」
とのこと。自分は仕事に行ったから必要なかったらしい。この辺が微妙。

 そして停電の話に転がって行って。
 町は停電になった。そして、一時の全停電が終わったら、計画停電に変った。重要な施設はいつも煌々と電気が付いていたけど、町場はかわるがわる停電した。友達の家には認知症のおとうさんがいたのだけど、それまでは、おとうさんが出て行くときポーが鳴るようになっていたのが、鳴らなくて、徘徊させてしまったそう。
「もぅ・・・」
と、そのお友達は嘆いたそうだ。通り向うは停電はなかったから、余計に。
 病院、学校、避難場所・・・そういう場所は停電しない。それはもちろん納得ずく。ただ、大変だったということ。

 昔も熊はいた。だけど、集落と森の境に「非武装地帯」というか、里山があって、下草はきれいに刈って管理したのだという。村に来る前に見つけたら、大きな音をたてたりして『人間は怖いんだぞ』と伝えたのだという。
 もちろん、そこには、果樹なども植えない。

 果樹は不作のときの備えでもあったから、植えるんだけど、屋敷内とか、そういう場所に植える。・・・先日のニュースでは、本来はそうだったんだけど、みんな引っ越してしまって、数軒だけ残ったら、管理もできないし、その果物を目当てに森から動物が来てしまうし、どうしようもない、とおっしゃっていた。
 この季節だけみたいだが・・・冬に向かい、大変だろうと思った。

 札幌の友だちは、菜園を持っているのだが、電気柵を設置している。
 唐突に思い出して、何だか、せつなくなった。

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