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小説>「万座毛スケッチ」

 万座毛の崖の上は芝が天空へ続くだけの牧歌的な場所だった。
 サスペンスドラマの迫力は、海からもしくは地上からまたは空から崖とその高さを撮るからで、崖の上からはただ、美しい空だけがあった。際まで行けば、そして下を見下ろせば尻の穴がピュと緊張するが、一歩退(し)されば、それも見えない。

 人生のようだ、と思った。
 案内人は若い女性で、女同士の気安さで沖縄の旅を誘ってくれた。
「飛行機に乗ればすぐじゃない、同窓会のお知らせ行っているでしょう、今年は教授が退官だからきっと来てよね」
 彼女はJICA、青年海外協力隊でのボランティアから帰ったばかり。以前より快活でおしゃべりだった。それがかえって不安がよぎる。
 仕事を調整して沖縄行きを決めた。

「仕事、どうしているの」
 私は彼女に聞いた。
 青年海外協力隊に志願した時に以前の職場は退職したと言っていた。恵まれた職場で、教授の推薦だと言っていたが、数年したら後輩に譲る、暗黙の了解があったようだ。絶対やめない先輩の話を聞いていたから、寿退社するまでいるだろうと思っていたのに、あっさりと辞めてしまった。実家は頼れないだろうと思っていたので、彼女のことだ、自活しているに違いない。
 医者の娘で、しかも小さいころから優秀な成績だった、それもお兄さんより。兄弟で医院を継いでほしいというのが、父親の意向だった。それが進路でもめ、もう、勘当されたようなもの、と以前言っていたのを覚えていた。それでも親が生きているうちは顔を見に帰っていたはず。それが、退職した前後にお父様がなくなられ、お兄様の代になってからは、余計に戻れないのだという、そこまではアフリカに行く前に聞いていた。

 小くて頑丈な車だった。免許を持たない私は助手席におさまった。
 車の中は密室で、だんだんと深い話になる。
 塾の講師をしながら、それなりに豊かな暮らしをしているという。土日は大体、ライブハウスで好きな曲を聞く。はしごすることもある。
 噂を聞くと沖にクジラやイルカを見に行く。

「水族館がちょっとリニューアルしたの、今日の目的地でいいかな」
 否やはない。宿も今日は北部に決めている。トランクに荷物を積んで、宿の位置も聞いてくれた。
 途中、万座毛へ行こうと言ったのは彼女だ。そして冒頭の風景に包まれた。横から見ると断崖絶壁だが、駐車場から歩いて行く間は芝生の広間だ。
「ここで大宴会をしたんですって。太古の話だけどねー」
 海を見晴らして、清々とした気分になって、またドライブに戻る。
「クジラがいたら、自慢したんだけどねー」

 塾は、大学進学を目指す、しかも、優秀な子があつまるところで、苦労も多いがやりがいがある、と言った。貯金してまた海外へ行くつもりだ、と言って笑った。
 うりざね顔でおちょぼ口、すましていたらとっつきにいかんじだが、笑うと突然人懐っこい印象になる。

「ごめん、今夜は予定があるの、それでね」
「えっ。それなら会うの、今日でなくて良かったのに」
「なによ、迎えに行くって言ったでしょ、あのね、ただ、宿に先によって荷物置いてきたい、って言いたかっただけなんだから」
 宿のフロントに荷物を預けたら、身軽になった。
「ありがとう、置いてきたよ」
「早く乗って!水族館に直行ー」

 たわいない話で笑った。雲がクジラに似ているとか。
 この頃、雨が降らないとか。
 彼氏の話は出なかった。
 『きっとおいで』と言われたときに、なんとなく結婚の話が出るのではないかと思っていたので、意外だった。

 道路を曲がると大きな建物が見えた。

 水族館についた。
 大きな水槽のまえで、海の話ばかりして別れた。

 

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